Ⅱ:ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」

Adagio - Allegro molto(1)

 演奏会が終わって一週間は管弦楽団の練習が休みになるので、この機会を利用してかねてからの約束を果たすつもりでいた。間山のたっての希望である「城西大学の女子との合コン」である。合コンしようと勢い任せで口走ったものの、実はそれ自体経験したことがなくって、カラオケで二時間ほど潰して終わればいいのではないかという気楽な想像を勝手に描いていたのだけれど、主催者を任せた扇田にそう伝えると「お前はアホか」と即座に破棄された。


「とても高校んときに彼女のいた発言やとは思えへんな。美華ちゃんとの経験でお前は何を学んだんや」という、寸分たがわず的を得たご意見をアイスピックのように突き刺してきて、黙って一緒に帰宅しただけです、何も学べませんでしたなどという、元彼としては最低な弁明など返せるはずもない。失恋という傷穴へ容赦なくピックの先を刺し込む扇田には、顎髭十本抜きの刑を浴びさせたいところだけれども、それでも頼んだ仕事は最後までやり通す奴で、合コンメンバーを四人揃えて当日の段取りをもしっかりと練ってくれた。梅田のどこかの居酒屋でも予約して手軽に済ますと思いきや、指定された場所は扇田の住む下宿先のマンションだった。食材を揃えてバーベキューをするとのことだ。


 扇田の下宿先は城西大学と城西外国語大学の丁度中間あたりに建っていて、白くペンキの塗られた三階建てのマンション下で僕たち男性陣は待ち合わせをした。メンバーは僕と間山、そしてタダさんだ。夕方四時になろうとしているのに太陽は樹木に強い影を与えていて、けたたましく鳴る蝉の声に耳の奥まで蒸せるようだ。


「なあ、お前はともかくとして、なんでタダさんまで来るんだよ。俺が企画した合コンなのに、タダさんが横にいたら俺たちの方が引き立て役になんじゃんか」と、合コンの立案者をいつの間にやら自分の手柄としている間山が文句を垂れた。タダさんが来ると思われる道の方向へしきりに顔を向けて、日差しを跳ね返す茶髪の生え際からは汗が滲んでいる。


「僕だって思うところはあるけれど、エキストラに来てくれた城西大の子たちのたっての希望だからなあ。今回だけは我慢して」

 外大オケの練習でタダさんの色気にすっかりやられた城西大の女の子たちは――いつもタダさんを目の当たりにしている僕たちにとっては、色気の一つや二つに大して驚くこともなくなってしまたけれども――合コンをするなら指揮者を呼ぶように、というのが彼女たちから出された条件だった。タダさんに経緯を説明し、首を横に振るタダさんからどうにかしてオーケーをもらえたのだが、彼の参加を耳にしてからの間山の愚痴はそれはもう酷い有様で、練習で会うたびにそれを聞かされて、耳にタコどころかイカやエビまでできそうだ。「まあいいじゃん、今日は旨い肉を楽しもうぜ」と甲斐甲斐しくなだめようにも、彼の口はタコのように尖ったままだ。


 タダさんの原付がようやく到着し、「アルくん、遅れてスマンな」とヘルメットを外した。白Tシャツにジーンズ、乗用車でも大型バイクでもない、ただの原付に乗っているというのに、この爽やかさはいったいどこの星からやって来るというのだろう。まるで彼の周りにだけ打ち水を浴びた涼やかな風が舞うようにして、タダさんは太陽の下に白い歯を光らせた。


 扇田の住む部屋はマンションの最上階、三階にある。三人で階段を上がってインターホンを押すと、「はーい」という女性の声と共に扉が開いた。

「外大オケの人たちやんな?」と顔を出したのは、背中まで掛かるストレートの髪に光の輪が踊る、日本人形のような一重の目が印象的な女性だった。真っ赤なハイビスカスのようなカットソーが唇と同じ色をしており、豊かな胸元の白い肌が浮きだつほどに鮮やかなコントラストをなしていて、清楚さと凛々しさを上品に筆で混ぜたような香りが周囲に漂う。


「今日はよろしくお願いします。僕は瑞河で、こっちが間山、それからこっちが――」

「知っとる、友だちから聞いとったから――久しぶりやな、タダハル。二年ぶりか」


 女性の真っ赤な唇からタダさんの名前をまともに聞かされて、紹介途中の声が喉に詰まった。女性は意味ありげな微笑みをそのままにタダさんの顔を見つめている。タダさんはというと、まるで地球の自転が止まってしまったかのように口周りの筋肉がガッチリと固まっていた。

「――ええと、アル、くん」と、タダさんの口周りが機械仕掛けのゼンマイのようにしてぎこちなく動き出した。「悪いけど、俺、もう帰ってええか?」

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