4・屋根の上の仔牛たち(11)
――舞台は一九一九年、禁酒法時代のアメリカのバー「屋根の上の牛」亭にて。薄汚れたカウンターには、中折れ帽と灰色の背広を身につけた男が背を丸めて酒を飲んでいる。男は苦渋の表情のままグラスの中身をグイと飲み干し、カウンターへ叩きつけるようにグラスを置いた。
「クニックさん、ウィスキーもう一杯」と、目の前のマスターに男は声を掛けた。かなり酒が進んでいるのか、声が随分と掠れているようだ。クニックと呼ばれたマスターは後ろの棚からボトルを一本取りだした。「Mr.Mayaman」と大きく名前の書かれた札がボトルに付いている。
「マヤマン、今日の酒はやけにペースが早いな。勝手にリズムを走らせるんじゃない。タダ監督の指示にちゃんと従え」と、マスター・クニックはマヤマンのグラスにウィスキーを注ぎ入れた。
「へいへい、分かりゃーした」
「で、どうした? 見たところ随分と落ち込んでいるようだが」
「はあ……仕事のストレスで飲んでないとやってらんないっつうか」と、マヤマンはボヤキながらグラスの端を口に当てて、背の丸みを一層強めた。
「マヤマンは、確かデーモン出版社の人間だったな? パワハラ上司にいびられでもしたか?」
ははっとマヤマンは自嘲気味な笑い声を上げた。
「パワハラなんて今更……伏魔殿と名を轟かせるデーモン出版社に、心優しい編集者なんかいるわけないっしょ。うちの担当作家のことなんすけどね――あそこで寝てるアワサキーノっていう女性の作家。彼女の書いたやつがなかなか本にできなくって困ってるんすよ」
マヤマンが顎を突き出した方向――僕たちの方にスポットライトが照らされた。木製の丸テーブルには僕ことアルゴと、黄な粉が全体にまぶされたようなドレスを身に纏うアワサキーノさんが座っている。アワサキーノさんは先ほどから机に突っ伏してグウグウ寝ており、彼女の右手にはウイスキーの溜まったグラスがしっかりと握られていた。クニックは僕たちの様子を興味なさげに――動物園で寝そべっていて動こうとしないカピパラか何かを見物するようにして、突き放すようなような声を出した。
「本にできないのは単に実力がないからだろ。面白くなかったら本にはならん。旨くないもんは店には出せん。それだけのことだ」
「いや、あの人ってそこそこ面白いネタを書いてくれるんですけど……動機がちょっと不純でね。マエヨリーナって知ってます? 童話作家の」
「名前は知ってるぞ。『不思議の国の蟻さんたち』を書いた女性作家だな。ウサギの耳を持つ蟻の恋物語だったか……有名な作家だとは思うが、それが何か問題でも?」
「アワサキーノさんってね、マエヨリーナの書いた本にゾッコンなんすよ。マエヨリーナの本ばっかり読みまくってて、彼女のための作品しか書くことのできない、ちょっと厄介な作家だって社内で問題になってるんすよね」
マヤマンと同じくカウンターに座っていた紳士――いや、小奇麗なスーツに身を固めた赤い髪の女が、忍び笑いを漏らした。
「それが執筆の動機になるんやったら、自由にやらせたらええんちゃうの」
照明の当たる赤毛は毒々しいほどに妖艶で、そのウェーブは顔半分を覆うくらいに豊かな髪をしていた。憂いを含む声は彼女の魅力を際立たせ、男物のスーツを着ているというのに、胸の膨らみの辺りが艶やかな女性の色気を帯びている。
「書く動機なんて人それぞれですよね、カタヤッツさん」と、カタヤッツ――男装の赤毛の女の左側に座る、フリフリピンクのドレスを着た女性が彼女に答えた。
「面白かったら、それでいいですよね、カタヤッツさん」と、カタヤッツの右側に座る、フリフリ水色のドレスの女がそれに同調した。
「イシキア、ニシキアたちの言う通りや。物語とか小説というものに決まりごとはあらへん。書きたいもの、書いたものが小説になる、ただそんだけのことやろ――パグンガさん、カクテル追加で」
はーいと返事をしたパグンガという女性のバーテンダーは、シェイカーを持ってリズミカルに振り出した。
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