4・屋根の上の仔牛たち(8)

「屋根の上の牛」に抱いていた僕のイメージを伝えてから、木管組の演奏は飛躍的に向上した……ような気がする。演奏というのは難しいもので、右利きの人が突然左利きにならないように、慣れを修正するにはそれなりの技術がいる。僕たちのような、そこら辺にたむろっているアマチュアレベルの演奏家がイメージをチョロっと変えたところで、曲が劇的に変化するものでもないし、プロ並みの演奏ができるわけでもない。けれども息の取り方を互いに意識し合えるようになったような、音色の溶けるような瞬間が何度かあって、それは指揮者にも伝わっているようで、タダさんからの無茶ぶり指示も特になく、ゲネプロ(リハーサル)はつつがなく終了した。


 十八時の本番まであと二時間、チャイコフスキーのゲネプロの間、控室で本番用のリードの選定と細かな指遣いのチェックをしておく。管楽器男性陣のほとんどはチャイコフスキーのゲネプロに出ていて、残りの人も受付やらステージ係やらで忙しく、控室には僕一人しかいなかった。ゲネプロを映すモニターからミファのファゴットのソロが小さく聴こえた。二楽章の哀愁漂うフレーズだ。画面を横目にクラリネットを響かせていると、「アルさんに贈り物がありました」と、オーボエ新入生の磯部さんが花束を持ってきてくれた。黄色のガーベラやオレンジのミニバラが組み合わされた、直径二十センチくらいのコンパクトなブーケだった。メッセージカードを見ると、母の名前がある。花屋の宅配便を利用したようだ。


『亜琉、演奏会頑張ってください。母より』


 死んだお父さんと一緒に聴きたかったとか、演奏会まで足を運びたかったのにとか、初めての演奏会を思い出して云々等、こういうときに手紙の一枚でも添えられていると母の愛情を感じられてそれなりの感動エピソードになるというのに、久しぶりのコメントがこの一言かい、と思わず関西人ノリでツッコんでしまった。さっぱりしているのか、サバサバしているのか、干渉しないようにしているのか計りかねるけど、まあお礼の返事くらいしようかなとスマホを開けると、タイミング良く母からLINEが入っていた。


『花束贈ったよ。届いたかな』

 僕も返事する――『届いたよ』

『何色にしますかって訊かれたから、大学生の男の子のイメージにしてくださいってお願いしたよ』


 ふうんと思って、黄色とオレンジの半々に混ざり合うブーケを撮影して母へ送った。号泣して喜ぶウサギのイラストがポンと押された。


『おじさんにビデオの撮影お願いしておいたよ』

『知ってる』

『一番前で撮るようにってオーダーしておいたから』

『やめて』


 丸眼鏡を掛けたゴリラの笑っている絵がスタンプされた。『頑張ってね。楽しみにしているよ』

 既読にしてLINEを終了した。


 母とのLINEはこれくらいで済ませてしまうのがお馴染みのパターンだ。普段と同じようなフレーズで、普段と変わらぬ文面だったけれども、嬉しそうな母の顔が脳裏に浮かんだのは僕の勝手な思い過ごしだろうか。父が亡くなって以来、母は演奏会に来てくれなかった――というかそれは半分嘘であり、僕が演奏会に呼ばなかった、という方が正しい答えにより近い。祖父母とのいざこざがあって土日はほとんどの時間を部屋で寝て過ごしている母に、演奏会へ来て欲しいという気分にはとてもなれなかったのだ。疲れきった母の顔を観客席の中から探し出すのも嫌だったし、かといって祖父母に頼んで愚痴を聞かされるのにも心底ウンザリしていたから。


 僕にとっての音楽は生きていくこととイコールだった。生きていくこと即ち音楽をすることは自分一人の世界であり、一人舞台で踊っているだけで観客なんて誰もいない――おじさんからの訓戒は僕にとっての人生の指標だった。言葉の柱は僕の柔な心を保護するものとなり、肯定して安らぎを与えてくれるものでもあり、されど孤独の苦しみを一層深めるものともなった。その孤独の責任を母に擦り付けることで、孤独からにじみ出てくる不安という泥水から心の透明度を必死に守っていたのだ。

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