4・屋根の上の仔牛たち(7)

 目覚ましに起こされて部屋の扉を開けると、渋味と酸味のほどよい調和が朝の空気にブレンドされている。おじさんの淹れたモーニングコーヒーは、僕の鼻腔と脳細胞の活性化に欠かせない毎朝のルーティーンだ。仕事が立て込んでいるのかは知らないけれど、最近のおじさんの帰宅は深夜になったり帰ってこない日もあったりで、昨晩も零時を超えていた。リビングから聞こえてくるテレビでは、今日の天気は晴れのち曇り、気温は三十度を超えていて蒸し蒸しとした一日になりますと予報されていて、「よっしゃ了解やで、姉ちゃんサンキュウなあ」と、おじさんがお天気お姉さんと仲良く喋っていた。雨が降らなければお客さんの入りもいいかなと、これからの演奏会の予定を頭に巡らす。


「天気いいんやったらお客さんも来るやろな」と、僕の思考を読み取ったかのようにおじさんが口にして、コーヒーを啜り、「これで充電バッチリや」と、テーブルに置かれていた小型ビデオカメラのバッテリーからコードを外した。

「おじさん、マジでビデオ撮るんですか?」

「せや、これがおっちゃんの大事な仕事やからな。亜琉との思い出は綺麗に残しておかへんと」と、バッテリーをビデオカメラに嵌め込みながらおじさんは言う。

「そこまでしてもらわなくても」


 ――父じゃないんだから、という言葉を咄嗟に飲み込んだ。冷蔵庫を開けると、昨日残しておいたペットボトルのお茶がなくなっていて、おじさんが間違って飲んだのかな、と思いつつ、牛乳をマグカップに注ぐ。素っ気ない僕の物言いに、「まあ、どっちでもええねんけど」とおじさんの声が返ってきた。

「おっちゃんは親やあらへん、ただの親戚やしな」


 僕の屁理屈が再びおじさんに読まれていたようで、マグカップの牛乳にさざ波が立つ。

「――ほいでもって亜琉はただの可愛い甥っこや。中途半端な家族やけどな、やれるんやったらやったらええねん。亜琉は好きになるのも、好きって伝えるのもごっつ下手くそなんやけど、自分が思うとるよりもずっと、世界っつうもんはお前の傍におってくれとんやで。遠慮なんかせんと貰えるもんは貰っとけ、甘えられるもんは甘えとけ」


 おじさんはコーヒーを飲み干して椅子から立ち、「便所に行かな、便所。誰か俺の代わりに便所へ行ってくれんかなあ」とブツブツ呟きながら、スマホを持ってトイレへ入った。今日のブリーフは赤色だった。テーブルに置かれたカメラのランプは、緑のランプでフル充電を教えてくれる。ちっぽけな緑の光を目に吸わせながら、僕は食パンをかじって咀嚼した。

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