4・屋根の上の仔牛たち(5)

 二十時を過ぎると外大はすっぽりと暗闇に落ちていて、所々に浮かぶ蛍光灯が地上へ仄かな光を送っていた。

「わあ、下界は綺麗やねえ。星がいっぱい落ちていて、同じ世界とは思えへん」


 廊下で個人練習をしていたミファも楽器を片付けて屋上へ来た。外大から望める景色は城西大も暗く包まれていて、ランダムに撒かれたLEDの人口灯がこちらの世界にも贈られる。空に浮かぶ光よりも地上の方がより強い光を放たれているけど、あちら側からは、この世界の果てにある外大がどのように見えているのだろう。星の輝く光があるのか、それとも暗い夜に沈んでいるのか――


 ガチャン、と鈍い音が背後からした。見ると、薄暗闇の中に大きく膨れた白いビニール袋がいくつか床に置かれていた。タダさんが買ってきた差し入れのようだ。

「今日は俺からのおごりやで。酒や、酒。原付組はノンアルコールにしとけよ」

 おおっと反応したのはもちろん金管軍団だ。餌に群がる蟻のごとく、丹生さんたちが次々とビニール袋へ手を突っ込んでいた。粟崎さんがどれにしようかなと指で選んだ缶チューハイを、丹生さんが「こっちの方が旨いで」とノンアルコールに持ち替えさせていた。


「タダさん、気前ええんね。いったい全体どうしたん」と、レモン味のノンアルコールを手にしてミファが尋ねた。

「ん? いや、昨日の詫びっちゅうかな……」タダさんは照れくさそうに前髪をかき上げる。「城西大の演奏を聴いてから、外大らしいもんってなんやろうってなって、ずっと考えとったんや。巷に何百、何千という演奏が溢れとる中で、金も人材も不足していて、それでいて人の心に残せるような演奏するためにはどうしたらええんかなって」


「へえ……それでなんか見つかったん?」

「うん、いろいろと考えてな、俺が出した答えは外大の持っとる個性を十分に生かしたい、ってことやった。弦楽器はクニのカリスマ性と統率力、木管は協調性がありそうでなさそうなユニークさ、金管はがむしゃらに吹くやんちゃっぽさ、打楽器はそつなくこなすコミカルさ……外大にはこんなにええもんがいっぱいあるんよ。丹生くんが言っとった多様性ってやつやな」


「ああ、選曲会議のやつですよね」と、缶を口に付けながら僕が意見を挟む。

「せや、音楽っつうもんは、基本自分一人で楽しんだらええ。でもな、今やるのは『演奏会』や。演奏会っつーのはお客さんがえんと出来んもんやし、自分のこと以上にお客さんに楽しんでもらうためにある。大切なんはお客さんのハートや、ハート」


 タダさんは缶を持っていない方の手で拳を作ってドンと胸を叩いた。

「演奏者はな、お客さんをちゃぁんともてなして、満足してもらって、心にずっと残るような演奏をしなあかんねん。そのためにも指揮者である俺が外大の持っとる魅力と個性を理解して、めいいっぱい引き出してやらへんと。これが俺の求めとる理想的な演奏会で、自分が信じとる外大イズムなんよ。昨日みんなを混乱させたのは、単純に俺の技量不足や。ホンマにスマン。クニにもちゃんと謝っとく」


 タダさんはペコリと頭を下げる。ビールを口にしながら隣で聞いていた丹生さんが、おうおうおう、とそれに応えた。

「ええこと言うやんけ、タダ。詫びるのはええとして、これで上手くいかへんかったら、パンツ一枚でサークルボックスをぐるりと一周走ってもらうからな」

「お、おう、丹生くん、そりゃまた厳しい条件で……虫除けスプレーは付けてもええか?」

「蚊取り線香なら許したんで。腰に付けるタイプのやつ」

「パンツ一丁で火傷すんがな」


 ガハハ、という二人の笑い声が山に響いた。その声に重なるようにして「火傷したらええがな!」という女性の金切り声が二人の会話を切り裂いた。もしやと思って振りかえると、声の主はまたもや粟崎・酒乱バージョンである。

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