3・変人たちの集う夜(19)
手厳しいタダさん評を冷然と言い放ち、コキコキと首を鳴らして、こっちが帰り道だからと、クニさんはJR方面へ歩いていった。
僕たち二人は地下鉄御堂筋線の方へと向かう。一緒に歩きながら、ミファは自分の名前のことについて話してくれた。本名は
「日本語でもハングルでも読めるようにって、親が『美華』って名前にしてくれたんよ。二つの名前があることを、小さいときからうちは隠さんかってん。それがうちの性分やからな。大学に入ってからは、ユン・ミファで統一しとるけど――なあ、気になっとんやけど、アルって美華ちゃんと知り合いやったん? えらい二人で馴れ馴れしかったような」
え? と思わず言葉に詰まり、どうせ隠したところで扇田からバラされるだろうと、「高校のときに、半年間だけ付き合ってた」と素直に白状した。案の定、「ええ? ホンマに?」というお目目パチクリの反応だ。
「……あ、また正直に言ってもた。気にせんとって、ほんまゴメンな」
恥ずかしそうに口を手で隠すミファの指には、いつしか見た金色の指輪がある。華やかなゴールドの輝きはミファのワンピースによく似合う。勇ましい金管の色とは全く違う淡い光だ。
「いや当然の反応だよ」その指輪へ僕は語り掛けた。「顔も十人並みだし、性格だってウジウジしているし、口数だって少ないし、彼女となんで付き合うことが出来たんだろうって、僕でさえ不思議に思ってるから。振られた理由なんて『何を考えてるか分からない』だってさ。まあ実際その通りだけど」
僕の自虐にどう応えようか、ミファは迷っているようだった。階段に差し掛かって話が途切れ、下りたところで再び続ける。
「ねえミファ、知ってる? あの子の付き合ってきた人って軒並みすごいんだよ。キラキラ人気バスケ部員に、城西大オケのクラリネットのパートリーダー、それにさっきの学生指揮者。引っ越してばかりで友だちもロクにいなくて、部室の隅っこで黙々と練習してただけの僕が、半年間だけでもキラキラ輝く男性陣に並べてもらえたなんてビックリじゃない? あまりにも不釣り合いで、彼女が僕を選んでくれた理由がさっぱり分からないよ」
「ホンマに分からへんの?」
「うん、全然。ミファには分かる?」
「ええ? ええと……」と口ごもるミファはやっぱり正直すぎて、思わず吹き出した。
「いいよ、どちらにせよ彼女とはもう会うこともないだろうから」
御堂筋線へ向かう道は夜になっても人波にむせる。ぶつからないよう人を避け、歩く速度を緩めたりして、改札への道を掻き分けて二人で歩を進めてゆく。
「人との付き合いって難しいなあ。正直に言ったら煙たがれるし、黙っとると分からん言われる。いくら仲良うしててもちょっとしたことで心が離れてまうし、いったいどうしたら良かったんやろうなって今でも思うことがあんねん。やっぱりうちとアルってどっかが似とる、お仲間みたいやね」
鞄から定期を取り出して改札を通った。天王寺行きの地下鉄が止まっていたのでそれに乗り、二人で並んで椅子に座る。ミファの髪から香水がふわりと漂ってきた。甘い思い出がセピア色に変わるような柑橘系の香りだった。
「僕と仲間になってくれるのは嬉しいけど、戦うのだけは勘弁して。出来れば誰とも戦わず、ひっそり無難に平和を過ごしたい」
「そんなん、うちだって戦うのは避けたいに決まっとんやん」と、すぐさまミファは返してきた。「戦う戦わないに関わらず、運命の道にでっかい石ころをドスンと置いてくる人がいるんよ。いっつも、いつでも、どんなときでも。名前のことでもそうやし、国籍とか、国の政策とか、就職でもな。その石ころをどかそうとしてゴロンゴロンって転がすんやけど、行く先へ転がってくだけで、どうやっても塞がれた道が開こうとせん。でもな、いつかはその石を壊すことが出来るんやないかって……どうにかすれば道の先に行けるんやないかって、うちはずっと希望を持っとるんよ。言葉を学んで文化を研究して、がむしゃらになっていっぱい武器を身につけて、いつかはこの石を壊してやるっていう未来への挑戦を持っとんねん。それがうちの戦う意味なんよ」
ミファの強い口調に合わすようにして電車がゆっくり動き出す。目の前の暗い窓には、真っ直ぐに前を向いたミファの顔と、青白くて弱々しい僕の顔がこちらを向いて並んでいた。
「僕と違って、やっぱりミファは強いよ。その強さが僕は羨ましい。そういうところを美華は好きになったんじゃないかな」
正直に言うのは優しくて、限りなく重い。それでも伝えたいという気持ちが強ければ、その重さも苦にならない。ミファはそっかな、と言ったっきり黙ってしまった。
どうして僕たちは戦わなくちゃいけないんだろう。僕たちが戦っている相手は、いったい何なんだろう。この戦いに、僕たちはどう立ち向かえばいいのだろう。
答えの見つからないまま電車は暗いトンネルを進んでいく。
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