3・変人たちの集う夜(14)

 母へ連絡をしろというおじさんからの忠告をズルズルと無視したまま、数日が過ぎた。おじさんの言い分にも一理あるかもしれないけれど、やっぱりどうしても納得いかないというか、腑に落ちないというか、僕の欠点を的確に分析看破された腹いせもあって、やれ面倒だ、やれ時間がないのだと自分に嘯きながら、母への連絡をのらりくらりと逃げていたのだ。おじさんはせっかちな人だから、僕の代わりにLINEで母に当日の予定を訊いたようで、その日は生憎と地域の行事が重なって無理だけど、夏休みになったら大阪へ遊びに行きたいと連絡が届いたそうだ。母がこっちへ来るのは僕の引っ越しの日以来となる。盆や正月には母に会うけど、下宿先に親を呼ぶのってちょっとばかり恥ずかしい。


 そんなこんなでサマコン本番一週間前。土曜日のトュッティが終わってから、ミファ、タダさん、クニさん、そして僕とで向かった先は、大阪市にあるザ・シンフォニーホール、扇田の所属する城西大学管弦楽団の演奏会である。


 何故このメンバーが集まったのか、時はミファと電車で帰った日の、次の練習日まで遡る。トゥッティが始まる前までになんとかして間山に声を掛けたいと、廊下で楽器を吹き散らしている彼のそばに佇んで、僕はじりじりとタイミングを見計らっていた。あのソロの一件以来、間山の努力は目を見張るものがあり、暇さえあればひたすら練習、練習、また練習、集中力が凄まじい。サークルボックスに来るたびに、間山のファゴットが周囲の山へポコポコ丸いこだまを作っていた。


 指が止まり、リードから間山が口を外す。この瞬間を逃すまいと「間山くん」と呼びかけた。

「あのさ、相談があるんだけど……」

「その楽譜だけはいくら頼まれても使わねえよ」と、僕の相談事がぶった切られた。すでに目的がバレていたようで、僕の手にしたミファの楽譜を忌々し気に睨んでいる。

「絶対に無理?」

「ぜえーったいに、ヤだ」


 間山は膨れっ面をしてプイと横を向いた。こいつはガキか。中坊か。こういうときの間山の頑固さは鍋底にこびりついた黒焦げよりもしぶとくて、一時間、一日、一年粘ったところで状況の変わることはありえないのだ。こいつをどうすれば落とせるのだろうか、脳みそをフル稼働させて記憶のガラクタを掘り起こし、そこで思い立ったものとは――


「よし、じゃあさ、もしこの楽譜を使ってくれたら城西大の女子を紹介するよ。合コンのセッティングを約束しよう」

「……えっ、マジで?」という反応が即座に表れ間山の瞳がピカリと輝く。幼児よりも単純というか、レモン汁を染み込ませたリトマス試験紙よりも分かりやすい奴だ。出るところがちゃんと出ている、目のくりくりとした絶世の可愛こちゃん彼女は、いったいどこへ行ったというのだろう。


「うん、マジで、マジで」

「もちろん可愛こちゃんだよな」

「うん、きっと可愛いよ」

 多分。当ては全くないけれど、その場限りの返事はする。


「へっへっへ、ぢゃあ使っちゃる」と悪徳商人の悪だくみのような笑みを作って、ミファの楽譜を僕の手からさっと奪い取り、譜面台の楽譜と取り換えた。なんともはや、女絡みだと切り替えの早い奴だ。間山の作った手書きのものは、グルグル音符を囲んだり、間違う音符をドレミで書いたり、「ゆっくり」「少し早く」といった書き込みで音符が消えているのもあり、所々に穴が開いて既にボロボロとなっていた。寿命の尽きた間山の楽譜を取り替えさせたのは正解だ。不埒な目的ではあったものの、取り敢えずこれでミファとの約束は果たせそうで胸を撫でおろした。


 とはいうものの一難去ってまた一難、じゃあ合コンよろしくな、と間山にしっかり念を押されてしまい、やれやれこの状況をどうしたものかと再び僕は頭を捻ってしまった。女性がらみで頼りになる助け舟なんて、思い当たるのは一人だけだ。

「――ここの大学の可愛い子? そんなんいきなり言われてもやなあ」

「そう言わずに、この通り」と、髭男扇田を拝むように手を合わせた。隣に座る友人は、ノートで顔をパタパタ扇ぎながら「考えてもええけど、高こうつくで」と、顎を上げて驕慢きょうまんな態度を振舞った。今日の顎髭も刈り残した芝のように不揃いだ。


「参加費用が一万とか? それは困る。要求されてもお金なんかあるわけないよ」

「お前はアホか。俺の代わりに定演のチケット一枚売ってくれたら、城西大オケの女の子を一人誘う、それで取引成立っつーことや」

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