3・変人たちの集う夜(11)
「あとで聞いたんやけど、イジメの真ん中にいて万引きしてた子な、親の教育がめっちゃ厳しくてストレス抱えてたんやって。ストレスあるからって万引きしてもいいわけやないからな、アカンことはアカンのやから――あ、うちのこういうとこがカチンとくるんやろな。その子はその子なりに大変やったこともあるんやろうなって……万引きなんてもんに手を出すくらい何かに追い詰められてたんやろなって、逆に悲しくなってもうてな」
窓の外が暗闇になり、電車が地下へと潜っていく。今日も電車は溶けることなく無事に目的地へ向かえそうだ。
「うちは可哀そうな子でも特別な子でも憎たらしい子でもあらへん、ただの人間や。うちは平等に、普通に、友だちとして、仲間として、一緒に並んで戦ってくれる子がいて欲しい、願っとるのはそんだけや。音楽はな、縦の世界やのうて横の世界なん。五線譜の上にみんなと並んで音符を繋いでいかんと、一つの曲に仕上がらへんの。タダさんも、クニさんも、間山くんも、アルだって、マイノリティーとか差別とか偏見とか全然なしに、音を鳴らすだけでみんなと対等な仲間になれる。音符がたった一つあるだけで、同じ一人の人間として世界に繋がることができるんよ。これってすごいことや思わへん?」
ミファの瞳がこちらを向いた。太陽の光に当たると琥珀ほどに色の透けるその瞳は、今は夜の闇に覆われている。僕の挟もうとしたいくつかの言葉は、その闇に吸い込まれて消え失せた。
「ミヨーってな、フランスに住むユダヤ人やったねんて。知っとった?」
「え、そうなの?」と、ようやく声を喉から出す。
「うん、『音楽のないノート』っていう自伝を残してるんやけど、そん中でミヨーがこう言っとるんよ。『私はプロヴァンス生まれのフランス人であり、 そしてユダヤ教徒である』って……第二次世界大戦のときにはアメリカに逃れたらしくて、ナチスドイツからパリが解放されたときには、『フランス組曲』っていう吹奏楽の曲で祝っとる。彼はな、南フランス生まれのユダヤ人、ユダヤ教徒であることも全部ひっくるめて自分の曲に昇華してんの。四百曲を超えるミヨーの音楽って多彩過ぎて一括りにはできんけど、根っこにあるのは祖国フランスと自身の血の誇りやな。小児麻痺も患っていたし、複雑な身の上しとるんやけど、それでも前向きな曲をたくさん作れるところがすごいなあって感動して、この曲のことをめっちゃ好きになって……いい曲に仕上がるといいなあ、最後まで仕上げたいなあってずっと思っとった。こうなってもて、手伝うのはもう無理になってもたけど」
バッグから顔を覗かせていた楽譜をミファは取り出した。整然と音符が並んでいて、美しく製本された立派な楽譜。ここまで作り上げるのにどれだけ努力をしたことだろう。この努力を、僕はどう受け止めたらいいのだろう――
「ね、その楽譜、ちょっと僕に貸して」と楽譜を手に取った。「これ、僕から間山くんに渡してもいいかな」
へ? と、ミファの顔がキョトンとした。「無理やろ、そんなん。あんだけ言っても聞いてくれへんかったのに、頭ガチガチの間山くんが受け取ってくれるわけあらへんやん」
ミファの表現に思わず口が綻んだ。
「そんなことないよ、責任もって僕が渡すから。時間を掛けてまでこんなに綺麗に作ってくれたのに、この手間と労力を絶対に無駄にしちゃいけないよ。僕はそう思う。それにあいつの楽譜ってマジで汚いから、ミファの楽譜を使った方が数百万倍も上手く演奏できるはずだしね。この楽譜だったら例のソロだってキッチリこなせそうだ。一緒に演奏できなくとも、お願いだからこの楽譜で力を貸して」
上半身だけミファに向き合い、僕は軽く頭を下げた。
「間山くんの代わりって言ったら変だけど、ここまでしてくれてありがとう。ミファの思いは僕がちゃんと受け取ったから、少しは許してくれるかな」
ミファからの返事はなかった。僕の言葉を吸い込んだ瞳が夜の光を滲ませていて、それだけで僕は十分だった。
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