3・変人たちの集う夜(8)
トュッティが終わって廊下に出ると、スタンドに立て掛けられたファゴットがそのまま置きっぱなしになっていた。ミファの楽器だ。楽器を片付けないままどこへ行ってしまったのだろう。留学生会館や学生寮が近くにあるため、サークルボックスでの音出しの時間は二十一時までと決められている。
間山は廊下の隅に譜面台を立てガンガン音を出している。練習するのはタダさんから注意されたソロの部分だ。テンポを変え、リズムを変え、スラーにしたりスタッカートで吹いたりして、ソロのフレーズに指を慣らしているようだ。他人から注意される前にこれだけの集中力を見せればいいものを、あいつの練習嫌いにはほとほと困ったものである。まあ、キツく言われて凹むほどの柔な性格でもないし、却って負けず嫌いに火が付く奴だから、放っておいてもなんとかしてはくれるだろう。
三十分ほど時間が経つと雨の勢いも落ちてきた。楽器を片付け桶男の扉を開けて木セク部屋で休憩する。パイプ椅子に座り、長テーブルに置いてある漫画本を手に取った。粟崎さんにお薦めされている「
と同時にトュッティ部屋の扉が開いた。ソバカス須々木女史とビオラの女の子たちだ。
「なんや、まだおんの」と、銀縁眼鏡がこちらを見た。
「須々木さんたちもまだいたんですか」
「トゥッティ部屋でつい話し込んでもうてな。誰もおらんくなったし、部屋の鍵をお願いしてもええか」
分かりました、と返事をした。
「アルくんは帰らへんの」
「もう帰りますよ。その前にミファのファゴットをこっちへ移動させておこうかなって。盗難も怖いから」
驚きあきれるように女史の目が丸くなった。
「あの子、大事な楽器を放っぽり出して帰ったんか。信じられんな。タダに叱られたんのがそんなに堪えたんか」
「さあ……そういう子でもないはずですけど」
「いくらなんでもトゥッティ中のお喋りはアカンわなあ。うちだって注意したくもなんで。あの子って、ここに入ったときから皆にチヤホヤされすぎてんで、ちょっとばかし調子ぶってたんやないか」
「…………」
じゃあ帰るなあ、とビオラ集団はぞろぞろ階段を降りていった。調子ぶってる、か……そうかもしれないが、なんとも厳しいご意見だ。女史の言葉が棘を持つボールとなって頭の中を転げまわり、痛みの跡を赤く点々と残していく。自分のことでないにしろ、バツの悪いことを耳にしたなあとモヤモヤした思いに駆られながら、えっちらおっちら重いファゴットを運び終えると、部屋の扉がゆっくり開いた。
ミファだ。やっとミファが帰って来た。
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