3・変人たちの集う夜(6)

「丹生くん、ホンマ楽しそうやなあ。音聴いただけでワクワクしとんのがこっちまで伝わんで」

「おう、せやろ。もっと鳴らしてもええか?」

「いいわけあらへん、逆に抑えてくれ。ほんの少うしだけベル下げてな。本番では上げてもらっていいけど。走り過ぎるときがあるから、バイオリンと足並み揃えるように。バイオリンも入って。……そう、そう。んじゃ最初から……の前に、ファゴットとバイオリンで最初から――なんや、ファゴット二本で吹くんか」

「うん、ここフォルテやしな」とミファの声が左から聞こえた。

「ええけど、バイオリン邪魔せんようちょっとだけ音量減らして……うん、そんなもんか。よし、そっから先は木管だけでやってみて」


 指揮棒に合わせ、フルート、オーボエ、クラリネットに続いてファゴットも曲に入る。粟崎さんのクラリネットの音色は、着物を纏った京美人がそのまま音に表れているというか、普段の性格そのまんまで慎ましくて柔らかい。去年演奏した「ニュルンベルグのマイスタージンガー」も同じように粟崎さんがファーストだったのだけれど、楽譜に書かれた音符を忠実に守ってくれる人だからセカンドとしてもやり易かった。癖のない真っ直ぐなトンネルの中へ僕の音がするりと滑り落ちていく、そんな感覚だ。


 フォルテになったところで僕の音をそっと重ねる。邪魔にならぬよう、慎重に。この曲はオーボエ一本、ファゴット一本、フルートは二本あるけど一人はピッコロと持ち替えで、クラリネットのセカンドはオマケ程度というか、出番がほとんどない。音符よりも休符が多いくらいで、パート譜を作った際には自分の出番の短さに少なからずショックを受けた。それではあまりにも可哀そうだからと、ファーストのフォルテの場所も少しだけ吹かせてもらっていたりする。「アルくん、よかったらソロも代わりに吹いてもらってええんやで」と、粟崎さんも気を遣ってくれたりしたけれど、そればかりは丁重にお断りをしておいた。城西大というよそ者である僕が、必要以上に出しゃばるわけにはいかないのだから。目立たないくらいが丁度いい。


 十二小節ほど吹き終わり、タダさんは指揮棒を降ろして「ふうん……」と腕を組んだ。

「綺麗やし纏まってるんやけど、なんつうか……纏まり過ぎてえんか?」

「なんやそれ」と、左前に座るオーボエの加田谷さんが気怠そうな声で指揮者に刃向かう。「もっと激しく勢いつけろってことか?」

「いや、ちゃうねん。なんかこう、イメージが湧かんっていうか、イメージするもんとちゃうっていうか……俺の指示が上手く言えんくて悪いな。も一回やって」


 どこが悪いのかがハッキリせぬまま木管組で二度目の演奏をする。音程が悪いとか、出だしが合わないとか、具体的な指示ならばすぐに応じることができるけど、こういうもどかしい指示を出されたときが奏者としては一番つらい。とにかく分かる範囲内でのできるだけのことをしようと、もっと音が溶けあうように、響きに気を付けて、フレーズを考えながら。タダさんは再び指揮棒を降ろして首を捻った。


「うーん、なんつうか、おフランスの洒落た雑貨屋さんにウキウキと足を運んどる気分やな」

「せやろ。木管はお淑やかさが売りやもん」と、加田谷さんが返事をする。

「これは酒飲み場のシーンやからな、お上品やのうて、もっと曲に遊んでくれてもええねん。例えるなら、飲み会のときの木管みたいな雰囲気を出せるとええんやけどな」


 周りの団員たちから軽く含み笑いの声が漏れた。うん、なんとなくだけどタダさんのイメージするものは伝わってきた。一人を除いて、だけど。隣の粟崎さんは「なんのこっちゃ、意味分からへん」と、不思議そうに呟いていた。

 なあ間山くん、と左側から声がした。「この音が周りと合ってえんよ。周りをよう聴かな」とミファがいつものダメ出しをしていて、「はあん? うるせ」と間山が返している。真横にいて見えないけれど、この声からしてあいつは未だに虫の居所が悪そうだ。


「間山くんな、タイの後のシンコペーションが遅れる癖あんで」

「だからそんなことくらい分かってるって!」

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