3・変人たちの集う夜(3)

 予報通り小雨がぱらつき、雨合羽を来て単車で外大へ向かう。駐車場へ着いて合羽を脱ぎ、腕時計を確認して練習の予定を立てた。ちょっと早いからトュッティ前に個人練習ができそうだ。リードが古くなってきたので、新しいものを出さないと。サークルボックスの扉を開けると、階段上の方から男女の声が響いてきた。桶男ポスターの貼られた木セク部屋前で、ファゴットパートの凸凹コンビ、ミファと間山が揉めている。


「……俺のことも考えてみろよ。曲決めて楽譜作ったのは俺なんだぞ」

「汚かったからしゃあないやん、うち、こんな楽譜読めんもん」

「なんでいつもそうやってはっきり文句言うんだよ! 楽譜作りにどんだけ時間かけたのか分かってんのか?」

「知っとるよ、うちもめっちゃ大変やったし。でもこっちの方が綺麗でええやん」

「だからその考え方自体がおかしいんだよ。自分で作るなら俺に任せずに最初から作れよ」

「間山くんが曲決めたんやししゃあないやん」

「なんだよそれ! ミファっていつでも勝手だよな。ほんっとやってらんねえわ!」


 目の前で繰り広げられている言い争いに足止めを食らって、なんだなんだとたじろいだ。ファゴットパートの小競り合いは日常茶飯事だが、ここまで険悪ムードになるのは珍しい。間山はクソッとその場で吐き捨てて、廊下の端へ避けた僕に脇目も降らず、階段を駆け足で降りていった。マズいところに鉢合ったようで、知らない振りして木セク部屋へ入ってしまうか、それともトゥッティ部屋へ逃げようかと逡巡していると、「練習するんか?」とミファの方から声を掛けてくれた。


「うん、えと……大丈夫? なんか揉めてた?」

 ミファは口を尖らせて、顎にぷくりと膨らみができた。

「もう、めっちゃ腹立つ。間山くんの楽譜があんまりにも見辛いから、楽譜ソフト使ってうちが書き直したのを持ってきたん。そしたらなんや知らん、急にえらい怒りだしてな、ホンマ訳分からん。せっかくいいもん作ったのに、なんでうちがあんなに怒られなアカンねん」


 差し出された楽譜を見せてもらうと、ミファの作った楽譜はまるで市販品のパート譜のように整然としていて美しい。クリーニング後のワイシャツのように折り目正しく糊付けも完璧で、紙がヨレヨレで音符が盆踊りをしているような間山の楽譜とは雲泥の差だ。ここまでの差を見せつけられたら、あいつが腹に据えかねるのも分からんではない。


「さすがミファの仕事ぶり……って言いたいとこだけど、うーん、間山くんがパート譜を頑張って作っていたのも僕は知ってるからなあ。綺麗までとは言えなくとも、その努力だって大切にしてあげないと。トゥッティ前には戻ってくるだろうから、楽譜をどうするかあいつに訊いてみるよ」


 ミファは僕の意見に耳を傾けながらも、ぷくりと膨れた頬のまま納得しかねるようだった。頑固な正直者というのは率直過ぎて、いくらそれが正しいことでも相手がカチンとすることがある。それでも指摘できてしまうのがミファの長所であるのだが、相手側の感情をむやみに逆撫でするというか、忖度できない厄介な性格でもあるのだ、などと思いを巡らしていると――


「ミファさん! お初にお目に掛かります!」

 聞き覚えのある声――というか、この声は数時間前にも、高校時代からも聞いている。まさか嘘だろ、と振り返ると、お馴染み青髭・扇田が片手を高々と掲げて廊下に立っているではないか。夕方になって青髭は夜を迎えるようにしてますます蒼く、茜に染まる頬からのグラデーションが奇妙に映る。


「おい……キヨト、なんでここにいんの……」

「なんでも何も、練習に決まっとるがな――あ、ミファさん、俺、扇田って言います。扇田聖人、城西大学二回生、コントラバスでぇっす! よかったらキヨトって呼んでください。八月生まれのキヨトです、よろしくお願いしまぁす。ぐふっ」

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