間奏曲・ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」(5)

 翌日の朝はパンとベーコンの炒め物、それから卵焼き、いつもと同じ簡単メニューで征樹おじさんが準備してくれる。おじさんは挽きたてのコーヒー一杯を必ず飲む。豆を煎った香ばしい匂いと小鳥のさえずりと朝のニュースの雑音が食卓の上で溶けあっていて、窓からの日差しが目に眩しい。女性の朗らかな声が今日の運勢を伝えてくれて、素敵な一日を送ることができそうだ。


「今日のラッキーカラーは赤色なんか、ふうん……赤のシャツでも着ようかな」と、パジャマ姿のおじさんは呟いた。数年前に購入したとかいうグレーのスウェットは、首回りが伸びてヨレヨレだ。


「占い信じてるんですか」

「信じとらんよ、あんなもん」おじさんは鼻先で僕の発言をフンと笑い飛ばした。「人の本心なんて当たるわけがないし、当たったところでどうすんの。お前はこんなこと考えとったんかーって相手をなじるんか? そんなんしてたら世の中ケンカばっかになってまうやん。占いよりも大事なのは人の理性や。本心ってもんがどうであれ、心の上澄みを理性のコップで汲み取れるのが人間っちゅうもんやで」


 手についたパンくずを叩いてごちそうさまと立ち上がり、「赤のブリーフにはき替えようかなあ」などとブツブツ言いながら、飲み終わったコップをシンクへ置きにいく。おじさんは家でパンツを履かない派らしく、スウェットの下から脛毛と黒いブリーフが丸見えだ。


「なんだか占いに恨み持ってるみたいだけど」

「恨んでるわけでもないんやけどな。茨城のじいちゃんばあちゃんがな、有名な占い師さんのとこに行って、勝手に俺の結婚を視てもらったんや。なんでも五十までにマンション買うたら可愛い嫁さん貰えるってアホなこと言われたらしくて。俺は信じんかったで、そんなん。でもなあ、じいちゃんらが煩そうて、あしらうのも面倒やから思い切ってマンション買うてもうたわ。結局この歳になっても嫁さんのよの字もあらへんってな。占いなんてそんなもんや」


 なるほどなあとパンを齧る。三回忌のときでも、一に結婚、二に結婚、三四なくて五に孫と、ケッコンケッコンコケッコーとそれはもう早起きする鶏のように口喧しかったのだ。大学のために大阪へ出てきて里帰りをほとんどしなかったのも、親の干渉が煩わしかったためらしい。おじさんみたいに気さくだったら彼女くらいできそうだけど、一人でいるのが気楽なんだろうな、と思う。家にいるときも僕となるだけ顔を合わせようとはしなくって、部屋で本を読んだり音楽を聴いたり好きなようにしている人だから。おじさんは眼鏡を掛けてテーブルに新聞を広げ、紙をめくる風圧でパンくずが下に落ちた。それをティッシュで拾い集め、僕の皿もシンクに持っていく。


「今日は昼過ぎから市民オケの練習行くから、夕食は勝手に食べといてな」と、新聞から目を離さず僕に言う。

「うん、お昼は僕が作りますけど」

「おう、頼むわ」

「うどんか蕎麦か、どっちがいいですか」

「どっちでもええよ、楽な方で。亜琉に任すわ」


 出た。おじさんの返事はいつもこれだ。どっちでもいいというのは気楽なもんで、相手のことを案じているようで結果を投げ出す決断放棄の投げやりな言葉だ。質問者の意図するもの、期待しているものをもう少し考えてくれてもいいのに。賞味期限を考えてうどんの方にしようかなと食器を洗いながら考えていたら、征樹おじさんが尋ねてきた。


「昨日の飲み会どやった?」

「うん、新しい子もたくさん入ったし、それなりに」

「次の演奏会の曲は決まったんか」

「え? えっと、チャイコフスキーの四番です」

「おう、チャイ四か、ええやんか」と、おじさんの口元が嬉しそうに綻んだ。吹奏楽にはちっとも興味を持たないけれど、オーケストラの話にはすぐに乗ってくる人で、チャララーと曲の旋律を歌いながら、見えないチェロを弾く真似をした。

「俺らんとこでも何年か前にやったなあ」

「去年やってましたよ。僕も聴きに行きましたけど」

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