間奏曲・ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」(3)

 父が亡くなってからも同居生活はそのまま続いた。理由は言わずもがなお金と子育てのためだ。母は製紙会社の正社員としてそれなりの収入があり、家計を支えるためにも辞めるわけにはいかなかった。大黒柱として働く代わりに子育てと家のことはすべて祖父母任せになった。祖父母もまた農園で野菜を育てていて、こちらにもある程度の収入があったものだから、贅沢はできないものの父を失った家族の穴はそこそこ埋め合わせることができた。


 兄が大学を卒業していたのも助かった。大学は私立だったから、祖母は「学費がないだけでも儲けもん」と唱えることで突然の息子の死を受け入れようとしていた。農園の管理を一手に担っていた祖母はお金にがめつい人だった。がめつく、そしてケチ臭い。農園はかなりの収入があったはずなのだが、父が存命のときは家の生活費を一円たりとも出そうとはしなかったのだ。大家族の食費、生活費、学費、すべてが父と母の財布から支払われていた。


 となると、父の亡くなってからの負担は全て母の背中に掛かってくる。残された保険金があったとはいえ、それらは僕と弟の学費や将来への貯金に回された。母の収入は僕たち家族の生活費として消えてゆき、手元に残されるお金はほとんどなかった。


 これで不満が募らないと言えば嘘になる。母と祖父母は血が繋がることのないかりそめの家族なのだ。子育てのこと、掃除のこと、食事のこと、事細かいことに至るまで、「父」というクッションのない両者の亀裂は深まりゆく。夕食の味付けで、煮物を作った母の料理に祖母は「甘すぎる」とケチをつけ、母がブチ切れ部屋に籠った。その翌週、母は小さな冷蔵庫を自分の部屋に置き、自分の料理は自分で作る、あとは勝手にやってくれと宣言した。仕事で帰りの遅い母は、サラダや総菜を買ってきて黙々と自分の部屋で食べていて、それはそれはシュールな光景だ。居間での食事は祖父母と兄、弟、僕の五人で取ることになる。兄は残業で帰りが遅いし、サッカー部の弟は僕より下校時間が遅くって、食事という家族行事から一切手を引いた母への愚痴をいつも僕が聞く羽目になった。


 三か月間そうこうするうちに兄は一人暮らしをするため家から出ていった。同居生活のいさかいに匙を投げたのだ。弟は甘え上手で、三人兄弟で最も不器用なのは真ん中だ。ときには母の味方になり、そしてときには祖父母の強い味方として振舞うべく、どっちつかずの状態が高一の夏まで一年半も続いた。そんな折、母から相談を持ち込まれた。実家である秋田県へ戻り、職を変えるつもりだという。


「知り合いの人から一緒に働こうって誘われているの。あっちにはお母さんの方のお祖母ちゃんもいるでしょ。お祖母ちゃんが一人だけだとこれからが大変だからね、大きな家だしそこに住もうかと思っていて」

 同居生活から逃れるため、というのを暗に含んでいるのは僕にも分かった。

「あっちって、どんな高校があったっけ」

「えっとねえ……バスで三十分のところに普通科があったわよ。亜琉はどうする? 一緒に来るわよね?」


 連れ添うことを前提とされても困るだけなのだが。母の実家は山奥の、カフェもコンビニもない超田舎なのだ。薦めてきた高校なんて、近所の住民なら大概入れる分校というものだ。吹奏楽部もないらしい。弟はすでに田舎の高校受験を決めたようで、競争率が低いからとはいえ、人生の選択肢をいとも簡単に切り替えた弟には感心しかなかった。自慢ではないが僕は学力も部活もそれなりに満足できる高校へ入ったものだから、自分の生活基準レベルがガラリと変わることに耐えられる自信はなかった。


 とはいえこのままこの家に住み続ければ祖父母の相手は僕だけとなる。血の繋がる家族だし、ここまで育ててもらった恩義もあるけど、あの人たちの不平不満を一年以上も聞かされてきた身としては、そうやって過ごすのはもうこりごりだった。とにかく僕は、祖父母から繰り返される小言の渋滞をこれ以上耳にしたくなかったのだ。


 にっちもさっちもいかなくて、こうなったら一人暮らしでもしようかと返事をズルズルと引き伸ばしているうちに、父の三回忌となった。法要を終えて近所の店へ食事会に向かう。僕の隣に座ったのは、久方ぶりの征樹おじさんだった。

「亜琉くんやんか、久しぶりやなあ。えらい大っきなって。どや、クラリネットはまだしとるんか?」

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