間奏曲・ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」(1)
居酒屋での乱痴気騒ぎは店を変え、それは深夜にまで及んで終電も近づいてきた。間山をはじめ、ミファ、丹生さんや加田谷さん、外大近辺に下宿している合わせて十名ほどになる管楽器の居残りメンバーは、粟崎さんの酔いが覚めるのを待つために、カラオケと喫茶店をはしごして始発で帰宅するという。「アルも残れよ」という間山のお誘いをスマンと断った。日曜日は家庭教師のバイトがあるのと、月曜までに地球環境学のレポート五枚を仕上げる必要があるためだ。その場で別れて駅まで歩き、御堂筋線に乗った。
日付の変わる時間だというのに乗客が多くて扉付近に場所を取る。電車が動くと、地下のトンネルに棲むもう一人の僕が窓の外からこちらを見ていた。これといった特徴もなく、青白くて平凡な扁平顔。面白みの欠片もない、のっぺりとしたその顔は、外界へ興味ない振りをしておきながら光を求めて彷徨っている。駅の明かりに電車が入るとそれは綺麗さっぱり消え失せた。
天王寺駅で降りてマンションまで自転車で帰る。家に入ると左側の扉の隙間から光が漏れていた。声を掛けようかどうしようか迷って、やっぱりいいやと台所へ行ったら、「帰ってきたんか」と僕の後ろで扉が開いた。
「あ、
「帰ってきてごめんはおかしいやろ。お腹は空いてへんな?」
はい、という僕の返事を確かめると、征樹おじさんは風呂入りやと言い残して部屋へ戻った。
征樹おじさんは父の兄だ。僕と同じ苗字の、瑞河征樹おじさん。結婚はしてなくて、今年で五十三歳になる。僕の父は中二の夏に心筋梗塞で亡くなった。
父の死はあっけなかった。血糖値の値が高くって、糖尿病の治療をしなさいと会社の健康診断で指摘されていたらしいけど、まだまだ平気だと父は取り合わなかったようだ。工場や大型機械の部品発注の代行を手掛けていた父は、国内に海外にと身を粉にして働いていて病院どころではなかった。糖尿病は痛みを伴わない病気だから気が付いたときにはすでに手遅れで、「肩と腕が痛い」と言って玄関先で倒れてしまい、それっきりだった。
父が死んだことについてこれ以上くどくどと述べるつもりはない。あんな辛いことを思い出したくもないし、思い出したところで今さら何をどうすることもできないのだから。多感な時期に家族の死という経験をするのは、恐ろしく底の見えない空虚感に襲われるものだけれど、僕の場合幸運だったのは――こういうときに幸運というのもおかしいけれども――上一人、下一人の兄弟たちと母、それに祖父母に囲まれた大家族の中で暮らしていたことだ。九歳年上の兄は社会人で現状をしっかりと見据えていたし、弟は年子で友達感覚と変わらない。母が葬儀の準備で駆けずり回っている間、僕は不謹慎ながらも新しく配信されたゲームのことを弟とずっと喋っていて、そうすることで虚無という影に襲われそうになる自分を必死に守り、ふらついて倒れそうになる心の軸の置き場所も、身の回りのことも全て兄と祖父母に任せていた。
征樹おじさんと初めて喋ったのは、セレモニーホールで父の葬儀をしたときだ。
棺の中に白いランの花を添え、穏やかな――しかしもう知らない人になったような父の眠る顔をぼんやりと見ていたとき、「『亡き王女のためのパヴァーヌ』やなあ」というのんびりとした声が後ろから掛かった。後ろを振り返るとどこかで見たような人が立っていた。目の両脇が皺で垂れ下がり気味になっていて、白い部分の混ざる髪を黒く染めたら、角ばった顔のラインがどことなく父に似ている人だった。
「このBGMやで、知っとるか?」と、その人は訊いてきた。フロアで静かに漂うそのオーケストラ曲は、優美で、切なくて、心なしに苦しいものだ。全然知らないです、と答えると、「ラヴェルやで」と返ってきた。
「ラヴェルって……『道化師の朝の歌』?」
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