2・酒場にて(1)

「『何がどう悪かったのか、個々しっかり反省しておくことだな』って、なぁにが偉そうにしとんねん。弦の方がよっぽど弾けてなかったやろ。文句あるんやったらいっぺん自分一人で演奏してみい!」

「あの、粟崎さん、弦の人たちに聞こえちゃうからもっと声を小さく……」

「聞こえたって別に構わん。木管には木管の言い分がちゃんとあるんや。なんやったらもっと言ったろか、初心者ってのを盾にして言い訳すんなボケェ!」

「口が悪すぎです。やめてくださいよ、ほんとにもう」

「さっすが粟さん、言葉に深みがあるわあ。もっとガツーンとシバいたって」

 空いたコップへビールをつぎ足しながら、ミファはやんやと野次を飛ばし、「粟さんをこれ以上煽んなよ!」と間山が顔をしかめた。


 酒の入った粟崎さんは大変だ。はんなり淑やか京女の面影はきれいさっぱり消え失せて、ビールの入ったコップを片手に唾と罵声を延々とテーブルに飛び散らす。愚痴りの矛先は言わずもがな、先日行われた初合わせの件である。軽く十分は拘束されていて、さすがに足が疲れてきたのでトイレを口実に立ち上がろうと思ったら、「逃げんなアルゥ、話を最後まで聞かんかい」とどこかの漫画の悪人面のごとくドスを利かせてきた。厄介なもので、この人はビール一杯でこの有様なのだ。通路を挟んで真向いには、怒りの矛先である弦楽器集団がわらわらとたむろしているというのに。コンマス・クニさんと須々木女史を、その仲間たちがぐるりと囲んで接待していて、手に負えない酔っ払いの罵詈雑言があっちまで届いていないかと冷や冷やした。


 そういや僕が「城西大から来たおかしな奴」と珍獣扱いされたのも、この新歓コンパの場だっけか。ここの居酒屋は外大オケの御用達で、阪急梅田から徒歩十分、居酒屋一階分を貸し切りにし、廊下を挟んで弦と管に分けることができる使い勝手の良い飲み屋だった。なぜなら、飲み会になると大概が弦楽器VS.管楽器の貶(けな)し合いになるからだ。今年入った新入生は管弦合わせて二十一人。少子化・過疎化している大学にしてはなかなかの豊作だった。木管には経験者のフルート二人、クラリネット二人、オーボエとファゴットに初心者が一人ずつだ。


「あの……こちらの先輩っていつもこんなんですか?」と恐々と斜め前から尋ねてきたのは、オーボエ期待のニューフェイスである。

「粟崎さんは、いつもは大人しい人だから怖がらなくていいよ、えっと……」

磯部いそべです、磯部明日香。専攻はハンガリー語」と、小さな肩に乗った丸い頭をペコリと下げて、女の子は挨拶をした。ハンガリー語なんてまたまた希少な。ちなみに外大の専攻語にデンマーク語やスウェーデン語はあってもノルウェー語はなくて、ヒンディー語もウルドゥー語もあるけどネパール語はないらしい。ノルウェー語もネパール語も第二言語の選択制だ。外大の専攻語の基準が僕には今一つ分からない。


「んー、訛りがちゃうねえ」とすぐさま反応したのは、同じくオーボエ吹き四回生の加田谷さんだ。イカさきの天ぷらを指でつまんで、「もしかしてやけど北陸出身か」と、天ぷらを口に運んだ。

「え、分かるんですか?」

「やっぱりなあ、北陸の方言って独特やでえ。うちもそうやし。ちなみに石川な」

 瓶の中で波がゆらゆら揺れるような響きのある方言で、加田谷さんは語尾の抑揚を強調した。北陸の方言は関西弁よりも柔らかい語尾をしていて、加田谷さんがそれを使うと気怠そうな雰囲気が一割り増した。ついでに長い前髪も気怠そうにゆらゆら揺れる。


 磯部さんは福井の出身で、高校ではクラリネットをしていたとのことだ。

「オーボエのコンサートを聴いたんですけど、めっちゃ素敵で感動しちゃって、私もオーボエしたいなあって……あ、コンサートってもぉ、小っちゃいやつで、リサイタルっていうんですかね。地元で有名なカフェだったんですけど、そこでバイトしてる人が開いてくれたんです。またその人が、なんていうかぁ、ヨーロッパに住んでる王子様みたいにカッコよくて……」


 独特な抑揚のある福井弁を交えながら意気揚々と話をしていた磯部さんは、頼んでもいないのに写真見ますかあとスマホを出してきて、女子たちが見せて見せてと興味津々に集まった。カッコいいやらなんやらで、ミファをはじめとする女子たちがきゃあきゃあと華やかな色を頬に増して、いけ好かないイケメン野郎など関心を持たぬ僕たち男性陣は、歓声湧きだつ女子の群れを遠巻きに見る。

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