1・会議は踊る(12)

 彼はいろんな意味で面白い奴だ。何かとあれば僕を寮に呼んでくれて、ビール一本でたわいないことを喋ってはそのまま一晩過ごすことも多かった。扇田やゼミの友人たちよりも、間山と過ごすことの方が濃密な時間であるかもしれない。将来のこととか、小難しい勉強やクラシックのことなんて滅多に喋らなくて、大概がテレビやネットニュースといったどうでもいい話をダラダラと喋って、二人でゲームをしながらぼんやりと過ごしてる。何もしなくていい――無言の重みを共に耐えてくれる友人なんて、なかなか周りにはいないもんだ。気怠い時間を一緒に過ごせる仲間というのは、見つけるのが意外に難しい。


 間山は東京の中学で三年間ファゴットを吹いていたらしい。その三年間で燃え尽きてしまったのか、高校では吹奏楽部に入らず帰宅部で気楽に過ごし、大学に入って再び音楽に舞い戻ってきたとのことだ。成り行きでオケに入ったとか、気の迷いでファゴットを選んだとか、練習がめんどくさいとか、彼との会話から読み取れる音楽への姿勢はいささか怪しくはあるものの、演奏技術はさほど悪くはない。人員不足のため入団すぐに六月のサマーコンサートに登壇させられて、新人への扱いが雑すぎると文句たらたらの体ではあったが、それでも「セビリアの理髪師」のファーストを吹きこなすだけの実力はあった。


 ちなみにミファは中学から吹奏楽部でファゴットを始めて楽器も所有している。サマーコンサートではシベリウス交響曲第一番のセカンドに入った。この曲にはファゴット二人の大事なソリがあって、入団していきなりの大役を任されたわけである。二か月で曲を仕上げて難なく本番をこなしたのだから、その度胸たるや大したものだ。ファーストのエキストラとして呼ばれていた音大生から、上手い、さすがだと散々べた褒めされていて、聞いている方が恥ずかしくなるほどの褒めちぎりぶりに、ミファも頬を朱に染めてまんざら悪い気はしていないようだった。どさくさに紛れて彼はデートまで申し込んだようで、ミファは速攻でその人を振っており、以来、そのエキストラはこのオケに呼ばれていない。


 僕は中学、高校と六年間クラリネットを続けてきて、それなりに経験年数を踏んでいる。それなのにファゴットの二人の方がよっぽど上手い、という気がするのは何故だろう。クラリネットが難しいとか、ファゴットが簡単だというわけではなくって、恐らくそれは、技術が未熟ながらも必要に迫られて――あるいは他者から頼られて舞台に上がることができたという得難い経験によるものではないかと思う。自分がいないとオケが成り立たないという自尊心、その環境が彼らの演奏の力を底上げしている。彼らの演奏には自信という力強さがある。僕には足りない心の強さ。羨ましい限りだ。


 時計が夜の八時を超えてさすがに小腹が空いてきた。いったん休憩しようと、二人で外に出てカップラーメンの自販機へ向かう。街から切り離された陸の孤島は、電柱に蛍光灯の足跡を点々と付けている。青白い灯は初春の寒さを運んで鳥肌を撫でた。自販機の前でラーメンを選ぶ。間山はカレー味、僕はシーフード。その場でズルズルと麺をすすり、煙草を一本吸って再び部屋に戻る。僕の楽譜はほぼ書き終えたが、間山は半分ほどしか進んでいなかった。


 春休みももうすぐ終わりで、来週から講義が始まる。家へ帰るのが億劫になってきて、今日は泊ってもいいかとの問いかけに、いいよと間山は軽く応じた。間山はタオルを持って風呂へ行き、僕は床のカーペットへゴロンと横になる。積み上げた本を倒さないよう足を曲げておく。どこかの部屋からクラシックギターの音が漏れてきた。木セク部屋の隣からいつも聴こえてくる曲で、ジャズのようだが題名は知らない。ギターの音にうつらうつらとしながらスマホを開き、見ず知らずの人のどうでもいいツイッターを惰性で眺める。


 LINEが届いた。

 ――今日は帰ってこないのか。

 返事をした――友達の家に泊まります。

 そのまま画面を暗くして、意識を遠くへ運ばせた。

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