1・会議は踊る(5)

 オケに付き合っていた人がいたとか、好きな人がいるらしいとか、彼氏の存在らしき噂は耳にしているが、真偽のほどは未確認だ。僕だってミファのことには興味もあるし、知りたくないと言えば嘘になる。でも人のことにいちいち首を突っ込むのも苦手だし、噂話だって大概が蚊帳の外だ。


 仕方がない。だって僕はよそ者なんだから。


 扇田のコメントが次第に面倒になってきて、既読スルーも増えてきた。コメントを六個ほど無視したあとに返されたのが「お前ってホンマ冷たい奴やな」だった。全く、酷い言いがかりだ。女のことばかり訊いてきて、僕の演奏の感想一つくれない奴の方がよっぽど冷たいと思うのだが。


 こうした一連の話――ミファへの複雑な感情は抜きにして――扇田や城西大オケの評判を説明すると、間山がへええと目を丸くした。

「あいつってそんなに有名人なのか」

「美人だしね、舞台でも目立つんだよ」とポロリと口にして、隣の友人が何やらもの言いたげに目を半分閉じる。その視線の意味するものにあっと気が付き、慌てて手首をブルブル振った。


「勘違いすんなよ。僕じゃなくって、ええと……周りがそう思ってるってだけで」

「アルちゃん、悪いことは言わないからミファは止めとけ。あいつに近づいたら血を見るぞ」

「血を見るってなんだよ、格闘技でもあるまいし。ミファと喧嘩でもしたのか」


「俺が世界で一番嫌いなのは、あいつとのパート練習だ。あいつの指導でどれだけ血を吐いたか、お前知ってるか? マイスタージンガーのファゴットソリでさあ、たった二小節の十六分音符に、百回は指遣いを繰り返したよ。百回だよ、百回。最後は指がガチガチに傷いし、口の筋肉も痛いしで、もうやめてってお願いしたらさ、『文句言うなや。指遣いが下手やねん』って軽く跳ね返しやがった。あいつ狂ってるわ、マジで辛れえ、胃が痛い」と言って、大きなため息を天井に吐いた。


 ミファとの練習はスパルタだと聞く。トゥッティ中でも、「出だしが合わない」「音程おかしい」「テンポちゃうで」「指揮見いや」と、間山の演奏にチクチク細かく注意している姿を何度か見ている。六年間ファゴットを続けてきた彼女の技術は確かなものだし、はっきり間違いを指摘する子だから、間山のストレスを理解しないわけでもない。


「でもなんとかここまでやってきたじゃん」

「そうだろ、すごいだろ? 俺ってほんといい奴だよなあ」

「ははっ、そうかもね。間山くんが耐えてるってことはさ、ミファも練習が厳しいだけで、性格は悪くないんだと僕は思うよ」

「あ、そ」と間山は興味なさげに返事をした。


「誰がどう思おうが関係ねえし。とにかく俺は女運がからっきし駄目だ。俺は美人よりも可愛こちゃん派、ミファなんて興味ゼロ。彼女だっているもんね。優しくて、背が小さくて、細いけど出るところは出てて、目がくりくりとした……」と、間山が胸に手の膨らみを作ったところで、「会議を始めんでー」という団長の声に遮られ、下らない会話は強制終了された。


 彼女がいて、しかも美人の隣で演奏もできているというのに女運がないわけないだろう。コイツの話はいつも何かと胡散臭い。可愛い彼女がいると幾度となく宣言している間山だが、僕に紹介してもらったことは一度もないのだ。出るところがちゃんと出ている、目のくりくりとした絶世の可愛こちゃんだというのは、いつもの本人の談である。それほど自慢できるような彼女であれば、いつかはお目に掛かってみたいものだ。


「なんだ、席がここしか空いてないのか」と、間山と反対側に男性がドカッと重そうな腰を下ろした。

 大國おおくに一臣かずおみ、当管弦楽団のコンサートマスターだ。クニさんと皆から呼ばれている。身長が百八十を超えるクニさんの身体つきは、スポーツ選手かというほどに筋肉が隆々としている。幼少の頃からバイオリンを習っていて、がっちりとした体格が奏でる音は力強くて尚且つ繊細だ。音大にでも行けそうなほどの実力を持っているのだが、彼はそれに進まず、一浪して外大の中国語科に入ったとのことだった。外大三回生だが、年では僕より二個上となる。


 クニさんは足を組み、右のつま先で細かいリズムを打ち始めた。何かの曲かと思いきや、ただの貧乏ゆすりのようだ。

「なあ、なんでここにいんの?」

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