1・会議は踊る(4)

「間山くん! やっと見つけた、あちこちめっちゃ探したわ。練習サボってどこ行ってたん」

「サボってねえよ! すっげー練習してたって」

「ホンマに? どれくらいしたん」

「んん? んー……結構な時間、かな……」

「もう、しっかりしいや。それより選曲のことでLINE送ったのに、ずっと既読スルーやん。早よ返事してな」


 ああスマン、と友人が軽く詫びた。

「で、今日の選曲どうするん?」

「春の祭典なんて絶対やだ。牛にするよ」

「ええー、ハルサイのソロってめっちゃええやん。やってみいひんの、絶対オモロイって」

「バカ言うな、できもしないソロ選ぶなんてどんだけの苦行だよ。あんなんが面白いなんて言うのはミファだけだぞ」

「まぁたまた、そんなことあらへんのに。恥ずかしがって、遠慮せんでもええんやで」

「遠慮なんかしてねえ!」

「ま、やりたいもんあるんやったら、しゃあないか」


 ミファは握りこぶしを見せて「じゃ、任したで!」とガッツポーズを作り、間山がひらひら手を振ってそれに返す。桶男のポスターが貼られたドアを開けて「こんにちはぁ」と挨拶し、木管セクション部屋へ入っていった。


 ミファの挨拶の相手はクラリネットのパートリーダーである粟崎あわさきさんだ。ミファの挨拶に顔を上げることもなく、椅子に座って漫画本を黙々と読んでいる。彼女は決して練習をサボっているわけではない。漫画は感情を豊かにして心の輪を繋げてくれる――と、粟崎さんから教えてもらったことがある。漫画読書は代々受け継いできた外大オケのしきたりだとか、そうでもないとか。このしきたりを粟崎さんは忠実に守っていて、暇さえあれば漫画、漫画だ。卒業する前に五百冊ある漫画本を読破するのが彼女の目標らしく、この娯楽を「心のセクション」と呼んでとても大切にしていた。粟崎さんに挨拶しようか迷ったけれど、心のセクションの邪魔になるのは悪いだろうと判断して、僕はドアをそっと閉じた。


「粟崎さんはまた漫画か」

「そうみたい。静かに読みふけってるよ。うちと違ってファゴットパートは相変わらず楽しそうだね」と僕が口にすると、間山はまさか、と呆れたような目を向けた。

「どこがだ。喧しいだけだぞ」

「でも二人って、ほら、仲良いじゃん」

「もしかして疑ってんの?」

「前からね。ほんの少しだけ」

 間山の口から軽く失笑が漏れる。

「仲良いわけがねえ。あいつと付き合うなんて、百万積まれてもありえねえよ」

「そうなの?」

「当ったり前だ」


 間山が靴を脱いでトゥッティ部屋に入り、僕もふうんと鼻から息を出しながらそれに続く。

 三十畳ほどの部屋にはパイプ椅子が円形に置かれており、数名のパートリーダーがすでに待機している。僕と間山も並んで座った。

「僕の大学でもミファのことが噂になってる。ゼミの友だちからもどんな子かって訊かれててさ」と、間山に小声で伝えた。


 現在進行形で訊いてくるというゼミの友だちとは扇田のことだ。僕は彼を外大の定期演奏会に招待した。定演の翌日、ファゴットにえらい美女がいたぞ、あの子は誰だと詰め寄ってきて、鼻息荒く興奮する姿に僕は呆れた。ちゃっかり写真も撮っていて、それを他のLINEグループにも晒したもんだから、外大オケの美女の噂は瞬く間に城西大学オケへと広がった。名前だけでなく、年齢は、血液型は、好きな食べ物は、ついでに彼氏がいるのかどうかと、ミファのことを事細やかにLINEで尋ねてきて、僕はほとほと困ってしまった。ここに入って一年経つが、そんな細かい個人情報にはとんと疎いのだ。

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