1・会議は踊る(3)
過疎化しているファゴットパートに比べて、クラリネットパートは人数に恵まれている。恵まれすぎて困るくらいだ。演奏会で必要となるメンバーは六人、一人が演奏できるのはせいぜい一曲だ。それでも入団を許可してくれたのは、就活で忙しい四回生の代替要員のためと、城西大学からやって来たという物珍しさがあったためだ。クラリネットの現パートリーダーである、三年スペイン語科の粟埼という女の先輩は、「城西大学? ええーホンマに? めっちゃ変わってるー! すごいすごい、顔見せて!」と、まるでシマウマの胴体にウサギの頭がくっついたような珍獣レベルでの扱いで、僕をすんなりと受け入れてくれた。
夏のサマーコンサートでは僕のパートがなかった、というか、定員オーバーだったから僕から辞退したのだ。よそ者だから当然だという思いからだった。でもそれはさすがに可哀そうだと、先輩たちがメインの曲のアシスタントとして僕を参加させてくれた。ブラームス交響曲第四番で、クラリネットのアシスタントなんて本来ならばいらない曲だ。その好意には感謝したけど、余分な僕のために気を遣われるのも忍びなくって、やっぱりそれを辞退して、受付スタッフで働いた。
初めて演奏させてもらえたのは、冬の定期演奏会だ。近場の市民ホール、座席数六百人で七割程度埋まるほどの、良く言えばアットホームでほのぼのとした演奏会で、ワーグナー作曲「ニュルンベルグのマイスタージンガー第一幕への前奏曲」のセカンドを担当した。重量感のある賑やかな曲で長さは十分とちょっとくらい、大して難しい曲でもなくそれなりに楽しかった。
本当は、ここに来ない方がよかったのかな、とも思ったりする。僕のせいで演奏会のパート内調整が厳しくなったのだから。
でも辞める決意も出来なくて、ずるずる楽器を続けてる。カタバミみたいに生きているのは僕かもしれない。踏まれようが、潰されようが、邪魔者扱いされようが、ひっそりしぶとく繁殖してる、厄介者の雑草だ。
足元から弦楽器の音がつらつらと聴こえてきた。乱れのない音の羅列につい耳を傾ける。ここに来た時に初めて耳にしたバイオリンの音だ。彼の掻き鳴らすエチュードが空へ響く。春の花を山に咲かせ、砂場の街に鮮やかな色彩を浮かばせていく。しばらく二人黙ってその音に聴き入り、三回ほど煙草を口に含んだ。「うまいなあ」と間山が隣で呟く。煙草のことか、バイオリンのことなのかは分からない。
「これ、クニさんの音かな」
「多分な。さて、と。時間だな。休憩はこれくらいにすっか」
間山は吸殻を筒形の携帯用吸い殻入れに仕舞い、僕のゴミも拾い上げてその中に入れてくれた。
二人で非常階段を降りる。
「アルも会議に出んのか」
「うん、就活の準備で先輩が来れないんだって。僕はセカンドだし、その代理」
「ふうん……なんの曲を推すの」
「ドビュッシーの『小組曲』。ファゴットは?」
「俺? 俺は牛、牛にすんよ」
前を行く間山は人差し指と親指で作った指の輪っかを鼻に突っ込み、モオオウと下手な牛の啼き真似をした。
「牛って……ミヨーの『屋根の上の牛』か? またまた、トリッキーなものを選んだなあ」
「そうか? 牛って賑やかで楽しいじゃん」
「賑やかだけどみんながどう思うかなあ」
「さあてね。でも俺には秘策がある」と、間山はこちらを向いて意味ありげな笑みを顔に浮かべた。
三階の踊り場に来てサークルボックスへの扉を開ける。廊下には各パートの代表が集まっていて、皆がぞろぞろとトゥッティ部屋へと入っていく。
と同時に、廊下の真ん中にある階段から一人の女性が顔を出した。
あ、ミファだ、という僕の声にこちらを見る。濃い目のブラウンが塗られた二重の瞳は、僕ではなくて手前の男に向けられた。
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