1・会議は踊る(2)

 間山まやま敬司けいじ、この城西外国語大学管弦楽団でファゴットを吹いている。僕と同じ学年で、この春から大学二回生になる。絞った雑巾をそのまま上に伸ばしたような身体つきをしていて、僕には贅沢過ぎるはどの背丈をしているというのに、この一年で更に三センチほど伸びたそうだ。去年に比べて髪の色も一段と明るくなった。狐のような輝く茶色。黒い部分の足りない目つきや贅肉の削がれた頬などと相まって、一見すると未熟な少年のような雰囲気を持っている。この大学でポルトガル語を専攻しているらしい。


「間山くん、もう音出し終わり? 煙草吸ったらリードにヤニが付いちゃうよ」

「どうせ今から選曲会議だし、今日は店じまい。楽器はとっとと片付けた」と、間山は目尻に皺を増やして目を細め、「こんな天気のいい日に会議なんて、超うぜえ」と遠くの街へ恨み節を投げつけた。


「さっきミファが怒ってたよ。LINEの返事をさっさとしろって」

「ああ、選曲のことだな。いいのいいの、あんなの無視」

「選曲会議はミファが出るんじゃないの」

「今日は俺が代わりなの」

 間山の目が、何かを睨むようにさらに細くなる。

「サブのトップは俺だからな、しゃあねえんだわ。ミファに選曲を任すと、あいつ、春の祭典とかとんでもねえ曲を推したりするから」


 ストラヴィンスキーの作曲した「春の祭典」には、冒頭で飛び出すファゴットのソロがある。難解なリズムと独特な装飾音に加え、出すのが困難な超高音域の音があるらしいと、以前ミファから教えてもらった。


「そういうのに敢えて挑戦してみるってのもいいんじゃない?」

「バカ言うな。ミファならともかく、俺のレベルであんなもん吹けるか。音を外して恥かくだけだぞ。ファゴットが目立つやつと、楽譜が音符で真っ黒なやつは即却下だ」

「音符が多くてもいい曲はたくさんあるだろ」

「俺は気軽に愉しくが人生のモットーなの。カタバミみたいに、か弱く細々と生きていくつもり」

「うん? カタバミは繁殖力が強すぎて疎まれるくらいだけど。それより次のメインはチャイコフスキーの四番だよ。こっちだってソロあんじゃん」

「あれはミファに任せとけば安心だわ。俺はセカンドでお気楽極楽」


 春のまどろみよりもやる気のない声を、間山は白い煙と一緒に吐き出した。僕の煙もそれに重ねた。二人の燃え殻が手摺から下へと零れていく。


「そんなんでよくオケに入ったね」

「まあ成り行きだな」

「他のサークルにすればよかったじゃん」

「オケのファゴットがこんなに辛いとは思わなかったんだよ」

「ファゴットは人数が少ないもんね」

「少ないっつうか、入った途端に先輩が二人とも消えるなんてなあ」と、間山は煙草を摘まんだまま腕に顔を伏せた。


 間山が入団する前、この楽団のファゴットパートには二回生と三回生の二人のメンバーが揃っていた。しかしすぐに二回生の先輩は神戸大学へ編入し、もう一人の先輩はアメリカへ留学してしまった。今のファゴットパートにはミファと間山、二人しかいないのだ。


「新入生に期待するしかないね。ファゴットにも入ってくれるといいけど」

「その台詞って聞き飽きたなあ。中学でも同じことで悩んでた」と、間山は自嘲気味な声を返した。間山は中学三年間のファゴット経験者だ。

「三曲全乗りなんて、僕からしたら羨ましいくらいだよ」

「羨ましいならファゴット一台余ってるぞ。アルなら大歓迎だ」


 似た者同士というべきか、ファゴットの二人は一年越しで同じことを勧めてくる。苦笑いを返事にする。

 彼のしんどい気持ちは分からんでもない。演奏会の曲全てに二人が駆り出される今の状況では、体力的に負担が大きい。僕がここへ訪ねて来た時、ミファがしきりにファゴットを勧めたのもそのためだった。

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