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 標高百メートルほどの辺鄙へんぴな山奥に位置する名も知れないような田舎の大学に、音楽の楽団――しかも吹奏楽部ではなく管弦楽団があるなんて意外ではある。オーケストラは八十人、いや、演奏会のことを考えると、その倍は演奏者がいてもいいくらいで、室内楽とか、あるいは弦楽器の必要のない吹奏楽ならまだ分かるのだが、一学年六百人ほどのちっぽけな大学で、どうやってそれだけの人数を確保してるというのか。


 画面をスクロールしながらオケの内情を探っていく。直近の記事は合宿中の練習風景で、数名の弦楽器奏者と男子学生らしき指揮者が棒を振る写真が付いていた。団員募集のリンク先に行くと、弦楽器はもちろんのこと、ほぼ全パートにおいて「団員募集中!」の文字が踊っていて、この団の人材不足の切実さに多少の不安を覚えた。

「お、クラリネットも募集しとるやんけ」と、扇田が嬉しそうに話した。


 ――クラリネット……常時募集中、君の参加を待ってるよ!


 君、なんて文字につい目が奪われた。僕に呼びかけているような錯覚を覚え、いやいやそれはないと即座に否定する。三月末からホームページは更新されていないし、新学期が始まって新入部員が補充された可能性は十分にある。供給過剰のクラリネットに過大な期待をしてはいけない、というか、もう楽団には未練がないときっぱり心に決めたのだ。


 ふうんと相槌を適当に交わしてその場は終了したのだが、その数日後、扇田からLINEが入った――『一度こっちに来いって。上手くいけば入団させてくれるかもしれんぞ』


 僕のためにわざわざ外大オケに連絡を取ってくれたらしい。意外にもマメというか、必要以上にお節介な奴ではある。余計なことをするなよと、僕の心は相も変わらず天気がぐずついていて気は進まなかったのだけど、その好意を無下にするわけにもいかなくて――というのは建前で、やっぱりオーケストラというものに僅かながらも心残りがあったのだ――その二週間後の金曜日、三限目の講義が終わったあと、外大オケへと足を運んだ。


『外大に来たらサークルボックスという建物があるので、その三階に来てください』との団長からのメールに従い、大学案内の地図を見ながら単車を走らせた。校内に入って校舎裏のなだらかな坂道を上がっていく。単科大学だからか城西大学医学部のような威圧感のあるビルはなく、四階建てのほどのこじんまりとした建物が点在している。山の中に建つ大学は鬱蒼うっそうと茂る緑に囲まれていて、赤いレンガに覆われた棟の連なりは下界から隔離されたどこかの国の要塞のようだ。建物の隙間という隙間から、樹々の葉っぱがこちらを覗き込んでいる。火照りを感じるほどの初夏の日差しがヘルメットに熱を籠らせて、樹々を抜ける風が暑さを優しく和らげてくれた。


 目的の建物は細い通りを抜けた、大学のずっと奥にある。四限目の講義中で道路には人っ子一人いない。坂道を上がり切ったところに、ベージュ色をした箱型の建物はあった。雨だれの黒い跡が壁にこびり付き、所々に黒い稲光のようなひび割れをしていて、年季を感じさせるくすんだ色をした、三階建ての古びた建物だった。


 あまりにも侘しい佇まいに不安を隠せなくて、単車に跨ってその場から動けずにいたら、頭上から弦を鳴らす音が降ってきた。

 バイオリンの音、かな。弦楽器のことはよく分からないけど、音程がしっかりと取られていて上手いと素直に思えた。


 これが例の「サークルボックス」で合っているようだ。隣の駐車場に単車を止めて中に入った。運動部の控室も兼ねているのだろうか、カビと埃と汗の混じった湿っぽい空気が気管を刺激して思わずむせた。階段の隅には黒い埃がこんもりと蓄積されていて、小人たちが埃の山でソリ遊びでもできそうだ。三階まで上がって細長い通路を左右に見渡す。いつしかバイオリンの音は消えていた。人の気配はなく、僕のスニーカーの床を擦る音だけが廊下に響く。廊下奥の扉窓から差し込む光がスノードームのように埃を揺らしている。メールに添付されていた地図を頼りに左手奥から二番目の扉まで歩く。「セクション部屋」と地図に書かれたドアには一枚のポスターが貼られていた。


 バカでかい赤文字のうたい文句――『オケに入る? もちろんオッケー!』


 その下に親指を立てた男性の写真が桶の絵の中にペタリとくっ付いていた。笑顔の眩しい男性で、頭にはイラストの布巾が載せられて、湯気が三本立っている。

 絵の前でしばらく佇む。うん、どうやらここが目的の部屋らしい。ポスターのセンスには付いていけないが、ユニークそうな楽団ではある。

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