(2)
「オケのことはもういいよ。これも運命だと思って諦める」
「なんやねん、その後ろ向きな考えは。ちょいと落とされたぐらいで凹むなや」
「凹んでなんかねえし」
「それともなんや、
思わずぐふうっと息を詰まらす。カレーにむせて咳き込んで、「み、みっ……」と呻く僕に水が手渡された。
「みっ、水じゃねえ。美華のことには触れるなよ、お前……」という訴えも空しく、「いやいや、美華ちゃん、さすがやなあ。彼女に負けるっつーは、男にとったらダメージでかいもんなあ。あ、彼女じゃなくて元カノか、どっちでもええわ」と、扇田は青い顎を撫でながら、言葉のナイフを次々と煽ってくる。
全く、他人事だと思って偉そうに。まばらに生えたコイツの髭を、毛抜きで一本ずつ引っこ抜きたい気分に駆られる。水を飲んで不快な苛立ちを胃袋へと押し返した。
美華――
高校二年のときに、僕はとある事情で茨城から大阪へ引っ越してきて、吹奏楽部に入った。中学から続けているクラリネットだ。そこで出会ったのが美華だった。はっきりとモノを言うタイプの明るい子で、まん丸目玉があちらこちらに動く様が、掌サイズの小動物を連想させるような愛らしさがあって、僕には勿体ないくらいの女の子だった。そんな女の子が告白してきたのだ。「真面目そうでちょっとタイプやねん。付き合って」と。信じられなかった。重力が消えてつま先で歩けるほどの夢心地になった。横に並んで帰宅しながら、緊張して会話の弾まない沈黙の中で、この先のことをいろいろ悩んで、ああだの、こうだのといった今後のやましい段取りさえしていたのだ。
いや、あの夢心地は本当に夢だったのかもしれない。いっそのこと夢だったらよかったのに。そこから先どうこう進むわけでもなく、彼女から話しかけてくれることも次第になくなってきて、たった半年で交際は自然消滅した。最後のLINEは「アルって、いつも何考えてんのか分からへんな」だ――何を言うか、人の気持ちなんて分かるわけがなかろうが。スマホを地面に叩きつけようとして咄嗟にそれを思い留めた。高校時代の小遣いは月千円だ。修理代だけで破産する。
もしかすると真面目すぎる僕の性格がいけなかったのだろうか。彼女はその後すぐにバスケ部員と恋仲になったそうだ。ふざけたノリをエンドレスに会話へ挟むようなお調子者で、そういう奴がタイプだったのかと結構なダメージをくらった。同じパートでいることだけでも気まずかったのだけれど、それよりも厄介だったのは、僕たちの関係を知っている部員がちらほらといたことだ。振られて捨てられた哀れなクラリネット吹きだと後輩たちから
その彼女と同じ大学になったのも忌まわしい腐れ縁ではあったのだが、まさか管弦楽団の入団オーディションで鉢合わせをするとは夢にも思わなかった。いっそのこと夢にしてくれと自分を呪った。「一緒に受かろな」と、何事もなかったかのようにしれっと笑みを浮かべる彼女の無神経さに腹が立って、それでも心が揺れる自分が情けなかった。運命とは無慈悲なもので、彼女は合格、僕は不合格、完敗だ。演奏技術だけは負けない自信があったもんだから余計に悔しくて、布団でグルグル巻きになって押し入れに仕舞われたいほどの鬱な気分を味わう羽目になった。
「俺としては美華ちゃんよりも、アルの方が断然上手いと思うんやけどなあ。分からんもんやなあ」
「もういいから彼女のことは蒸し返さないで。というか、ほんとに外大にオケなんかあんの?」
「おう、ホレホレ、見てみいや」
扇田の見せてくれたスマホの画面に、城西外大オケのホームページがあった。普段の練習や演奏会のお知らせなどが写真添付で紹介されている。
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