吉原の見世と出合茶屋

良前 収

着流し姿の男

「他の花魁おいらんを、話さなんすな」

「ん?」


五枚重ねの布団の上にどっかと胡坐あぐらをかき、ゆったり煙管きせるをくわえていた若い男は、軽くしなだれかかってきた馴染みの花魁へ顔を向けた。男は大柄であるので、小柄なその女は頭を男の脇の辺りに置いて、上目遣いに見上げてくる。


くるわとて、浮気はご法度でありんす」


他の花魁を話さないで、つまり他の花魁を買わないでと、この花魁は言っている。確かに遊廓ゆうかくであろうと、一度馴染みの花魁を作れば他の花魁に流れるのは後ろ指さされる、どころでは済まないことが多い。

だが、


「はは、わしにそれを言う花魁も珍しい」


男はただ笑って、その女の肩をもう一方の手で抱いた。だが花魁はいやいやとかぶりを振って、男の手を逃れて身を離し、そっぽを向く。


「柳さま、ひどうござんす」

「そう、つれなくするな」


また低く笑い声を上げながら男は煙管を盆にほうって、花魁を腕で抱え込んだ。おとがいに指をかけ、上向かせた。


「可愛い顔を見せてくれ」


そして目をじっと見る。女の身体がびくりと跳ねた。そのまま男の腕の中で、硬直する。

やがて、必要なことを男は女の目から視線を外した。途端とたん、花魁の身体から力が抜け、くたくたと崩れ落ちそうになる。


「おっと」


男はもう一度花魁を抱え直し、いで横たえた。覆いかぶさる。


「柳さまの、いけず……」


ふいっと目をそらす花魁に、男はまた笑った。


 ◇


昼日中ひるひなかの江戸の町を柳はのんびりと歩いていた。着流しの格好で袖に両手を差し込んで、いかにもそぞろ歩きという風情ふぜい

着物といい履物といい身を包む物全ての、誰もが気付ける上質さと洒脱しゃだつさから、さてはどこぞの大店おおだなの若旦那ではと囁かれそうなものだが、道ですれ違う者のほとんどは彼に注意を向けない。

時折「やぁ柳の旦那」などと声をかけてくる者がいて、柳もにこやかに挨拶あいさつを返すが、それだけだ。


彼が差しかかった四つ角に、一人の娘が待っていた。

派手ではないが品よく華やかな着物、商家の娘といった身形みなりだった。けれどもやはり、その娘を気にする者はいない。


柳と娘は互いにうなずきのみを交わして、連れだってさらに歩いた。道中、どちらも無言。

二人の行った先は出合茶屋であいぢゃやだった。ほぼ言葉を発しないまま部屋に入り、少しの酒とさかなが出されてから、二人きりになった。

その瞬間、娘がやっと口を開く。


「おい、そろそろ私の堪忍袋の緒も切れるぞ」

「ん?」


柳は飄々ひょうひょうとした態度で徳利とっくりに手を伸ばそうとしたが、バシッと娘に叩き落とされ「いてぇ」と呟く。


「なぜお前と仕事の話をこんなラブホテルでしなければならないんだ!」

「そりゃ二人きりで長時間もってるのに、ちょうどいいから」

「他にも選択肢はあるだろ!」

「じゃあ所帯持つ? そうすりゃ毎――いってぇ!」


娘のほぼ本気の殴打が柳の頭部を襲い、彼もさすがに悲鳴を上げた。


「結婚直後の男が遊廓に通うなど、悪目立ちするにも程がある!」

「どうせ認識阻害具を使うんだから大丈夫だって」

「調査対象や協力者は阻害範囲から外すだろうが!」

「いい案だと思うんだけどなぁ」

「馬鹿も休み休み言え!」

「ちぇーっ」


柳は肩をすくめ、半分本気の冗談をそこで止めた。


「じゃ、報告会を始めよっか」

「……おう」


娘は盛大なため息を吐いていたが、ひとまず二人の「仕事の話」が開始された。

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吉原の見世と出合茶屋 良前 収 @rasaki

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