【KAC20245】私の人生にまつわる「はなさないで」

下東 良雄

私の人生にまつわる「はなさないで」

「はなさないで」


 そんな言葉を頼り、そんな言葉に支えられて生きてきた。



 ある朝、私は産まれた。

 三千グラムの元気な女の子。

 私の周りにはたくさんの笑顔。

 優しく私を抱き締めるお母さん。

 きっと私はこんな風に思っただろう。


「はなさないで」



 自転車に挑戦。

 ふらふらと進む幼い私。

 ガシャンと転んだ。

 それを見て笑っているお父さんとお母さん。

 泣きじゃくる私は怒ったと記憶している。


「はなさないで」



 私の初恋。

 中学の時の部活の先輩。

 でも、先輩には彼女がいた。

 私から見てもお似合いだ。

 でも、おしゃべりするふたりに私は嫉妬した。


「はなさないで」



 父の死。

 突然のことだった。

 交通事故。

 号泣する母を抱き締めた。

 そんな母が私につぶやいた。


「はなさないで」



 社会に出て、初めてできた恋人。

 ぽっちゃりのおデブさん。

 全然カッコよくない。

 でも、とってもとっても優しいひと。

 彼に抱きつきながら、私は言った。


「はなさないで」



 彼と結婚。

 幸せな家庭を築き上げた。

 だけど、それは長くは続かなかった。

 夫に見つかった癌。

 泣きじゃくる私の手を、夫は病床から握ってくれた。


「はなさないで」



 孤軍奮闘。

 ふたりの子どもたちのために必死で働いた。

 ある日、心が折れた。限界だった。

 夫のところに行きたい。

 そんな私を子どもたちが抱き締めてくれた。


「はなさないで」



 子どもも巣立ち、私はひとり。

 のんびりと平和な毎日を過ごしている。

 時間の経過とともに失われていく記憶。

 愛する夫のぬくもりも忘れかけている。

 記憶の中の夫にお願いする。


「はなさないで」



 私の周りに子どもたちと孫たちがいる。

 私も、子どもたちと孫たちも笑顔だ。

 でも、みんな涙をこぼしている。

 私の手を握る孫たち。

 ゆっくりとまぶたが閉じていく。


「はなさないで」



 ここはどこだろう。空の上?

 自分を見てみると若返っている。

 そして、私の目の前には愛する夫がいた。

 私に向けて笑顔で両腕を広げる夫。

 私は、夫の胸に飛び込んだ。


「はなさないで」


 永遠に。



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