あなたがいるなら

ムラサキハルカ

抱きしめてもらえれば……

「はなさないでって、思ったんだ」

 ハンバーガー屋のボックス席。その向かいに座る道子みちこが、うっとりと言った。俺はうんざりしつつ、ポテトを齧る。

「おい、ミチ。その話」

「もう、何度目だって言いたいんでしょ。聞いてくれてもいいじゃん」

 幼馴染なんだからと言ってから、むっとした顔をする。こぼれそうなくらい大きくなった目も、としては、もはや慣れっこだった。

「はいはい、わかったわかった。好きなだけ話せ」

「もう。ライくん嫌い」

 少しだけ傷ついたものの、なんともないフリをし、続きを促す。道子は相変わらずぷりぷりしていたが、気を取り直したらしく、それでねそれでね、と頬杖をつく。

「初めて抱きしめられた時に、はなさないでって思ったの」

 さっき、聞いたという突っ込みは、話が終わらなさそうだったから、飲みこんだ。

「アキラさんの体ってとっても大きくて温かいでしょ。だから、このままずっとくっついていたいなって」

 実際にけっこう長くくっついていられたなって思うんだけど、と振り返った道子は、自分の薄い唇に人差し指を当てたあと、けど、としょんぼりし、

「永遠って、ないんだよね……」

 憂い気に言う。

 またか。何度も俺相手に同じ話をしくさってくるくせに、何度も過去の同じ感情を思い出している。ご苦労なことだ。

「いちいち、言い方が大袈裟なんだよ」

「大袈裟じゃないよ。じゃなきゃ、こんなところでライくんと油なんか売ってないし」

 今もアキラさんにくっついてられればいいのになぁ。ぼんやりと呟く道子の目はどこまでも本気だった。ちょっとばかし、聞いているのが辛いくらいに。

「そうかよ」

「拗ねたの? ごめんごめん。言い過ぎだったね。ライくんのこと、割と好きだよ」

 たいして感じ入ってない風に謝る幼馴染に、そんなんじゃねぇって、応じつつも、の話から離れられるならいいかもしれない、なとも思う。

「嘘じゃないよ。アキラさんほどじゃないけど」

「はいはい、ありがとな」

 嘘はないとわかるからこそ、逆に思うところがあるのだが、気にし過ぎても無駄に神経を擦り減らすだけだというのは、経験則で知っているため、雑な返事をする。そんな俺の態度が気に障ったからか、道子は頬を膨らましたが、すぐに自分が何を話していたのかを思い出したらしく、それでね、と前置きをしてから、

「アキラさんの女に引き離されちゃったの。いい加減にしなさいってね。そりゃ、自分の男が他の女とイチャイチャしてたらムカつくもんね。あたしも同じことされたら、腹が立つし。その時は言葉にできなかったけど、今思うと永遠がないってわかったんだなって」

 人の身にはかぎりがあるんだよ、と道子は自虐的に笑う。

「でも、あの頃はまだましだったかな。愛だの恋だの知らない子供だったから、体面なんか気にせず好き勝手に振舞えたし、好きに使える時間も長かった。だから、アキラさんの女が何を言おうと、くっつきまくってたし、なにも気にせずに甘えられた。アキラさんは働いてたし、あたしもしばらくしたら幼稚園に行かなきゃいけなくなったから、段々一緒にいられる時間も短くなっていったけど、それでもかなり満たされてたよ」

 幼馴染は目を輝かせて、ただただ楽しかった過去に思いを馳せていた。少なくとも、俺や学校の連中と過ごしている時にはこんな顔をしたりはしないし、たぶん、これからもすることはないに違いない。古くから親しくしている身としては情けないかぎりだが、もう散々わからされている。

「でも、小学校に行くようになって、人間関係が複雑になったり、やらなきゃいけないことが増えたら、そうも言ってられなくなった。おまけに、アキラさんの女は、幼稚園より前みたいにおおめに見てくれなくなったしね」

「『ミチちゃんも小学生になったんだから、もう子供みたいに甘えたりしないの』って言われたんだっけ」

「そうそう。でも、ひどくない? 小学生ってまだまだ甘えたいざかりだと思うんだよ。なんなら、中学生もそうだし、高校生だって」

「いや、高校生で子供の頃みたいにべたべたに甘えるのはどうかと思うが……」

「それはライくんが冷たいからだよ」

 遠慮のない一言。なんというか、もう少し手心を加えて欲しかったが、求めたところで鼻で笑われるだけなので、そうかもな、と応じ、ストロー越しにコーラを吸いあげる。道子は、ライくんはもう少し家族を大事にした方がいいと思うよ、とお姉さんぶって口にしたあとキリっとした顔で、

「きっと、アキラさんの女はあたしを脅威に感じてたんだよね」

 と断言する。

 相手にされてなかっただけだろうと思うのだが、道子が泣くかもしれないので、口をつぐんだ。

「とはいっても、形としてはあたしの横恋慕だったし、アキラさんとその女の関係はなによりも深いのはわかってたの。だから、真っ向から甘えるのは、なかなか無理があるなっていう自覚はあった」

 薄く笑う道子は、色々頑張ったんだよ、としみじみと呟く。

「女の目を盗んで、アキラさんにハグしてもらったりね。アキラさんはあたしの味方だから、二人きりだったらお願いを聞いてくれるし、向こうもそうしたいっていうのがわかってたから」

 ホントかよ、と思う。良くも悪くも、道子が勝手に話しているだけだし、ゴネにゴネて向こうが折れただけなんじゃないかと疑ってる。

「できるだけ長くアキラさんと過ごしたいから、休みの日はできるかぎり予定は空けたしね」

「ミチはずっと付き合い悪いしな」

 それは親交が生まれてから今日にいたるまで変わらない部分だった。昔から、腕時計を付けていたこの幼馴染は、放課後に一緒に遊んでいる時でも、常にアキラさんと会うことを意識していた。男勝りな女の子だった道子が、何かに急かされるようにして帰り道を走る姿を見て、子供心にもっと俺たちにかまってくれてもいいのに、と思っていた。

「そりゃそうでしょ。アキラさんと会うまでの暇つぶしなんだし」

 全ての価値がそこに集約されているのは、今更だったが、路傍の石程度の価値しか置かれていない物言いに、やはり親しい人間としては寂しさが募る。

 俺の気持ちを知ってか知らずか。道子は、こうやってセコセコ時間を稼いではいたけど、と寂しげに口にしたあと、

「やっぱりアキラさんが一番一緒に過ごしているのは、あの女なんだよね。抱きしめられてるのも、くちづけをしているのも、それ以上のことも、全部全部、あの女のもの。そういうのを、あたしは一番傍で、ずっとずっと見せつけられてきたってわけ」

「しょうがないんじゃないか」

 現に付き合っているのはあの人なんだから。俺の物言いに道子は、わかってるよ、と苛立たし気に口にしたあと、でも、と付け加える。

「あたしよりもずっと早く生まれたってだけで、あの人がアキラさんの女になれてる。そのことは今も納得がいってない」

「それは……」

 そもそも仮に、道子とアキラさんとあの人が同世代だというが起こったとしても、アキラさんがこの幼馴染に振り向いたかどうかはわからない。心の中ではそう突っこんでいたが、このことは道子にしても百も承知のはずだ。ただただ、受け入れられないというだけで。

「あたしは今も昔も、アキラさんがあたしをはなさないでいてくれたら満足。あの時みたいに抱きしめてもらえれば、それで」

 感極まったように口にした道子は、手元に置いてあった食べかけのアップルパイを齧る。

「冷めてる……」

「そりゃな」

 現に俺のポテトもふにゃふにゃかつ冷たいものになっている。どことなく残飯処理じみた気持ちで、残り少ないあげ芋を片付けつつ、うつむき気味の道子をぼんやり眺めた。

 小学生の頃から高校生である今日まで、度々、愚痴に付き合わされている。たぶん、俺が幼馴染であるかぎり、この苦行は続くに違いなかった。時が解決する日を夢見つつも、しばらくは無理だろうという予感がある。なにせ……

「お待たせ、みっちゃん」

 聞き覚えのある大人の声に顔をあげる。スーツ姿のがっちりとした男がいた。

「アキラさん!」

 直後に立ちあがった道子が、男に抱き着く。男は動じるでもなくまっすぐに受け止めたあと、

「こらこら。外ではだろ」

「いいでしょ。知ってる人なんてライくんしかいないし」

「それでも、人目があるかもしれないしね。みっちゃんの高校のお友だちとかが見てたら、驚いたりするだろ?」

「大丈夫だよ。あたしの友だちってライくん含めて、理解がある人たちばっかりだし」

 ねぇ、ライくん。強い目線で念押ししてくる幼馴染に、そうですね、とやや不本意ながら援護射撃を送る。アキラさんは、みっちゃんがそれでいいならいいけど、と苦笑いを浮かべたあと、

「じゃあ、帰ろうか」

「うん。今日はアキラさんの大好きなハンバーグを作るね」

 体を寄せたまま腕まくりをする道子に、それなんだけど、とアキラさんが呟く。

「さっき、メールしたら、お母さん、もう作りはじめてるって」

「また抜け駆けされた! ずるい!」

 悔し気に唇を噛み締める道子を、アキラさんは、まあまあ、と宥める。その顔は困っているようでもあり、心の底から楽しそうでもあった。

 そんな二人の様子を見つつ、俺はいつもと同じように、道子のに対する強い執着はどこに結びつくのだろう、と考える。きっと、どうにもならないだろうし、できれば実を結んで欲しくなかったが、それでもこの幼馴染にとってできるだけ幸福な結末が訪れればいいなとやんわり思う。

「そうだ。ライくんも夕飯を食べていかないかい。たぶん、お母さんはいっぱい作ってくれるだろうし、食事はみんなでとるのが楽しいしね」

 どうかな。無邪気に尋ねてくるアキラさんは、右の腕を道子に回し、抱きしめている。とても満足そうに頬を弛めている幼馴染の顔を見て、俺は愛想笑いをしながら首を横に振った。

 




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