第18話 一ノ倉には何もない

一ノ倉には何もない、一言で言って瀬戸よりずっと田舎だ。多治見市にはJRの駅があるしバスだってそれなりに通っている。だけど一ノ倉には電車もバスも何もない。マイカーだけが頼みの綱だ。陸の孤島といってもいいかもしれない。新しく出来た一ノ倉ハイランドならだいぶ違うかもしれないだが古い住宅地は道路の幅も狭くて家の数も本当に少ない町と呼べないレベルだ。綾子さんの家は30年ほど前にお父さんの勤め先が今の学校に決まった、時購入されたそうだから新しい住宅地の方か、古くからの住宅地の方か微妙なところだ。30年前というと一ノ倉ハイランドがそんな時分にできたと思う。だからそっちの方かもしれない。

何もないだろうなと思いながら休みだったし、お金もなかったから大したところには行けそうもなかった。だけど今日はちょっとした気分で珍しく一ノ倉まで来てしまった。とんだ無駄遣いだ、ガソリン代もないのに。一ノ倉に来ても綾子さんには会えないだろうし、会っても困っちゃうけど。今はまだ職場で偶然会えるぐらいが一番いい。というかそれ位がちょうどいい。自分の中では会いたい気持ちがいっぱいだけどこれは誰にでも話せやしない。あまりにも年齢が離れすぎていて話しても誰も分かってくれないし、察してもくれないだろう。これは自分の胸に秘めておくしかない。僕は恋をしているし、そのことは確かだ、それも相当ヤバイくらいに。一ノ倉に行けば綾子さんに会えるとはサラサラに思っていなかった。会っても困ってしまうし、それならどうして行ったんだろうと言われても困ってしまうんだけど、恋をしているからだとしか答えようがない。恋をしている人間は馬鹿なことをやるもんだ。

一ノ倉にあるバローに入って何気なくパンでも買おうかと思った。特にお腹は空いていなかったがそんな気になった。綾子さんと同じような年格好の人を見かけるとつい見てしまう。ブランド品でも特におしゃれでもないTシャツを着て買い物をしている人、同じ年恰好の人を見ると綾子さんかなと思って見てしまう。洗いざらしのTシャツを着てプレスもなしで歩いてる若い女性を見るとやっぱり綾子さんかなと思って見てしまう。一ノ倉に住んでいる若い女性はみんな綾子さんのように見えてしまう。俺は一体何をしているんだろう。答えは簡単だ、恋をしているだけだ。

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