第9話 パソコンの準備
最近綾子さんは3階のルーツの部屋から時々2階のスクールの方に降りてくることがある。何をしに来るのかなぁと思って見ていたらルーツの授業で子供たちが使うパソコンのための電源を入れに来ているらしい。
水野駅の事業所で使っているパソコンは少々古いので、早めに電源を入れておかないとすぐには立ち上がってくれない。そのために子供たちがパソコンの練習をするとき授業の時間を減らさないように職員が交代でパソコンの電源を入れに来るのだ。水野駅の事業所にはエレベーターが無い、二階と三階の行き来は階段を使うしかない。そのために一番若い綾子さんにそのお役目が回ってくることがどうしても多くなる。だから今日も綾子さんが二階までパソコンの電源を入れに降りてきていたわけだ。その後子供たちが次々と三階から降りてきて十数台あるパソコンを運んで行ったパソコンはノートパソコンなので簡単に持ち運びができるし、充電式の電源がそれぞれのパソコンにつけられているため早めに電源だけ入れておけばパソコンは子供たちが自分で使う分だけ移動して三階で使うことができる。こうして僕は春日台に車で迎えに行くときだけでなくルーツの子供たちがパソコンを使うときにも綾子さんが電源を入れに降りて来るのを楽しみに待つことができた。綾子さんはいつも僕と目が合うと軽く会釈してくれた。そしていそいそとパソコンが置かれている部屋の片隅に行って次々とパソコンの電源を入れて行く。僕はそれを部屋のみんなに分からないように横目で見ていた。僕の顔は正面で作業している子供たちの方を見ていたけれども、気持ちは完全にパソコンの部屋で動いている綾子さんの方を見ていた。綾子さんは電源を入れるだけでなく、いつも何かしら一言二言言っていく時があった。誰に言うともなく「一年生の綾子です」とか「パソコンの電源を入れにきました。」とか「パソコンを借りに来ました。」とかほんの短い一言だけども僕はこの世で一番美しい音楽を聴いているような、この世のものならぬ風景を見ているようなそんな気持だった。スクールのほかのメンバーには気付かれないように僕はその時間をいつも心待ちにしていた。僕はいっさい顔に出さないようにしていた。綾子さんも普通にしていた。仕事でパソコンの電源を入れるだけだから別に嬉しくもないだろうし、僕は本当は嬉しくてたまらなかったが外には一切出さないようにしていた。誰かに知られるのはいやだったし、そのことで綾子さんに迷惑がかかるのはもっと嫌だった。
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