CHAPTER 16
地獄のような日々が、彼らを襲った。
人間としてのアイデンティティを奪われた者。
そんな彼らに命を奪われた者。
仲間を信じようとする者。
人間であろうとする者。
そんな者に、寄り添おうとする者。
数多の人間の、あたりまえの日常が奪われた。
激動の2日間の中で、自分の運命に抗い、そして立ち向かう者達は遂に最後の敵と対峙する。
しかし、その中で見え隠れする不穏な影。
悲しみが連鎖する中で、彼らの運命はどう変わるのか。
あたりまえの日常を、取り戻すことが出来るのだろうか。
戦いが終わった暁に彼らを待つのは、あのあたりまえの日常か。
それとも、全てを失った世界か。
物語はまもなく、終焉を迎える…。
「…どういうことだ!?まだそんな隠し玉を持っていたとは…!」
「隠し玉?違うよアモウさん。こいつはそんなんじゃあない」
ゴンダが変化した、サタンオオカブトを思わせる怪物‐サタナスビートル・スプライトが、騎士甲冑のようなスリットの奥、その瞳を妖しく輝かせる。
「…真に最強と言われる昆虫は、オニヤンマだ。雀蜂でさえ忌避する程に、昆虫界では捕食者の頂点たる存在…つまり、こいつは王だ。新世界のなぁ」
騎士のような、しかしゴンダの肥満体型が変化した屈強な体格に、何故か純白の体躯。その姿はまさに王に付き添う近衛兵のようだ。
「分からんな…」
「ん?」
エンプーサが、拾い上げていたブレードを左手に装着する。
次いでトモエが、そのロックを掛けた。
「?ありがとう…」
「ううん…大丈夫…」
「おいおい、意味深なことを言っておいてさあ、そこでいちゃつくのかい」
「いや」
左腕を少し動かし、小さく頷くエンプーサ。そして、あらためて顔を奴らへと向けた。
「…あんたが仕組んだ騒ぎの果てに…王たる存在を出してきた。ところが、それが首魁であるあんたではなく別人だった。腑に落ちんだろ」
「…なるほど。なら話は簡単だよ」
「どういう意味なの?ゴンダさん」
「おれが作ろうとしている世界は…こいつの為にあるからだよ。トモエさん」
「そいつの…為?」
「あんたはその下に収まるってことか?ますます話が見えないな。あんたが作り出した存在の隷属になろうって言うのか」
「もう君に話す必要もないだろう。君はおれを拒んだ。だから、おれはこいつと作るんだ…新しい世界をなっ!!」
剣‐いや、もはや大剣に近い得物を構え、サタナスビートル・スプライトがエンプーサ目掛けて不意に突進してきた。
その切っ先は、エンプーサの喉元を掠める。
間一髪だった。
「いきなり斬り掛かってくるとはな!!トモエさん、離れてろ!!」
「うん!」
大剣を振り下ろしたモーションのまま、サタナスビートル・スプライトが顔をこちらへ向けた。
「話はもういいだろうと告げたはずだが?悪いが断罪処刑とさせてもらう。君をスプライトとしたことが、おれが唯一犯した過ちだったかもしれないな」
「…」
物言わぬまま、直立していたオニヤンマ‐ゴールデンリング・ドラゴンフライ・スプライトも、並ぶようにしてサタナスビートル・スプライトの横に陣取る。
生気のない、ゆらゆらとした動き。
気味の悪いものだった。
「黙れ!こうなったこと自体が過ちだろうが!!あんたは出だしから間違ってんだよ!!だから倒す!その最後の被験者共々な!」
ブレードを構え、近づこうとするエンプーサ。
だが、彼の身体は横方向から薙ぎ倒されてしまう。
壁に背中を打ちつけ、意識が遠のきそうになるのを、なんとか堪える。
「…!?な、何が…起きた…」
「アモウさん!!」
「う!?」
顔を上げたその先には、ゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトの姿。
気味の悪い顔が、こちらをのぞき込んでいた。
翅が、小刻みに揺れていた。
「まさか…」
「……」
蜻蛉にしては小さい瞳孔。
それが、ぼんやりと光った。
「あの位置から…俺を襲ったというのか…?」
「そ」
サタナスビートル・スプライトが、コミカルな歩き方でエンプーサに迫る。
「言ったろ。こいつは王だ。君がいくら完成型とはいえども、こいつには敵わない。オニヤンマをベースとしている以上、こいつは最強だ」
「何を…っ」
「だから…おい。お前は手を出すな。お前が出るまでもない。アモウさんは…おれが倒すからさ」
ゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトの肩に、サタナスビートル・スプライトがそっと手を置くと、諭すように撫でた。
だが、その行いはエンプーサの神経を逆撫でする形ともなった。
「ふざけやがって…!」
体勢を、整える。
しかし、王たるゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトも、依然として戦意を隠そうとしない。
あくまでも、二人で戦うことを望んでいるようだった。
「王だと…?何処の誰か知らねえが…ゴンダ!!まずはお前に落とし前をつけてもらうぜ!」
「はっはっはぁ!!やってみろお!!」
ブレードを、サタナスビートル・スプライトへと叩きつける。
ヒビさえ入らなかった。
その左腕を、逆に掴み上げられる。
「ぅあっ…!!」
「…アモウさんよ。何故おれが自身に甲虫の遺伝子を移植したか教えてやろうか」
「何っ…」
「全ては王を護るためだ。甲虫の硬さは知っているだろう…甲虫王者ムシキングなんぞやらぬとも、誰もが知っている常識だ…」
「ぐぬっ…う…」
「そして、甲虫の中でおれに適合していた甲虫…それがサタンオオカブトだった。まあ、種類はなんでもよかったんだが…」
「ぐあっ!!!」
顔面に、大剣を叩きつけられる。
左腕は、掴まれたままだ。
「王には絶対的捕食能力…そして、それを護るおれには…絶対的な強度を誇る防御力…それが必要だったんだ」
「がはっ!」
次いで、大剣が振り下ろされる。
「そして…言うならば、君に適合していた大蟷螂は攻撃性で言えば昆虫界隈において最強クラスだ。だからこそ、おれは君を手元に置きたかった。共に王を守護するためになぁ」
また、大剣が振り下ろされる。
「ぐあぁ!!」
「攻守一体の守護があれば、王は傷つくこともない。新しい世界は、安泰になるはずだった。我々がその関係になっていれば、ね」
またまた、大剣が振り下ろされる。
「げぇあ!!」
「だが…そんな堅苦しいスーツに身を包んで己の在り方を誤魔化そうとした君には…まー失望したよ」
またまたまた大剣が振り下ろされる。
「があ!」
「同じスプライト同士…仲良く出来ると思っていたのだがね。昔のように…」
「がぁあぁぁあ!!!」
4度目の、大剣振り下ろし。
その一撃が、エンプーサの仮面を完全に叩き割った。
「ぐぁぁぁぁあーっ!!!」
「あっ、アモウさぁん!!!」
割れた仮面の破片が、床に散らばった。
「アモウさん!しっかり!しっかりして頂戴!!」
「どけ、女」
「きゃっ…あっ!」
倒れ込んだアモウを懐抱しようとするトモエを、サタナスビートル・スプライトが突き飛ばす。
そうして彼は、素顔が露になったアモウの胸ぐらを掴み上げた。
「…いつまで人間のつもりでいる?いい加減に認めたらどうだ…?君の運命はおれが変えたんだよ…すなわち、握っているということにもなる。なら…」
「嫌だっ…っつってんだろ…」
「はあ?」
「俺は…自分を曲げない…俺は人間でありたい…アカツキ・アモウという人間でいたいんだ…!!」
「…馬鹿だね。アカツキ・アモウという人間のアイデンティティなど、とうに失われているんじゃないか?もう、今まで通りの日常は送れないぞ…?ん?」
「何故だ…何故あんたは…変わってしまったんだ…」
「変わっただと?」
「そう…さ」
アモウは、ひび割れてゆく表情を、怒りの色に変える。
「…あんたは、優しい人間だった!!こんなことをするような人間ではなかった!!それは俺もよく知っているつもりだ!!」
「……」
「人間に昆虫の遺伝子を移植し、生物兵器へと変える…これは、悪魔のすることだ!!だが、あんたはその所業を犯した!!どうしてなんだ!!何があんたを変えてしまったんだ!!」
「君に話す道理は…無いと言ったろう!!」
「ぐう!」
堪らなくなったのか、サタナスビートル・スプライトがアモウを突き飛ばす。
彼は、トモエの隣に倒れ込んだ。
「っ…ゴンダさん…!答えてくれ!!どうしてこれだけの犠牲を出さなきゃならなかった!?何故スプライトという存在を作り出す必要があったんだ!?」
「しつこいんだよ君はぁ!」
大剣を担いだサタナスビートル・スプライトの横に、ゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトが並び立つ。
そして、つかつかとアモウの方へと歩み寄って行った。
「べらべらと余計な質問を投げかけてくる…いらねえよ、そんなもん」
「納得出来る答えを教えてくれ!!ゴンダさん!」
アモウの中にはあったゴンダへの復讐心。
それが、少し薄れつつあった。
何故か。
この、サタンオオカブトの姿をしている怪物。
その見えない瞳から、涙が見えた気がしたからだった。
この男は、本当は慟哭しているのではないか。
何に対してかはわからない。
ただ、自分ではなく最後の被験者を、王だと称する不可解な点。
つまり、この男は生物兵器による世界の征服などは望んではいない。
もっと、別の目的があるはずなのだ。
なら、かつて友と呼んだこの男の真意を探らずにはいられない。
例え、自分がもうあたりまえの日常を送れなくなったとしても。
「訳も分らぬまま…死んでたまるかよ…!!」
「訳を知らせる必要もないんだよ、君にはな」
「ゴンダさん……俺は……うっ!?」
「!アモウさん!?」
立ち上がった矢先。
アモウの中で、何かが変化した。
身体?
内臓?
心?
そのどれともつかぬ、不思議な感覚。
だがこれは…
「…やっと。やっと…その時が来たみたいだねえ」
「う…」
爪を突き出そうとしたゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトも、思わずその手を止めた。
アモウの頭の中に流れ込んでくる、妙な声。
これは、野生の蟷螂達の声。
病院で感じたものよりも、より鮮明で、激しいものとなっていた。
そして、身体を巡る血流が急激に高まるのを感じた。
動悸が、始まる。
昨日この部屋で覚えた、あの感覚。
「セルスーツの破損が、引き金になったか。なるほどなあ、確かに抑制効果はあったみたいだね。だが、それとて一緒だよ…」
サタナスビートル・スプライトが、大剣を担いだまま口元を歪める。
「どのみち、今になって覚醒されても困るわけよ。君の意思は確認済だし、それなら…」
「ぐ…う」
「セルアウトおめでとう。そして…死ね」
「ぐっ……うっ、あ…」
雑多な感情が、身体中を巡る。
額から触覚が。
瞳が複眼化し。
体表が変化を始める。
その時が、訪れた。
だが
「アモウさん!!」
「!?何だお前っ…」
苦しみに悶えるアモウを尻目に、トモエがサタナスビートル・スプライトの身体を押さえ込もうと腕を突き出して、羽交い締めにしようとしていた。
「アモウさん!あなたは人間!!こんなところで、こんな奴の仕組んだ茶番に負けないで!!自分をしっかり持って!」
「離せトモエッ…なんのつもりだ…」
「アモウさん!例え姿形が変わってもあなたは…」
「うるせぇ!!無駄なんだよ女ぁ!!」
突き飛ばされたトモエを、ゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトが掴み上げる。
「じっとしていろ女ぁ!!お前の声など響くものかァ!!届くものかァッション!!!」
「アモウさん!!!」
その声が、変わりつつあったアモウの脳裏に響く。
トモエだけではない。
アモウさん。
アモウ君。
アモウ君!
アモウはん!
アモウさん。
アモウさん…
アモウ…
…おとうさん!
サクマ。
イズミ。
エツコ。
ツジムラ。
ナエクサ。
アカリ。
アユ。
そして
「アモウさん!!!」
再度、トモエの声。
それらが、流れてくる蟷螂達の声と重なった。
「俺は…」
目が覚める思いだった。
そして、あらためて認識した。
人間も蟷螂も、同じなのだと。
ただただ、あたりまえの日常を送る為に日々生き延びようとしている。
行動の原理は同じなのだ。
なら、俺は
「その意思を汲みたい…生きたい…!!」
アモウの身体が、遂に変異を起こす。
「だから…俺に力を貸してくれ…道を踏み外してしまった友人を止めるために…!」
そして、その姿は
「…え?」
サタナスビートル・スプライトは、唖然としていた。
「馬鹿な…どうして…!?」
慟哭しているような瞳に、剥き出しになった歯。
そして、肩甲骨周りから生えた蟷螂の鎌。
ゴンダが驚いたのは、そこではなかった。
「何故…紅(あか)い…!?」
大蟷螂をベースとしているにも関わらず、アモウが変異した姿は血のように赤く染まった姿をしていた。
自分は、こんな色になるように調整などしていない。
それに、こんな姿形になるようなことも…
「何故だ…何故…」
「デェェェア!!」
「っ!!…アモウさんっ…!」
呆気にとられるサタナスビートル・スプライトの横で、ゴールデンリングドラゴンフライ・スプライトが奇声を上げて突然トモエを突き飛ばす。
そして彼は、けたたましい声を上げながらアモウへと突進していった。
俊敏な動きで、中空からダイブを繰り出す。
その前に佇むアモウ‐マンティス・スプライトが、静かに両腕のカウンター・ソードを構えた。
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