CHAPTER 15

毒針らしきものを構えたワスプ・スプライトが、エンプーサの前に出る。


それに伴って、目障りな羽音が響き渡った。


「アモウ。雀蜂が捕食者の頂点だということは知っているわよねえ?」


「それが…何だというのだ」


「あんたの宿す蟷螂なんて取るに足らんということよ!!ここで死ねぇ!!」


突き出した毒針らしきものを、身を捩ってかわす。


エンプーサは、トモエを抱きかかえたまま横転する形になった。


「トモエさん。離れておいてください…どうやら、あいつとはここで決着をつけねばならんようです」


ブレードを構え、醜悪な蜂女を睨みつける。


だが、その様は奴の笑いを誘うだけだった。ケラケラと笑い始めたのだ。


「セルスーツ…んなもん、着てても無駄だよアモウ?貫いてしまえば…」


「うっ!?」


早すぎる動き。


フェンシングのように、ワスプ・スプライトの右腕から生えた毒針らしきものが、エンプーサの身体を刺していた。


「どうということはないのよお?」


「ぐっ…!?」


「刺さった刺さったあ!!あは、あはははは!!あぁはははははは!!!」


「アモウさん!!!」


「そおら…毒液を注入してやるわよ。アナフィラキシーショックでも起こして…死にな!!」


針が、引き抜かれる。


出血は少ないようだが、質量的な痛みはアモウの痛覚を嚴しく刺激した。


「くっ…痛ってぇな!!この蜂ババァがぁ!!!」


"エクスターミネーション"単分子ブレードを、ワスプ・スプライト目掛けて振り下ろす。


しかし、エンプーサの反撃は届くことなく、敵は宙へと翔んだ。


「その汚いブレードで、同胞を何体も葬ってきたんだってね…?悪いけど、私には届かないよ」


優雅さを気取っているのだろうが、下品極まりないポーズで滞空するワスプ・スプライト。


「アモウ…教えてあげるわよ。完成型のスプライトはあんただけじゃない」


「何…」


「あたしも、そうだってこと。雀蜂の遺伝子は、尽くあたしに適合した!つまり…あんたはオンリーワンの存在じゃあない!!あたしがいる限りね!」


ちらりと、ゴンダに目線を向ける。


彼は、物言わぬままそれを見つめているだけだった。


「…しかし毒針を打ち込んでやったというのに…一発目は効かなかったみたいね。流石は仮に完成型ということかしら?」


「痛えだけだと言ったろ!」


エンプーサが、翔ぶ。


その挙動には、ワスプ・スプライトも対応が遅れた。


突き出されたブレードの切っ先を、左腕に刻まれる形となった。


直ぐ様、出血を伴う。


「っ…!あんたねぇぇぇぇぇ…!!」


「見くびるなよ蜂ババァぁ!!」


着地したエンプーサが、首を回して毒づく。


(なるほどな)


睨み合う二人と、それを遠くから静観しているトモエ。


だだっ広いこの部屋で、ゴンダは正確にエンプーサ‐アモウの動きを観察していた。


あのセルスーツとかいうものにどれだけの力があるのかは知らぬが、アモウの動作反応には目を見張るものがある。

セルアウトの進行はまだ途中であるにも関わらず、並のスプライトよりも遥かに反応速度が高い。


トウコの針は一発貰ってしまったようだが、それでも毅然と反撃にでている。


やはり、彼を被検体としたことに違いはなかったようだ。


だが


(針、ねえ…)


含みのある顔で、ゴンダが鼻を鳴らした。


一方、トモエもまた同じ思いだった。


2日間戦い続けているはずなのに、どんどんアモウは強くなっていく。


そして、自分を助ける為にここへ現れた。


命を賭して。


「アモウさん…わたし…」


ひとりでに呟き、そっと言いかけた言葉を紡ぐ。


いけないことだ。


それに、今はそんな言葉を掛ける時ではない。


ただ、今の彼の背中は、トモエの視界には十分魅力的なものに映っていた。




「そおら!!!」


「ぐぁぁっ!!ああ…あ…!」


「どうかしら?ん?二発目の毒針は…?もうそろそろ毒が回る頃よ」


「…んなもん、今更どうってことはねえさ」

 

刺された箇所を押さえながら、エンプーサが立ち上がる。


傷口そのものは、ごく小さいのだ。


毒が回る前に仕留めてしまえば問題ない。気にすることではない。


「…何よ、それ。早く…アナフィラキシーショックを起こせぇぇぇ!!!」


再び毒針らしきものを構えたワスプ・スプライトが、エンプーサ目掛けて走り寄る。


「アモォォォ!!あんたは、気に触るんだよぉぉ!!!」


「刺すことしかできねえアバズレババァが!!」


ブレードを、投擲する。


その一撃を、ワスプ・スプライトが跳んでかわした。


「はあん!?ワンパターンなのはどっちさ!!」


身体を捻りながら着地。すかさず毒針らしきものを振り上げ


「死ね!!!!」


「お前が死ね!!!」


「ぎゃん!」


飛びかかってきたワスプ・スプライトの顔に、エンプーサの足刀蹴りが入る。


その一撃は、ワスプ・スプライトを情けない姿勢で弾き飛ばした。


「ぎあっ!!ちぃ、痴、ちくしょうめぇぇぁあ!!」


「ブレードに気を取られたな。馬鹿野郎が」


「黙れぇ!!!」


悔しそうに床を叩きつけ、ワスプ・スプライトがすかさず飛翔。


「これなら…どうだぁぁあ!!」


今度はジグザグのように軌道を変えながら、エンプーサの喉元に迫る。


そして


「うぐぁ!!」


毒針らしきものが、エンプーサの首を貫いた。


「アモウさん!?アモウさん!!!」


「三発目ぇ…ひひひ、これで今度こそ終わりよぉぉアモォォォ」


ワスプ・スプライトが、牙をガチガチと鳴らす。


「毒針…それも首元…もうさすがに無理でしょ!?え!?ゴンダさんから授かった雀蜂は最強の昆虫!!最強にして究極!勝てる虫などいないのよ!!ええ!?」


「うっ…ぐっ」


「見てごらんなさいゴンダさん!!あなたが求めていたのは、こんな奴なのよ!腑抜けの能無しのゴミ!産業廃棄物!!チンカスよぉぉ!!」


勝ち誇るようにワスプ・スプライトが嗤う。


「トモエぇぇぇ!!死んだわよ!?あなたの大切なチンカス野郎がぁぁ!」


ワスプ・スプライトが勝ち誇ったように笑い叫んだ。










「サクマさん」


病院のパソコンから多大なアクセスを掛け続けていたエツコが、少々疲れ気味な声を出す。


サクマは、小さく顔を向けた。


「何か…分かりましたか」


「SOLについての…大体の企業情報ですが」


情報収集しながら、それらをレポートがてらまとめてしまうのは、エツコの手腕による所が大きいのだろう。彼女は、印刷した紙をサクマ、そしてイズミへと手渡した。



「平たく言えば…自己啓発支援系のサロンを開いている団体です」


「自己啓発系…宗教みたいなものですか?」


「表向きは。ただし、実態は詐欺紛いの行為で会員達を増やし、洗脳しているようです」


「何の為に?なぜそのような団体に、秋津理化学研究所が出資を…」


「分かりません、それは。ただ、私が気になるのは…そこにも書いてありますけど…その一文…」


「ノアの方舟…?」


選ばれし人々達よ。


今こそ、ノアの方舟へと乗り込み、心の理想郷へと昇華致しましょう。


全ては太陽神‐SOLの名の下に。


かような文字が書かれていた。


「…胡散臭いキャッチコピーですね…このSOLなる組織、一体何を…」


「多分だけど」


サクマとエツコの間に、車椅子に座ったままのイズミが声を挟む。


「…今回の実験。多分、そのSOLって組織が手助けしたんだと思うわ」


二人共、わかっていたことだった。


だが、かような得体のしれない組織に金が流れていたことや、新たな脅威を相手にしたくはないという思いが、その言葉を思い止まらせていた。


だが現実逃避出来る時間は、往々にして少ない。


イズミの言葉に、二人は何も言えなかった。


「…直視したくはなかった?」


心を読むようにして、イズミが重い口調で話す。


「秋津理化学研究所の内部だけに留まる話であれば、まだ何とかなる。そう思っていましたが、外部の組織が関与していたとなると…」


「…あたし達だけじゃ、どうにもならないわ」


「全てはゴンダ君に聞くしかないけれど…」


イズミが、煙草を咥えて火を点ける。


「アモウ君…」


最後の戦いだと信じて、出ていった男の背中を、思い出す。


最後の戦いというフレーズにさえ、僅かな希望を見出していた3人は、辿り着いた疑念に打ちひしがれる思いだった。








「…なんで?」


傷を負いながらも、トモエを庇うように立ち上がる漆黒の戦士を前に、ワスプ・スプライトが毒づく。


何度も何度も毒針を刺してやっているというのに、この男にはまるで毒が回る様子が無い。


無論、刺す度に傷口は増えていくだろうが、それとて小さな傷だ。


怪しげな衣を纏っているからこそ、外傷という点では最小限レベルで済んでいるとも考えられる。


だが、自分は毒を持っているのだ。


小学生でも分かるであろう、雀蜂を雀蜂たらしめている、恐怖の象徴。その毒針。


そこから分泌される毒液まで、中和するほどの性能があるとも思えない。


だのに、首元を刺してやったという事実さえ、捻じ曲げられそうな勢いで奴は刃向かってくる。


「セルスーツ…ですって…!?」


ワスプ・スプライトが僅かに焦りを見せていた。


ラーテルや、インドクジャクといった先天的に毒に対する免疫を持った生き物なら、分からんことはない。


だが、あの男に適合している昆虫は大蟷螂。


毒が通じぬはずがない。


大蟷螂に、そんな免疫はないのだから。


なら、何故…!?


「本当に…毒針を刺すだけしか、能が無いらしいなトウコ…」


「な、何を…」


「軽く10発以上は打たれているが…毒の気(け)は感じないぜ…セルスーツのお陰かな」


「な、何がセルスーツよ…んなコスプレみたいな姿でぇぇぇぇぇぇっ…」


翅を、開く。


そして、翔んだ。


「偉そうにスカしてんじゃねええぇぇぇぇ!!」


相も変わらず、毒針らしきものを突き出した一撃。


まるで、芸が無い。


馬鹿の一つ覚えとかいうやつだ。


エンプーサは、それを正面から受けた。


胸に、針が深々と刺さっている。


「今度こそ毒をぉっ!!!」


「うるせえよ」


顔面に、右手の拳を叩きつけた。


ワスプ・スプライトはそのまま後方に仰け反り、更に繰り出された前回し蹴りを受けて身体を反転させながら床へと倒れこんだ。


「アモウさん、あなた…」


「無事だよ、トモエさん。心配しないで」


近寄るトモエを、エンプーサが制した。


「ぐっ…な、何でなのよ…」


「?ああん?おれに言ってる?」


ワスプ・スプライトが顔を向けたのは、物言わぬままだったゴンダだった。


「何でよ!?どうして毒が効かないの!?これじゃあ…あいつを殺せないじゃないですかあ!!」


「毒、ね…」


ゴンダが、ソファから気怠げに立ち上がる。


彼は、エンプーサとワスプ・スプライトを交互に見やった。


「トウコでさえ退ける、か。大したもんだよアモウさん」


「黙れ。これも全て、あんたの計算通りなんだろうが」


エンプーサが、床に刺さったままのブレードを引き抜いた。


「…そもそも背負ってるものが、違いすぎるんだよ。俺とお前では」


「背負ってるもの…!?馬鹿言わないで…実力主義なのよこの世は…」


「だったら、お前は実力でさえ俺に及ばないってことだ。粋がってるだけの、痛くて下品な蜂ババァ。それだけだ」


「だ、黙りなさいよ…ゴンダさん、ゴンダさん…どうして…」


「トウコぉ…」


「可笑しいわよ!?あのセルスーツに、解毒作用でもあるっていうの!?雀蜂は最強の昆虫じゃないの!?」


「哀れだなあ。結局最後はおれに泣き縋るのかい」


「だって…だってだって!!私はあなたの計画に志願して…雀蜂の遺伝子を移植してくれって頼んだんじゃないですかあ!!毒があれば、捕食者たる大蟷螂だって倒せるって…あいつを…アモウを殺す為に私は…」


「…何でそうまでして、アモウさんを憎むの…」


身勝手な主張に顔を震わせたのは、トモエだった。


「アモウさんが何をしたって言うのよ!!あんたに!!もう充分じゃない!!これ以上彼を苦しめて、何になるって言うのよ!!」


「うるさい!私は…私は大した事もできないくせに、周りからチヤホヤされてるそいつが嫌いなのよ!!」


ワスプ・スプライトが、顎を鳴らしながら耳を疑うような主張を繰り返す。


「皆そう!何か相談事があれば挙ってアモウアモウ…私には何も話してくれない!!トモエ、あんたも!!」


「何を…くだらないことを言ってるの…」


「ゴンダさんだって、あたしの悪口陰口吹き込んでたでしょ!?こいつに!?私知ってるんですよ!?」  


「お前自身に問題があるからだろうがよ。悪口のひとつやふたつ、出るだろう」


「問題!?問題とは何よ!?正当化しないでよぉぉぉぉ〜ッ!!!」


「下品なんだよ、お前の生き方は。いつもいつもおれの腰巾着みてえな真似しやがる。昔っからずっとそうだ。だからお前は嫌われる。権力者の手元にすぐ収まろうとする。だからアモウさんは関係ねえよ。恨むのは筋違いってもんだ」


「ほら…ほらほらほらほらほらあぁあ!?そうやって、皆アモウに肩入れする!!肩入れするじゃない!?肩入れしてんじゃないぃぃ!?それが気に食わないって言ってんのよ!!!言ってんのよ!!!あたしは!!」


「…見てらんねえよ、トウコ…」


「はぁぁ〜!?余裕振りやがって…この蟷螂男が…」


ワスプ・スプライトが、わなわなと立ち上がる。


「私は…誰からも好かれることがなかった…だから、誰かに縋りたかった。誰かと仲良くしたかった…でも…誰も相手にしてくれなかった!!誰も…」


「トウコ」


「でもあんたは違う…自然と人が寄ってくる…いつも誰かと笑いあってる!!家族だって居る!!あんたを見てると、私は…自分に無いものを見せつけられる気分だった!!」


「知らねえよ…」


「だからゴンダさんに協力したの!?誰かに縋りたかったから!?アモウさんを殺したかったから!?そんな道理が通じると思ってるの!?それに、そうなったのは全部あんたの自業自得なんじゃないの!?」


「トモエさん…あんたも、そうやってアモウを気にかけているじゃないの…!!!何故なの!?どうして!?ホワイ!?」


「そ、それは…大切な友人だから…」


「そう!あっそぉ!!そぉなのねぇ!!そぉですかァ!!!ハブアッグッタイム!!…まあ、いいわ。何れにしろアモウだけは…この手で…」


「無理だよ。お前に勝ち目はない。適合している昆虫が悪すぎる。アモウさんには敵わんよ」


「…は?」


彼女は、またゴンダを睨みつけた。


「ゴンダさあん…す、雀蜂…雀蜂なのよねぇぇ」


「ああ。お前に適合したのは雀蜂の遺伝子だよ。それは間違いない」


「だったら!?なぜ!!毒が効かないのぉぉ!?なぜ、勝ち目がないだなんて言い方…」


「…言い忘れていたな、そういえば。とっても大事なことだ」


「は…?」


ゴンダが、ニヤリと笑った。


「トウコ。お前に適合した雀蜂はな。『雄』の個体だったんだよ…」


「は…?雄の個体…?それが何だっていうの…雀蜂は…雀蜂でしょうよ…」


「…頭の弱い奴ほど、扱いにくいものはない」


ゴンダが、一転して無表情に戻る。


そして、こう告げた。


「…毒針を持ってる雀蜂ってのはな。『雌』だけなんだよ」


「は…は…?」


「元々、雀蜂の毒針は産卵管が変化した器官だ。だから、雄の雀蜂は毒針を持たないし、持ちようがない」


「は…は…、は…!?」


「もっとも、毒のあるフリをして、ありもしねえ針を刺すような仕草はするみたいだけど。今のお前みたいになぁぁ」


「は…は…、はぁぁぁぁ!?」


「人間の男は寄りつかねえが、雀蜂に至っては雄の遺伝子がバッチリ適合した。皮肉なもんだ。粋がった末路がこれとはな。笑えんよ」


「じゃあ…こ、この針は…」


「ただの針だよ?毒針でもなんでもない」


「なっ…」


「お前の言う通り、アモウさんのセルスーツにも、そんな解毒作用なんて無いはずだ。だったら、あとは分かるだろ?自分自身の問題だってなぁ。馬鹿かお前。馬鹿かお前」


「な、何故…」


「あぁん?」


「何故…雌の個体にしてくれなかったんですかぁぁ!!!多少無理をしてでも、出来たはずですよぉぉ!!?」


「そうだね。出来なくはなかった」


「だったら何故ぇぇぇ!?ホワイぃぃぃ〜ッ!?」


「雀蜂の毒針だよ?危険極まりないよ…そんなもん、振り回されたら」


「その為の措置でしょうがぁあ!?」


「おれだって馬鹿じゃない。お前にそんなものを持たせたら、どうなる?」


「は…は?」


「お前がおれに忠誠心を抱いている…本当におれがそう思っていると、お前は思っていたのかトウコ」


「は、は…!?」


「思わないよ。そんな殺傷能力を持たせたら、何れお前はおれに反逆する。おれはそう考えた」


「!!!」


「その反応を見るに、図星らしいな?お前は周りに威張り散らしたい為だけに、おれに纏わりついていたのだろ?常日頃…いいや、昔っからか…。目に見えて怪しい行動をとり続ける女など、信用出来んよ。何が誰かに縋りたかった、だ。お涙頂戴の猿芝居なぞ、いらねえんだよ。痛えんだよド阿呆が。馬鹿が」


「は…は…はぁあぁあ〜!??」


「だから、お前に毒を持たせるわけにはいかなかった。予測できるくだらねえ反逆の芽は摘んでおかなきゃなあぁぁ!?」


ワスプ・スプライトはもう言い返せなかった。


自分もまた、この男に利用されていたのだと知った暁には、もう遅かったのだ。


「世渡り上手な奴は一定数いるだろうが…お前は下手くそだったな」


「騙していたの…私を!この私を!!!」


「お互い様なんじゃないのか?ん?」


「よ、よくも…」


ワスプ・スプライトが、最早ただの針となった腕を振り上げ


「騙しやがったなぁぁああ!!!!」


ゴンダ目掛けて、疾走した。


「!?ゴンダさん…」


その奇行には、思わずエンプーサも身を乗り出しそうになった。


だが


「ぐぅウウウウウウウウウ!!?」


響くワスプ・スプライトの嗚咽とも悲鳴ともつかぬ叫び声を皮切りに、事態は一変する。


「…何の対策もしていないわけじゃ、ないんだよ。こうなることも予測できた…もっとも、この為だけに用意していたわけでもないがね」


「かっ…ぁぁあ…はっ…」


エンプーサも、トモエも、目を見開いた。


ゴンダの割れた額から生え出た剣が、ワスプ・スプライトの胴体を貫いていたからだ。


「つくづく単純な雌豚だ。だから、お前はもういらないよ。おれが作る新たな世界にはな。…いや、おれたちが、か」


「がっ、あ…せ、世界…」


ワスプ・スプライトが、口から汚物を吐き出す。


「トウコ。お前には確かに一定の情は…あった。だが、それとこれとは別問題なんだな」


「キ、キサマ…」


「そして時は満ち足りた、ということだ。今を以てな。ゴミはいらねぇんだよ、ゴミは。お前は最初から最後まで愚者だったよ」


「ぐしゃ…!?ぐしゃだとキサマ…ぁ…」


「薄汚い女だ。最後の最後まで吐き気がするよ」


「ゴンダ…き、キサマあぁぁあ…あっ、ぁっ、がはっ」


「…もう、そろそろ終いにしようかね」


額の剣を、頭ごと上へ振るう。


ワスプ・スプライトの身体が引き裂かれるその瞬間手前。


トウコは夢を見ていた。



ウェディングドレスを纏い、まだ見ぬ新郎と共に教会に立つ夢。


私は幸せになりたかっただけなのに。


ゴンダなんかに就くんじゃなかった。


そうすれば、私だって…


私だって…



「幸せになる権利があッゲレぁあヴァあええええエあァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁだだぁた!!!!!」


ワスプ・スプライトは縦真っ二つに切り開かれ、醜い死骸は左右にべちゃりと広がった。


「トウコ……!!」


「幸せ、ねえ…」


ゴンダの額から生えている剣が、そのままからんと音をたてて床に抜け落ちる。


「軽々しく口にするんじゃないよ、そんな言葉…」


その剣を拾い上げたゴンダは、舐め回すような視線をアモウへと向けた。


「アモウさん。君はどうなんだい」


「…あんた、まさか…」


エンプーサが、声を震わせる。


分かってはいた。


先程の奇行は完全に人間技ではない。


それが意味することとは。


トウコの死よりも、エンプーサとトモエはその事実に戦慄した。


「聞こえていないのか?君はどうなんだと言ったのだが」


ゴンダの顔に、僅かなひび割れが起きる。


「…こうして君はおれと対峙することとなってしまった。言い訳はしない。こうなったのはおれの責任だ。だから、あらためて聞いておきたいのさ」


「…聞いて…どうする…」


「おれがそれを奪ってしまったんだとしたら、謝っておこうと思ってね。あらためて」


エンプーサが、ちらりとトモエに視線を移す。


彼女も、それに気付いて、しかし定まらぬ焦点で俯いた。


「だが…アモウさん。君には家族がいるし、トモエさんという大切な人もいる。その人達に囲まれて幸せなんだったというのならば、おれは別に奪ってはいないということになるな。そのへんの弁解くらいは、させてもらっていいだろう?」


「…あんたはどうなんだ」


「ん?」


「あんたが起こした今回の騒ぎ…その先に、あんたの幸せが待ってる。そう言いたいのかと聞いているんだ…」


「少なくとも、今よりはね」


あっけらかんした顔で、ゴンダが言い放つ。


その間にも、彼の肉体は醜く変異し続けていた。


「何れにしろ、ね。君だけを見捨てる気はないよ。おれも一緒に行ってやる。言ったろ。おれは君を必要としているんだ」


「俺にはこんな力は必要無い…」


「君は必要なんだよ。おれたちが紡ぐ、新しい世界にはなあ」


「新しい世界!?いい加減にしたらどうなんだお前…」


「…そうか。残念だよ。おれがどれだけ懇願しても、君はどうやら、おれの計画に賛同はしてくれなさそうだ。心苦しいが、そういう判断なら、君も新しい世界には必要ない」


ゴンダの身体が、最高潮の変調を起こす。


凄まじいバイオウェーブが、エンプーサの頭の中に響いた。


「…何故だ…!!何故あんたは…そうまでして…自分自身にまでそうやって…!!」


「言っただろう。おれたちの新しい世界を作る為だと、ね。失った幸せは戻らない。なら…奪うしかねえんだ!!」


ゴンダの肉体が、まるでカブトムシを思わせる巨軀へと変わりゆく、その最中。


不意に天井が破壊され、更なる刺客が優雅に降りてきたことに、エンプーサは息を呑んだ。


「なっ…」


その姿は、美しくも威圧的だ。


しかし、慣れ親しんだ昆虫でもあった。


「蜻蛉…オニヤンマ…?」


「最後までその覚悟を確かめさせてもらうよ。正真正銘、おれたちが最後の相手だ。アモウさん」


「馬鹿な…!?」


現れた最後の敵。


しかし意外にも、その数は二人だったのである。



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