CHAPTER 13
眼の前にいたのは、アカリとアユ。
妻と、娘だった。
二人は、自分を見て酷く怯えていた。
「来ないで…」
「お父さん、いや…!」
「何を言うんだ二人共…俺は…」
「来ないで化物!!あなたは私の夫なんかじゃない!!」
「うわぁぁぁあん!!お父さんを返してー!」
逃げようとする二人に、なおも近づく。
だが
「うっ…」
辺りに反射している自分の姿は、自分ではない。
化物だ。
蟷螂のような顔立ちをした、昆虫人間。
触覚が生え、体表は黄緑に染まっている。
複眼化した視界には、怯える妻子の姿が幾重にも重なって見えている。
馬鹿な。
何故…
「アカリ…アユ…俺は…」
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
何故拒絶する。
俺は、お前達の為に日々こうやって…
「許せない…」
自分を拒絶する二人の姿に、怒りが込み上げてくる。
恩知らずの下等生物共が。
誰のお陰で、食っていけてると思っていやがるのだ。
分からぬか。
ならば…人間など…
「殺してやる…」
手首から生えた鎌を振り上げ、それを下ろす…
その寸で、アモウは目を覚ました。
「!……」
いつの間にか、病室に移されているらしかった。
ベッドの上で目を覚ましたアモウは、嫌な汗をかいていることに気付く。
どうにも、つまらぬ夢を見ていたようだった。
「起きた?」
不意の声がした方を力なく見る。
そこには、エツコが立っていた。
「エツコさん…」
「…随分と眠っていたわよ。疲れが溜まっていたのね、やはり…」
「…すみません。こうも休んでいられないのに」
汗を拭い、枕元の鏡を見る。
見慣れた自分の顔が、そこにあった。
しかし時間が過ぎれば自分は…
「イズミさんとオオムラさんも目を覚ましたわ。誰も亡くなっちゃいないの…安心して」
「…嫌な夢を見ました」
「夢?」
「妻と娘が…僕から離れていくんです。醜く変貌した僕の姿に恐れをなして、ね」
「…」
「エツコさん。イズミさんの措置を受けても、多分僕はもう普通の人間には戻れないでしょう。それは、僕が一番分かっています。だからこそ、はやくトモエさんを助けないと…」
「……」
「そうなってしまったら、僕は自我を保てるか分からない。他の奴らと同じように、人間を捕食対象とする可能性もあります」
「あなたに限って、そんなことは…」
「僕を信じてくれるのは嬉しいですよ…しかし、それに応えられるかは…」
「アモウくん。わたしにも娘がいるわ。あなたよりは若いけど」
「?」
「家庭の重みは、わたしもよく知ってるの。だから、家に帰れるようにしましょう。あなた自身が覇気を失っては、それも叶わなくなるわ」
「覇気…」
「トモエちゃんのことも気になる…それはわかるけど、あなた自身のことも考えてちょうだい。家で待ってるあなたの家族の為にも。あたりまえの日常を、簡単に失ってほしくはないから」
「…そうですね。僕も、家族の元に帰りたい…そう思いますよ。でも、やはり願ってもそれが叶うとは限らないかなって」
「え…?」
「今の頭の中でざわついた感覚があるんです…何か、言葉のようなものが…」
「それって…まさかまた敵が…」
「いや。違います」
アモウは、瞳を僅かに複眼化させてからエツコを見上げた。
「これは…蟷螂の声だ。野生の、蟷螂達…」
「まさか…」
「いや、言葉ではなく…思念のようなものでしょうね、これは。それが、頭の中に伝わってくるようになった…セルアウトは、ここまで進行してしまっているわけですよ」
「そんな…」
「今になって分かりますよ…蟷螂達は…彼らは闘争など望んでいやしない。ただ毎日を生きるのに…精一杯なだけなんです」
袖を捲り、左腕を晒す。
鎌が生えた後の、生々しい傷がそこにある。
「いや…他のどの昆虫も、本質は同じなのでしょう。生きることに精一杯…相手を傷つけたい、殺戮したいといった邪念は、人間のそれよりに比べればほんの僅かなものだ」
アモウは、ニヤリと自虐的に笑った。
「こういうことですよ…僕は確実に人外の存在になりつつある…もう戻る家なんてありゃしない。次は、人の心を失うか、身体が化物に成るか…どちらかでしょう。生き延びたとて、森で仲間の蟷螂達と共に暮らすしかない」
「もう、やめてアモウさん!そんなに自分を…」
「あなたに何が分かるって言うんですか…」
「なっ…」
「帰りたいですよ。自分の家に。でも僕は人外の存在になりつつある…全部あいつのせいで」
目を見開いたアモウの顔は、以前よりも増して怪物めいた造形に変化していった。
「分かるでしょう?この顔を、家族に合わせろと?もう…無理なんだ…」
「アモウさん…」
「自分では腹を決めたつもりでした…でも…こうやって身体が刻一刻と変わりつつある状況を目の当たりにしたら…怖いんですよ、僕は…」
「イズミさんも言っていたでしょう!?心までは失うなと!それに、トモエちゃんだってあなたを信じてるわ!!あなたは、あなたでしょう!?」
「分かっています…ただ…」
窓の外を見る。
もう、夕刻時だった。
随分と眠りすぎていたらしい。
その間にも、自分の身体はセルアウトに蝕まれ続けていた。
もう、長くはないのだろう。
人間を、辞めざるを得ないという現実を一層押し付けられる思い。
この状況ながら、悠長にそう思っていた矢先のことであった。
アモウのスマホが、音を立てて振動し始めた。
発信者は
「…ゴンダさん…!」
すかさず手に取り、通話ボタンを押す。
「…もしもし?」
《アモウさん。随分とおれの邪魔をしてくれたね》
「あんた…何処で何してる…?」
《待っているんだよ。君の覚醒をね》
「…直にそうなるだろう。僕も分かっている…それよりも…」
《あー、トモエさんなら無事だよ。何も手出ししちゃいないさ。君に随分信頼寄せてるみたいだし、健気なもんさ》
「何処に居るんだ?トウコにも話したが、僕から…俺から出向いてやると言っているんだ。場所を教えな」
《怖い声を出さないでくれよ》
「ふざけるな。いつまでもあんたの戯れに付き合うつもりはないんだ。あんたの目的は俺なのだろう?」
《トウコの奴…喋ってんなー。色々と》
「ゴンダ!!」
《…分かったよ…声を荒げないでおくれよ》
「何処だ。何処に行けばいい…」
《いいだろう。今から言うよ…》
しばしの沈黙。
アモウは、通話ボタンを切った。
そして、ベッドから立ち上がった。
「…行きます」
「自分の身体のこと、大切になさいよ…」
「心も、でしょう」
振り返ることなく、アモウは病室を後にした。
これが、最後の戦いになるだろう。
ゴンダを倒し、トモエを取り戻す。
自分に人の心が残っているうちにやり遂げねばならない、最後の仕事だ。
廊下を進み、ロビーに出る。
そこには、サクマが待ち受けていた。
「お目覚めですか…」
「ええ。寝すぎました」
「…行かれるのですね」
「奴から連絡がありました。潜伏先はこの近くでしたよ、意外にも」
アモウは、頭を下げた。
「サクマさん。世話になりました」
「アモウさん…」
「エツコさんにも話しておきましたが…僕はもう長くない…全てが終わった頃には、僕は変わり果てていることと思います。僕が生きているにしろ、そうでないにしろ…」
「…そうですか」
「こんな僕を匿ってくださって…ありがとうございます。最後に…良き上司に恵まれたと思っ…」
「最後なんていい方はよしなさいよ」
「?」
聞き覚えのある声。
その方へ首を向けると
「イズミさん…」
エツコの押す車椅子に座った彼女が、穏やかな顔で笑った。
「言ったでしょ?あなたは優しい人間だと。確かにセルアウトの進行を止めることは叶わなかったけど…でも私は信じてるわ。あなたがあなたでい続けること…そして、必ず帰ってくることも…」
「アモウ君。わたし達がいるじゃない。一人で背負い込むことはないわ」
次いで、エツコも優しく微笑んだ。
何故だ。
何故…
「変わりゆく僕を…あなた方は…恐れないんです…?」
「仲間だからですよ」
何時かの時のように、サクマがアモウの肩に手を添えた。
彼もまた、優しく表情でアモウを見据えている。
「仮に姿が変わろうとも…あなたはあなたなのですよ。アカツキ・アモウという人間がどんな人間なのか…私達は知っている。だからあなたも…私達のことを帰るべき場所の一つだと信じてほしい…。もう、家族みたいなものじゃないですか」
「サクマさん……」
「…勿論、トモエさんも連れて帰ってきてくださいよ。彼女もまた、同じなのですから」
アモウは、己の愚鈍さを恥じた。
そして、あらためて仲間たちの思いに感謝した。
どうして気付かなかった。
昨日から、苦難を共に乗り越えて来た仲間たち。
辛かったのは、彼らとて同じだったはずだ。
それを自分は、自分だけの苦難だと勝手に背負い込んで苦しんでいた。
だが、違った。
姿形ではなく、アカツキ・アモウという自分の本質を理解し、こうも献身的に接してくれていたのは他ならぬ彼らだった。
そのことを受け止めたアモウは、溢れそうになる涙を堪え、しかし真っ直ぐと前を向いた。
「必ず…帰ってきます。トモエさんと共に。そして全てが終わった後は…家へ帰ります。妻と娘が待っている家へ」
「その前に…ほら、忘れ物!」
イズミが、床へ置いていたアタッシュケースを指差す。
その中身は、昨日からの付き合いである相棒。
ケースを開け、露わになった仮面の表情は、何時になく頼もしいものに見えた。
「約束してよね。帰ってくると」
「勿論です」
アタッシュケースを閉め、それにを担ぐ。
そして、病院を出た先でアモウを待ち構えていたのは
「あぃ、アモウさん。乗せてくでえ」
「車を出しますよ」
「最後くらいは、おれが運転するからさ」
ツジムラと、ナエクサ。そして、オオムラだった。
「色々ありましたけどお…ま、どーしてもこいつが運転する言うて聞きませんねん。病み上がりやっちゅーのにい」
「ま…私としては首がまだ痛みますからね。オオムラくんが運転してくれるのは大いに助かりますがね」
「アモウさんにはまだまだ借りがあるからな。さあ、乗れよ」
奇妙な縁で結ばれた彼らもまた、同様に仲間たちなのだろう。
かような目に遭わなければ、一生出会うこともなかったであろう仲間たち。
自分は一人ではない。
元々人付き合いの苦手なアモウだが、今は心が晴れる思いだった。
「あのさー、トモエさん」
スマホでゲームをしながら、ゴンダは離れた椅子に腰掛けているトモエに呼びかけたところだった。
「…何ですか」
「トモエさんはさー。旦那が亡くなったらどうする?」
突拍子もない質問に、面食らった。
咄嗟に、返答が出来ずにいると
「受け入れるか、否か。おれはそれを聞きたいんだよね」
「何を言い出すのかと思えば…」
「答えてくれよ。君ならすぐに受け入れられるのか」
「…死んだ人間は、生き返らない。受け入れるしかないでしょ。シロンさんやアキノさんみたいに…」
「まあ…そーだね」
「何が言いたいの」
皮肉交じりの返答にも、ゴンダは動じなかった。
「他の何かを犠牲にしてでも、その旦那を生き返らせたい。そうは思わないかい?」
「生き返らせる?何を言って…」
そう言いかけた所で、トモエはハッとした気持ちになった。
何かを犠牲にしてでも、生き返らせる?
まさか…いや、そんなことは…
「…何かを察したような空気だね。可能性があるならさ。それに賭けてみたいとは思わないのか」
始めて視線をスマホから離し、トモエへ向けるゴンダ。
変わらずも敵意のようなものは感じられない。
むしろ、悲しい目をしているように思えた。
「ゴンダさん…あなた…何の目的で…」
「人体の進化…これは別にセル・プロジェクトにおいては間違った目的じゃあないさ。しかし…おれの真意は、その先にあったんだ」
「真意…?それは…」
「ゴンダさん」
会話を割るようにして、トウコが部屋へと戻ってきた。
「なんだよトウコ…」
「アモウが来ました。ビルの前に車が停車しているようですが、その中に…」
「そ。じゃあ始めるとしようかね…」
えっこらせ、と腰を上げ、ゴンダがコミカルな動作でトウコへと近づいてゆく。
「とりあえずは、「アレ」を出しておけ。アモウさんが、それでくたばるとも思えんが精神的には効くだろうし、時間稼ぎにはなるだろう。…くれぐれも、殺しちゃったりするなよ?」
「了解致しました」
「まあ…お前はそうしたいんだろうがな?」
「…ええ。あの男は、常々気に食わない奴でしたのでね…」
手短に話を済ませると、トウコは再び部屋を出ていった。
アモウが、遂にこの場所に現れたのだ。
「来たみたいだよ。やっぱり君のことは放っておけないようだね」
「ゴンダさん、さっきの話…」
「だがここに来れないようならば、それまでだ。君と会うことは無いし、その程度の存在だったってことさ」
「ゴンダさん!私の話を…」
「じきにわかるよ。おれも苦しんだ。その為のセル・プロジェクトだ。おれの行き着いた先が、そこだった。それだけの話さ」
ゴンダが、不意に踵を返した。
「ついておいで、トモエさん。最後の舞台は、ここじゃないからさ」
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