CHAPTER 12

「ごめんよ。トウコには君を攫うような指示は出していなかったんだけど」


「…離しなさいよ!」


「あらあら。乱暴ですこと」


トウコの腕を力任せに振り払ったトモエは、睨みつけるようにゴンダへと振り返った。


「…まー、人質としては充分だね」


「人質?何を考えているんですか…一体…」


薄暗い、廃棄されたラボラトリー。


とはいっても、ここは秋津理化学研究所から寸分しか離れぬオフィス街の一画にあるビルだった。


よもや、こんな近くに敵が潜んでいたとは思わなかったと、トモエは肝を潰す気持ちだった。


そして奥のソファーには、ゴンダがだらしなく座っている。


その振る舞いに、トモエへの敵意は無いように思えた。


「トウコ。勝手なことはするなと言ったろ」


「カリマさんは死にましたよ。だからわたしが…」


「何故手助けしなかった?」


「手助け?その必要がありますか?わたしは彼女に仲間意識など持ってはいませんよ」


「…何でそうやって、直ぐに調和を乱すかね…」


「ゴンダさん!わたしの質問に答えなさいよ!!」


「あー…ごめんね。そうだった」


眠そうに目を擦りながら、ゴンダが口を開く。


「…アモウさんが、今は必要なんだよ。予定ではもっと早く手元に置ける算段だったんだが…イズミが余計なことをしてくれたせいで、この様だ。おれに牙を剥く形になってしまったことは、実に嘆かわしい」


「アモウさんはあなたに従ったりしません。彼は人間です」


「心はそうかもしれない。だが、君も間近で見ていただろう?彼は変わりつつあるんだ。イズミがどういう経緯で事を知ったのかは分からんが、拘束具や付け焼き刃程度の薬品などで身体の変異は止められん。無駄なことさ」


「そんなこと、分からないじゃないの!!」


「健気な気持ちを持つことは悪いことじゃあ、ないよ。だがな、摂理にゃあ勝てないんだよ。彼は直に、おれの下僕となる」


「そんなことはないわ!あの人は…」


「随分と信用しているんだね?彼のことを…」


ニヤリと笑うと、ゴンダはソファーから立ち上がった。


「…君にとって、彼は大切な友人らしいが、果たして本当にそうか?唯の同僚とは思えないな?」


「…何が言いたいの…」


「既婚者同士だろうが、いつも親しげに話している君たちの空気は、同僚のそれとは違う気がしていたよ、おれは。だいいち、大勢の前では君達は決まって喋ろうとはしない。君達が喋っているのはいつも、二人きりの時だけだ。怪しいだろうと、普通の人は思うんじゃないのか」


「そんなこと…」


「なら、何故この状況下で君は夫ではなくアモウさんに縋るんだ?電話の一本でもしようとしないじゃないか?ん?取り上げたスマホなら返してやるよ?」


「だって!アモウさん、あんなだから…!」


「アモウさんも、きっと同じだよ。君も、彼にとっちゃあ大切な人間だ。だから、君を取り返しにここにやって来るだろう。君だって、自分達の関係の異常性には薄々気付いていたんじゃないのか?」


「違う!私達は…」


「関係がどうであれ…君はアモウさんを呼び寄せるには最適の人質なんだ。トウコが少々先走りし過ぎたようだが、これも計画のうちであったことは事実だ。ゆくゆくは、こうなる予定だったってことさ」


「お姫様ね〜。白馬の王子様が、助けに来てくれるなんて。…いや、蟷螂の化物か、くくくっ」


下品に嗤いながら、トウコがトモエの顔を覗き込む。次の瞬間


「痛ったあ!」


トモエが、トウコの頬を引っぱたく。


トウコは、不愉快そうに顔を歪めた。


「馬鹿じゃないの!?いつまでこんなことをすれば気が済むの!?この腰巾着女!!」


「…引っぱたくのが精一杯みたいね?」


「強がってるつもり…」


「痛くも痒くもないのよ。ほら、わたしってこんなんだから」


トウコの姿が、雀蜂を模したワスプ・スプライトへと変わる。


そして、毒針らしきものをまたトモエの頬へと突き立てた。


「つけ上がるのも、大概にしときな。このクソアマ。その綺麗な顔に穴あけてやろーか?」


「ふん…その姿になっても…お下品なのね、トウコさん」


臆すること無く、トモエがワスプ・スプライトの肩‐そこに巻かれたファーへと、手を伸ばす。


「こんなもんまで巻いちゃってさ。年齢考えろっつーんだよ、このババア」


「この…クソアマ…!!マジでブッ刺して…」


「刺したきゃ刺しなよ!あんたの上役がどう言うだろうね!」


「っ…」


「トウコ。刺したりするんじゃないよ?いいな?」


「っ…ゴンダさんがああ言ってるから見逃してあげるけど、次変な真似したらブッ殺してやるわよ…」


「あらそう…ホントに、あの男の言いなりなのね。あなたは」


美しい顔立ちを少しだけ邪な表情に変えたトモエが、近くにあった椅子へと腰掛ける。


少なくとも、この二人は自分へ危害を加えるつもりはないようだった。


「アモウさん…」


確かに、気掛かりではある。


だとしても、同僚だ。


おかしな感情など、ない。


お互いに。


ただの友人だ。


そう思ってはいるものの、何故彼を気にかけてしまうのか。


きっと、人外の存在に変えられてしまったから。


そう思う他になかった。








「イズミさんも、オオムラさんも一命は取り留めました」


病院の受付前のホールで、サクマは疲れ切ったアモウの肩を叩いた。


「そうですか…よかったです」


「…トウコさんが何故この病院を紹介してくれたのかは分かりませんが…何れにしても、ここは感謝しておくべき…」


「違う!!」


「なっ…」


「さっきも言ったでしょう…そのトウコが、トモエさんを攫ったのだと…!感謝などしている場合ではない…!」


アモウは、表情を歪ませて力なく立ち上がった。


「僕は行かなきゃならないんです…彼女を…助ける…」


「今は無理よ!」


エツコが、アモウの肩を押して再び椅子へと座らせた。


「あなた…戦いっぱなしでしょ!?そんな身体で何が出来るの!?」


「放っておけやしない!!あの人を…仲間を!」


「気持ちは分かるわよ!!でも、今は休んでおくべきよ!!」


「僕には…そんな時間はない!!」


「アモウ君!!」


押し問答を繰り返している二人に、サクマは眉をひそめた。


確かに状況は一刻の猶予もないのかもしれない。


だが、アモウの身体が限界に達していることも事実だ。


彼を今、いかせるわけには行かない。


それに


「ゴンダさんの居場所も、今はまだわからないのでしょう?」


「それはっ…」


「徒(いたずら)に動いて、彼が見つかりますか。トモエさんを人質にとった理由は、あなたを誘き寄せる為なのでしょう?なら、向こうから連絡があるのでは…」


「悠長に待っていられますか、そんなもの…」


「今動いても仕方ないのなら、あなたは休むべきだ。いったい、どれほどの敵を倒したのか…あなたは覚えていますか?昨日からあなたは殆ど休んでいない。あなたが死ねば、誰もトモエさんを助けられなくなる。違いますか」


「っ…」


「落ち着かないのは分かります。だが、君は自分のことも考えたほうがいい。他人ばかりを優先していては…もしもの時に、悲しむ人がいることも覚えておいた方がいい」


少々、強めの語気で諭されたアモウは、堪えるのをやめるように首を振ると、小さく項垂れた。


「…分かりました…分かりましたよ。では、少しだけ、眠らせてください。ほんの…少しでいいので。すみません」


「…そうだよ。安みなさい。あなたの家族の為にも。無事に、家に帰る為にも、ね」


項垂れるように首を落としたアモウへ、エツコがブランケットを掛ける。


彼は、既に寝息を立てていた。


「…本当に、彼には辛い思いばかりをさせています」


「あなたのせいじゃないですよ、サクマさん」


「しかし、このままでは彼は」


助かったとはいえ、イズミはまだ眠ったままだ。


彼女がいない以上、アモウの肉体を蝕むセルアウトの進行は抑えようがない。その術を、残された者達は持ち合わせていないのだ。


この先再びセルアウトが進行すれば、彼はどうなってしまうのか…。


人を捨てて、凶悪な怪物へとなってしまうのか。


トモエの安否もそうだが、アモウもアモウで心配だった。


「…どうすれば、いいのだ」


溜息をつき、腰を下ろすサクマ。


そこへ、二人の男がやって来た。


ツジムラと、ナエクサだ。


「サクマさあん。オオムラのこと、ありがとうございましたあ」


「ツジムラさん…」


「アモウさんはあ…だいぶお疲れのようでんなあ」


「無理もありません。彼は戦いっぱなしだったんだ…禄に休んでいないのだから、今はこうして寝かせてあげることしか我々には出来ません…」


「そうでっかあ…」


「一人…仲間が攫われました。彼にとっては大切な友人です」


「…あの小綺麗なお姉さんですなあ」


「攫った奴は特定出来ているのでしょうか」


「一応は。秋津理化学研究所の職員の…トウマ・トウコという人物です。この病院を紹介してくれた女性ですよ、ナエクサさん…」


「…?何故そのようなことをしておいて、誘拐だなんて…」


「さあね。私にもわかりませんよ。というよりも、一連の事件についての、頭の中の整理さえ追いついていない。彼に至っては、それがより顕著でしょう」


眠っているアモウの肩に、そっと手を添えるサクマ。本当に振り回されているのは、アモウなのだ。


それを、彼は知っていた。


神妙な面立ちで、続ける。


「彼は…優しい人間でしてね。少々頼りないところもあるが、本当に自分よりも他人を優先して考えてしまうような優男なんですよ。それが長所でもあり…脆い短所でもある。かつての仲間たちを倒さねばならなかった彼の心境は、本当に直視し辛い現実だったと思います」


「サクマさん…」


「だからこそ、許せないのですよ。あのゴンダという男が。アモウさんには、まだ小さいお子さんもいるんだ…それを…こんな事態に巻き込んでしまって…」


「…家族の元に帰れるよう、したらなあかんですなあ」


「そうです…私は、彼を守る義務がある。いいや、生き残った秋津理化学研究所の職員全員を守る義務が…」


サクマは、歯噛みするような表情で俯くだけだった。












「サクマさん。ちょっといいですか」


時計の針が正午を指したあたりで、エツコは待合室のベンチに腰掛けたまま呟いた。


「何ですか」


「個人的に気になることがあるんです」


「気になること?」


「今回の実験…本当にゴンダさん達だけで立ち上げたものだったんでしょうか…」


「…?どういうことでしょうか」


「考えてみてください。人間の身体に昆虫の遺伝子を組み込んで人体の進化を促す…とても人間のやることじゃないですよね」


「確かに…しかし、今になって何故そんな話…」


「わたしが言いたいのは…こんな大きい実験を、彼らだけで本当に出来たのか、ということなんです。いくらなんでも…技術的にそんな大掛かりなことが」


「つまり、別の協力者がいた。そう言いたいのですか」  


「ええ…医療関係者とはいえ、そこまでのことができるとは、わたしには到底思えないんです」


「セル・プロジェクトには多大な時間が掛かっています。それに、ゴンダさんは日夜研究資料を私に手渡し、その進捗を伝えていた…今となっては虚偽の報告もあったとは思いますが、協力者となると…」


「先行型の被験者もいたわけです。その報告など、無かったでしょう?もっと、大掛かりな計画だったのではないでしょうか…だとしたら、秋津理化学研究所以外に彼らを支援していた人物がいたとしても、不思議じゃないでしょう」


「…しかし、そうだとして一体誰が…」


「それは、分かりません。ただ、ゴンダさんを炙り出しても、この悲劇は終わらない気がする。そうなれば…」


「…アモウさんは、より傷つくことになる」


エツコが、固く頷いた。


「サクマさん。ゴンダさんの目的は何なんでしょうか?彼は、何のために今回の事件を…」


「彼を捕まえないことには、それも分からないでしょうね。仮に人間を生物兵器に変えようとも、その先にある目的が分からない。しかし、エツコさん。あなたの言う通り、彼に何らかの協力者がいれば…本当の目的は、私達には想像し得ない大きいものなのかもしれない」


エツコの言葉には、重苦しい説得力があった。


浅はかにもゴンダさえ炙り出してしまえば、どうにかなると高を括っていたが、それさえも甘かったのか?


先の見えぬ事態。


サクマは、小さく溜息をついた。


 


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