CHAPTER 11
「…?」
一発の銃弾が、スティンクバグ・スプライトの頭部に直撃した。
無論、傷などついていないのだが、日の出と共に放たれた轟音はスティンクバグ・スプライトの気を引くには充分だったと言える。
「これ以上は、好きにさせない…!」
広がるガスの中で、果敢にも拳銃を向ける男。その目は、真っ直ぐに眼前の敵へと向けられていた。
「オオムラさん…!?」
「アモウさん、おれが引きつける!その間に逃げろ!」
静寂を破った男‐オオムラは、すかさず拳銃を発砲し続ける。
しかし、スティンクバグ・スプライトの強固な外殻はそれを尽く弾き返していった。
「…オオムラ。そんなんであたしを倒せると思ってるわけ?」
「…アモウさんには借りがあるのさ。お前の好きにさせるか!」
「馬っ鹿みたい。そうやって片手で口を押さえていても、防ぎきれないよ」
「なに…」
「目から。鼻から。全身の毛穴から。身体中に染み渡る。そして…ゆくゆくは死ぬんだよ?鉄砲を撃った所でどうにもならないよ」
「黙れ!アモウさんには借りがあるといったろ!!今度は、おれが彼を…」
「うるさいよ、あんたは」
瞬時に滑空し、オオムラの首を締め上げるスティンクバグ・スプライト。
その瞳が、怒りに満ちたように吊り上がった。
「威嚇射撃もろくにしたことがねえ野郎に、ナメられたもんだよ。借りがある?知らないよ、そんなこと…」
「ぐううっ…」
「…そういや、あんた。子供が産まれるんだってな?顔を見てから死にたかったかい?ん?それは叶いそうもないよ…」
「くっ…あぁ…」
「ほうら。フレグランスが効いてきたよ。絞め殺さない程度に苦しめてから…ふふっ…このフレグランスの苦しみに悶えながら…死ねばいいよ。滑稽だよ、ホント」
「うっ…うっ…」
オオムラは、白目を剥いてピクピクと痙攣し始めた。
その様相に、エンプーサが肩を震わせる。
だから関わるなと言ったんだ……
なのに…
単分子ブレードのロックを、外す。
そして
「馬鹿野郎ォォ!!!」
思い切り、眼の前にいるスティンクバグ・スプライトへ投擲した。
「!??」
放たれたブレードはスティンクバグ・スプライトの背中を抉り取り、地面へと突き刺さる。
背中からは、大量の血液が零れ落ちた。
「オオムラさんを…離せえ!!」
飛びかかり、そのまま蹴撃を側頭部へガツンと見舞う。
あまりの咄嗟のことに、スティンクバグ・スプライトは横薙ぎに転がった。
「おい!しっかりしろ!大丈夫か!!」
「アモ…ウ…さん…」
「喋るな!何で無茶なことしたんだ!!」
「おれ…役に…立った…かい?ふふっ、借りは…」
「馬鹿野郎!あんたの奥さんや、生まれてくる子供のことを忘れたのか!?」
「…そうだけどさ…それは…あんたも…同じだろ?」
息も絶え絶えになりながら、エンプーサに抱き起こされたオオムラが少しも笑う。
「アモウさん…あんたとは…いい友達になれそうだったんだけどなあ…」
「死んだらそれも叶わんのだぞ!!」
「そうかもな…ふふっ」
「おい!…ツジムラさん!早く彼を手当てしてやってくれ!!」
「あ、あいぃ!!おい、皆の衆!!オオムラを医務室へ連れてくでえ!!」
まだガスの残り香はあったが、空気中に散開したようだ。匂いは、薄くなっていた。
ツジムラ達は、オオムラを担いで足早に署へと歩き始める。
「…イズミさんも、頼むよ」
「あいぃぃ!!」
突き刺さったままのブレードを掴み、エンプーサがスティンクバグ・スプライトへと歩み寄る。
その瞳は、怒りに満ちていた。
もう、疲れなど微塵も感じない。
この怒りの感情が、また一刻一刻と自分のセルアウトを進行させているのだろう。
地面を踏み込む力が、一歩一歩と力強くなるのを感じた。
「ぐっ…ど、どこにそんな力を残していたよ…」
「吹っ切れたよ。お前らみたいな奴を殺すことに、もう微塵の迷いもない」
「ふ、ふざけるなよ!!まだあたしは負けちゃ…」
次の瞬間、彼女の腹部がぱっくりと割れたかと思うと、またもや大量の血液が噴出した。
「ぐふぁっ!??」
「カリマ…お前は赦さんぞ…」
「かっ…はっ…!?ぶ、ブレードの直撃がここまで浸透していたなんて……」
身を捩って逃げようとするが、痛みが相当強いのか…スティンクバグ・スプライトは満足に翅も広げられないようだった。
というより、先程の攻撃で片翅は既に喪われている状態である。
小刻みな羽音だけが、うめき声に混じって響いた。
「…観念するんだな。見るに、相当の手負いだろう?逃げられると思うな」
「後期型…それも…不完全な奴に追い込まれるなんて…思ってなかったよ…」
「死ぬ前に教えてもらおうか」
首根っこを掴み上げたエンプーサが、ずいっと迫る。
「ゴンダは何処だ?お前は統制された動きの下、ここに来たのだろ?なら、知っているはずだ…」
「言うと思うの…」
「そもそも、奴の狙いは何だ?何故こんな大掛かりなことをする?俺には、奴の意図が読めない」
「……」
「知らされていない、という言い訳が通ると思うなよ。お前らプロトタイプがどういう経緯で生まれたのかは知らんが、少なくとも「俺達」とは違うんだろう?」
「ふっ…ふふふ…」
「何が可笑しい」
「別に…ただ、これだけははっきりと言えることだよ」
スティンクバグ・スプライトは、その顔を半分カリマのものへと変異させながら不気味にニヤついた。
「真相は…あんたが思ってる程単純なものじゃないってことだよ…」
「何?」
そこまで言うと、スティンクバグ・スプライトの首がガックリと垂れた。
アキノと同じだ。
失血死、だった。
仮面を脱いだアモウは、死骸を地面に放り出す。
顔を出した朝日に思わず目を細める。
その逆光の中に、一人の影が見えた。
「アモウさん…」
心配そうに、整った顔を不安げに曇らせたトモエの姿が、そこにあった。
「よかったです…無事で…」
「何とか…ね」
疲れた顔で少し微笑むと、アモウは返り血を浴びたブレードを見つめ、今度は難しい表情に変える。
「…イズミさんとオオムラさんは!?」
「…病院に搬送されました」
「…?病院は危険だと…」
「あたしが手配したのよ」
「!?」
トモエとは異なる女の声。
不意の来訪者は、彼女のすぐ後ろから現れた。
「トウコ…!?お前…」
薄ら笑いを浮かべながら、トモエの横に立つ女‐トウコは、しかし争うような姿勢は取らぬままに喋り始めた。
「大丈夫よ。ゴンダさんの刺客がいない病院を紹介してあるから、さ」
「…ゴンダの腰巾着みたいな奴の言うことを信じろと?」
「酷い言い様だわね。折角善意で…」
「黙れ!!何を考えているんだお前…!」
「別に。ただ、あたしはカリマの思い通りに事が運ぶのが嫌だっただけよ」
変わらず下品に薄ら笑うトウコが、続ける。
「…先行試作型だかなんだか知らないけど、あんなナメた女。花を持たせるわけにはいかないものね…」
「そっち側でも、さっそく仲違いしてやがるのか?相変わらずのお騒がせ女が」
「…随分と凶暴な物言いをしているわね、アモウ。穏やかな性格が、あんたの美徳だと思っていたけれど…セルアウトの進行は進んでいるようね?」
「っ…」
「自覚してるんでしょ?あんたがあんたを保っていられる時間は…もう長くないことも」
「!!」
思わず、トモエがトウコに顔を向ける。
「ま、ナヨナヨしてるあんたよりも、幾分男らしくなったかもしれないけど」
「お前に体調管理を任せた覚えはない…」
「勘違いしないでちょうだいよ。あんたはスプライトとしての覚醒を酷く恐れているようだけれど、実態はそんなことはないのよ?」
「化物になりたいと思う人間がいると思うのか」
「わたしの姿を見ても、そう思う?人間とどう違うのかしら」
「……」
「シロンは確かにイレギュラーだった。でも、カリマにしてもアキノさんにしても…寸分人間と違わない容姿をしていたじゃない?」
「……」
「スプライトは能力なのよ。ゴンダさんが授けてくださった、ね。化物なんかじゃない」
「そんなものはいらない」
「分からない男…。いい思い出来るのに、ねえ?」
「うっ!?」
不意にトモエが小さな悲鳴を挙げたかと思うと、その首にはトウコの腕が変化した毒針らしきものが突き立てられていた。
「…あなたもこっち側に来てみる?トモエさん」
「や、やめてください…!!一体何を…」
「トウコっ!!何の真似だ!?」
「…ゴンダさんの言う通りね。この女は人質には使えそうよ」
「人質!?何を考えてる!?」
「ゴンダさんはあんたに会いたがっているわ。…わたしには、その意図は分からないけどね」
「…トモエさんをどうするつもりなんだ…」
「だから、人質よ。こうでもしないと、あんた…来てくれそうにないし」
「…そんなことをしなくても俺は出向く。その汚い針を下ろせ」
「分からないじゃないの、そんなこと。仲の良いお友達を攫いでもしなきゃ、あんた動きそうにないもの」
「出向くと言っているのだ!!」
「…熱くならないでよね。二人を病院に手配してあげたのよ?これくらいの対価がないと、やっていけないわ」
「トモエさんを…離せ、トウコ」
「ふん。安心してよ。別に危害を加えるつもりはないわ…わたしも、ゴンダさんもね」
「信用出来…ッ」
「駄目よ。そんな顔をしちゃ」
トウコは、醜く変化し怒りの形相に満ちたアモウを鼻で笑うように諭した。
「とりあえずは二人の容態でも見てきたらどうかしら?場所は追って伝えて上げる…感謝なさいな?」
「トモエさんを置いていけ!攫うメリットなぞ、ないだろう!!」
「メリットやデメリットの話じゃあないのよ、分からないかしら?」
片手でトモエの身体を抱き寄せたまま、トウコが浮遊を始める。
トモエは、自分の置かれた状況に顔を青くした。
「あ、アモウさあん…!」
「トモエさん!!」
「アモウ。また会いましょう」
「待て!!トウコっ…」
「おっとぉ?下手な動きをしてごらんなさい?このコを…刺すわよ?」
「くっ…!」
ホバリングの状態に入ったトウコの身体が、見る見るうちに変異してゆく。
雀蜂の姿をしたトウコ‐ワスプ・スプライトは、トモエを抱えたまま空へと消え去って行った。
「…くそっ!!」
アモウは、悔しさのあまりブレードを地面へと叩きつけるしかなかった。
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