CHAPTER 8

「全く、手厳しいな。頭の硬い奴らめ…」 


サイレンを鳴らしながら追跡してくるパトカーの群れに首を回すと、アモウは毒づいて溜息をついた。


「身体をあれやこれや弄られたと思ったら、今度は警察の厄介になるなんて…どれだけ今日は厄日なんだ全く。え?イズミさん」

 

「仕方ないでしょう!車に乗れって言ったのはサクマ君なんだから!!それに、私だって警察がやってくるだなんて思わなかったわよ!!」


深夜の国道を、イズミがハンドルを切らせながらワゴン車が進む。


当たり前だがスピード違反だ。

 

しかし、そんなことは言ってられない。


トロトロしていると、またあのツジムラとかいう、頭の剥げた刑事(デカ)に詰問されることとなってしまう。


「で、サクマ君?何処に向かえばいいのよ!悪戯にハンドル握らせてるわけじゃないわよね?」


「え?いや…それは…」


「ちょっと!考えもなしに私達を乗せたっていうの!?」


「し、仕方ないでしょう…あの状況…」


「しっかりしてよ責任者!!」


「うう!申し訳ない!!」


イズミとサクマのやり取りを聞いていた後部座席の3人は、かような状況においても少し呆れ返っていた。


「サクマさんってさあ。前から思っていたけど」


「なんです?エツコさん…」


「天然なとこ、あるよねー」


「…僕も、前から思ってました」


「…3人とも、聞こえていますよ?」


苦笑いしつつ、サクマが助手席からこちらへ顔を向ける。


その悪戯っぽい顔には、流石に笑みが溢れてしまった。


「これくらい間の抜けた責任者の方が、僕はやりやすいかもな」


「アモウさん…」


複数のパトカーに追い掛けられているという状況なのに、久しく笑ったアモウの横顔を、トモエが見つめる。


そうだ。


いつもの、アモウのあの笑顔。


それが、彼に戻っていた。


何気ない日常の中でいつも見ていた、彼の顔。


そこには、もうあの悍ましさは残っていない。


彼は、彼なんだ。


何処と無く、気を許せる友人。


何処と無く、温かい気持ちになる。


そして


「家に…帰れるようにしましょうね」


と、呟いた。









「おおい。何をちんたら走っとんねんナエクサあ。ボケェ、距離離されとるやないかい」


「すみませんね。法定速度は守らないと…」


「ドアホか!ほんなもん、律儀に守っとったら、あいつらに逃げられてまいよるがなあ!!もっとアクセル踏まんかい!!何処の警察が、速度守って逃走犯とカーチェイスしとんのや!!ドライブしとんのとちゃうねんぞ!!」


「すみませんね。では、法定速度を超えて運転致します」


ナエクサが、にこやかな表情のままアクセルを踏む。


後続のパトカーも、それに次いで編隊を組みながら追走してくるのが見えた。


「ったく…あいつらあ、多分高速にでも上がるつもりなんやろなあ。本部に連絡、入れといてよかったわあ…」


「封鎖要請を出しておいたのですか。流石です」


「逃げ場所言うたらあ、その辺り使うやろしなあ…。あいつらは絶対に何か知っとんのや。じゃなきゃ、あんな死体の山…説明つかへん」


窓を下げ、ツジムラが煙草を咥えようとした、その時だった。


「うわっ!!!」


フロントガラスに突如飛来してきた、予期せぬ来訪者の姿にナエクサは驚きの声を上げてしまった。


接触時の衝撃が強かったせいか、ガラスにはヒビが入っている。


しかし、それよりも驚いたのは


「な、何やコイツう!?」


姿形は、裸体の女性に近い。


だが肌は青白く、瞳孔の無い瞳は真っ赤。そして、何より背中からは、美しくも奇怪な翅が生えている。


まるで、それは…


「ちょ、蝶々人間…?」


「わああああ!わあぁ!」


「ナエクサぁ!しっかりハンドル握らんかいやあ!!」


「む、無理です…前が見えない…ああああ、あ!」


張り付いたそいつに視界を奪われ、パトカーが高速道路手前の安全帯に突っ込む。


後続のパトカーも、訳がわからぬまま減速に失敗し、次々と玉突き事故を起こす形になった。


「おい、ナエクサ!生きとるかあ!」


「い、生きてはいますが…ぐゥ!?」


「ナエクサあ!!」


フロントガラスに張り付いたままでいた蝶々人間が、けたたましい叫び声と共に腕を突き出す。それはフロントガラスを完全に破壊し、彼の肥えた首根っこを掴み上げていた。


「な、何や何や!バケモンかあ!?」


「キキキキ…」


蝶々人間が、嗤うようにして口を広げる。


そして、掴み上げたナエクサをフロントガラスごと外へと放り投げた。


「しゃ、洒落にならんでえ!これは、まるで洒落にならん!!なんちゅう怪力やあ!!」


ドアを開け、ツジムラが外へと出る。


同じように外へ出てきた警官達も、彼の後方に構えていた。









「…!イズミさん!車を止めてくれ!」


ツジムラ達を襲った蝶々人間の姿は、何度も後ろを振り返っていたアモウの目にも映ることとなった。


「どうしたの!急に…」


「後ろを見てくれ!!」


「ええ…?」


怪訝な声を出して、イズミがブレーキを踏む。だが、同じように後ろを振り返るや否や、流石に血相を変えてしまった。


「!!あれは…!羽化した被験者!?」


「こんなところにいたのですか…!」


セル・プロジェクトにおいて蛹から羽化し、他の被験者達の覚醒を促した増幅器(ブースター)…ゼフィリティス・スプライト。


逃走していたそれが、彼らの目前に現れたのだった。


「どうするのサクマくん!?」


「どうするもなにも、あれを止める為にも研究所から出てきたんだろ!俺が行く!」


「アモウさん!」


サクマが答えるよりも早く、ドアを開けたアモウに、トモエがまた不安げな表情を浮かべた。


だが、そのサクマは小さく頷き、同じように外へと飛び出していく。


「トモエさん、手伝ってください」


「は、はい」


サクマが、トランクからアタッシュケースを取り出す。


その中には、先程見た装備‐蟷螂を思わせる機械的な意匠の仮面と、物々しい形のグローブ。そして、それに付随して備えられた物々しいブレードが収められていた。


「アモウさんには、今一度戦ってもらうこととなりそうです…。トモエさん。刃先で切らないよう注意してください」


「分かりました!」


基部を持ち、解錠されたリングをアモウの左腕に通す。そして、掌はそのまま鋭い爪のような形のグローブで覆われた。


あらためてみると、左腕のみが肥大化したような形になっているようだった。


アンバランスだなあ…


と、トモエは場違いなことを考えてしまう。


「ありがとう、トモエさん」


「大丈夫です」


「アモウさん、仕上げです。これを」


仮面を受け取り、それをそのまま頭から被る。


すると、後頭部から伸びてきた脊髄状の基部が、背中の機械的なソケットへズルズルと入っていった。


ほどなくして瞳が点灯し、CELLスーツの装着が完了した。


「そう言えばイズミさん」


「なに?」


「このスーツ…名前とかないんですか?」


「固有名ってこと?そんなもん、ないわよ。それ、今考えないといけない話?」 


「味気無いな…」


そのまま、前方を見据える。そして


「…エンプーサ」


「はぁ!?」


「エンプーサだ。直感だが…この名前がしっくりくる」


アモウあらため、エンプーサが、疾走してゆく。


「エンプーサ…ねえ。確かにラテン語で雌蟷螂って意味だけど…はぁ…」


イズミはかような状況下でさえ、呆れたような顔をするしかなかった。








「止まれ!止まれ!」


警官達が拳銃を発砲してゆく。


だが、ゼフィリティス・スプライトの身体はそれを尽く跳ね返した。


「あかん!効かん!分からん!何なんやコイツはあ!?」


ツジムラも、撃ち尽くした拳銃を地面に叩きつけて悪態をついていた。どれだけ拳銃をぶっ放しても、この怪物には通用しなかったのだ。


「キキキキ…キキキキ…」


「気色悪いやっちゃなあ、オイィー!ナエクサあ!!お前生きとるかあ!?」

 

「な、何とか…」

 

「本部へ応援要請せえ!!このままやと、一人残らず全滅してまうでえ!!」


また一人、また一人と警官が殴り飛ばされていく。そして、今また一人の警官が奴の視界に入った。


「く、来るな…国家権力に逆らうと…」


それは、奇しくも先程アモウと一悶着あった警官であった。


彼も撃ち尽くしたのか、煙を吹いているだけの拳銃を振り回している。


「キキキキ…」


「や、やめろ!おれには家族がいるんだ…こ、こんなところで…」


「カァォァァァァァア!!!!」


ゼフィリティス・スプライトが、跳んできた。瞳孔の無い瞳を、赤く染めながら。


もう駄目だ。


そう思った、矢先のこと。


「キェェェェェェェ!!?」


「…え?」


前のめりに倒れ込むゼフィリティス・スプライト。その背後に、怪しげな人物が立っているのが見えた。


「…またあんたか。世話焼かせんじゃねえよ」


「え…」


仮面を被った、その異様な風貌。


だが、至極感情的な声でその主は警官を一瞥した。


「あ、あんたは…」


「オオムラあ!無事かあ!!」


「ツジムラさん…」


「!?何やあ!?また変なんが出てきよったあ!?」


「…好き勝手に言ってくれるな」


エンプーサが、ゼフィリティス・スプライトを溜息混じりに見下ろした。


「だが、ここで見つけられたのは好都合かもな…」


「キキキキ…キキキキ!」


「悪いな。あんたも犠牲者なんだろうが…放っておく訳にはいかねえのさ」


「ま、待てえ!何をするつもりやあ!」


「駆除に決まってるだろ」


足下のスニーカーをコンコンと、地面で慣らしたエンプーサが、構えを取る。


どうにも、気分が高揚しているのが分かる。


先程対峙した、あのアキノも同じだった。


ハイになりつつも、適切に今、自分は冷静にこの相手と向かい合っている。


慣れ、ではない。


先程の戦闘を経たくらいで、化物を相手にするという非日常的行為に慣れるはずなどない。


これは、セルアウトが進行している証拠だ。


自分の中に移植された大蟷螂の細胞が、刻一刻と活性化しているのだろう。


これが進めば、俺は…


「キキキキ!!!」


ゼフィリティス・スプライトが、歯を食いしばりながら此方を睨みつける。


人間としての理性は失われているようだが、他のどの個体よりも人間の面影を残している姿は、皮肉としか言いようがない。


「…オオムラさん?だっけか」


「な、何だ…」


「無闇に突っ込むことが正義だとは限らんぞ?警官としての矜持というものは、俺には分からんが…無謀と履き違えているなら、それは正せ。家族のためにもな…」


オオムラをちらりと見やり、再度ゼフィリティス・スプライトへブレードの切っ先を向ける。


「キィー!!」


翅を広げ、鱗粉のようなものを振るわせるゼフィリティス・スプライト。ばら撒かれたそれは、辺り一帯に充満した。


「目眩ましか…」


「何や!次は、一体、何なんやあ!!」


「!おっさん!頭、借りるぞ!」


「へええ?えぇ?」


跳躍したエンプーサが、ツジムラの剥げた頭を踏み台にする。


彼は、更なる高みへと跳ぶ。


「ぁっ…痛ったぁぁ〜!」


転ぶツジムラなどおかまいなしに、左腕のブレードを開く。


「左腕を使うのは癪だが…」


鱗粉の晴れた、視界の先。


浮遊しているゼフィリティス・スプライト。


その身体に、ブレードがガッチリと挟み込まれる感触があった。そして


「ギギイ!!」


「捕まえっ…」


そのまま、地面へと一直線に


「たっ!!!」


力任せに、叩きつけた。


「ギギャア!!!ギギっ…ギギ…」


「また飛んで逃げようとしたんだろうが…」

 

エンプーサが、ブレードの圧を強める。


「そうはいかない。あんたは駆除する。今ここで、俺がな」


「ギギッ…」


その一瞬の様相を、向こう側から駆けつけた四人が目の当たりにする。


「アモウさん…」


「なんということだ…ああも簡単に…」


「すっごい…」


感嘆するトモエとサクマ、そしてエツコとは対照的に、イズミは少々苦い顔をした。


「セルアウトが進んでいるようね…」


それは、先述通りアモウも自覚している周知の事実。アンチセルゲノムを打った所で、進行を止めることが出来ないのは分かっていた。


だが、戦闘能力がこの短時間であそこまで飛躍するのは異常だ。


イズミの想定以上の速度で、セルアウトは進行しているようだった。


「急がないと…」


「ギギギギギ!!ギギギッ…」   


虫が羽音を立てるような、耳障りな声で叫びまわるゼフィリティス・スプライト。しかし、挟み込んでいるブレードの異常な怪力が、その身体を離すことはない。


彼女もそれを悟ってか、悲痛な声を上げ続けた。


「…悪いな。そのままにしておくと、あんたは危険な存在なんだ。あんた自身に罪があるわけじゃないけど」


「ギギギ……ギギギッ、ギギギ…」


「あんたにも、あんたの人生があったんだろうな…」


「ギギギッ…ギギギッ…」

 

「…許しておくれ」


ブレードが、ゼフィリティス・スプライトの身体を寸断した。


夥しい量の血液がそこかしこに噴出し、エンプーサもその返り血を浴びてしまった。

直後、耳を劈くような悲鳴が木霊する。

これには、警官達も耳を塞いで耐えるしかなかった。


「こうすることでしか…もうあんたを救えない。今の俺には…」


「ギギギ…シ…」


「?」


切り離された上半身。


その口が、何を呟いている。


「シ…あ…」


「……」


「シアワセ…ニ…ナリ…タカッ…」


「…セル・プロジェクトに参加した人間は誰一人として…そうはなれなかったよ。勿論、俺も」


仮面を外すアモウ。


彼はやるせない表情で、その死骸へ手を合わせた。


ふと、空を見上げる。


雨が止み、過ぎ去った曇天の雲が晴れた後に見せた月の顔が、蒼かった。








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