二頁
月の白い夜。
解良は明日の予習で勉学に励んでいた。自室は広く、家具が少ない。物がよく壊れる為だ。八重代対策だが、別に怒ってはいない様子だ。
彼女達には責任を取らせている。取るように、と強く教え込んだ賜物だが、自慢することでもないので割愛する。
解良はふと窓の外を見た。青白い月が浮かぶ夜空に、住宅の光が煌めいている。そこで、彼はあるものを目にした。というより、とある人物だ。
「……八重代。おい、八重代!」
解良は窓を開け、ふらふらと何処かへ出掛けようと歩いている八重代やえかに声を掛けた。彼女は振り向かない。何度呼びかけようとも。
彼は大きく溜め息をつくと、急いで自室から駆け出し外へ出た。夢現のような彼女のか細い腕を掴み、視線を合わせる。
「八重代、何処に行く?」
「……あれー、智じゃん。どしたの?」
きょとんとした顔で八重代は解良を見つめる。こてん、と首を傾げ、不思議そうに此方を覗き込んでくる。
「お前……"しとり"か?」
「うんー。あ、今からお出かけね」
「だから、何処に行く」
「ラブホテル」
平然と応える八重代……しとりに、解良は再び大きな溜め息をついた。彼女の首根っこを掴み、ずるずると自宅へ引き摺りこんでいく。
「だから! 身体を売るなとあれほど言っているだろ!」
「あれほどー?」
「あれほどだ! あんなにだ! 沢山言った! 反省文百枚!」
ぎょっとして八重代は目を見開く。解良に助けを求めるような視線を向けながら、じたばたと足掻く。
「やだ! 百枚は無理!」
「問答無用だ……! 同じ言葉を書いたらそのページは破り捨てるからな!」
「"ごめんなさい"しか書くことないー!」
こういったトラブルが毎回起こる。というより、起こす。
その度解良は八重代に「反省文」を書かせた。この方法が八重代達には一番"効く"事を、解良自身が学んだからだ。とにかく迷惑はかけていい。ただ謝罪し、反省する事。それが彼が彼女達に教え込んでいる事のひとつだった。
ただでさえ、彼女は訳ありだというのに。
「なんだー? 痴話喧嘩かー?」
ぎゃーぎゃー言い争う声が目立ったのだろう。第三者の声がかかり、ふたりはぴたりと言動を止めた。
声の方には福田達"アホ面三人組"がいた。松井、静川と共に三人、こんな夜に何をして遊んでいたのか。呆れそうになった後、解良は八重代を睨んだ。八重代は視線を逸らす。
「こんばんは……三人共。どうしてこんな夜に?」
取り繕うように解良は作り笑いを浮かべた。八重代は助かる事に大人しくなっている。
「あー、二人はまだ来たばかりで知らないよなー」
松井がぽんと手を叩いて頷く。
「何が……ですか?」
「あの学校……出るらしいんだよ」
福田が所謂お化けのポーズをして見せる。成程。合点がいったと解良も頷いた。肝試しでもしていたのだろう。
「所でさ……風呂貸してくれない?」
「風呂……?」
普段の調子とは違う様子で福田が訊ねると、解良は不思議そうに首を傾げた。
後ろで大人しくしていた静川が、顔を覗かせて見つめてくる。その表情は、冗談を省いた上で怯えていた。
「学校で肝試ししてたら……なんか服について……」
静川はちらりと服の裾を見せる。灯りに照らされて見れるそれは、赤黒い液体のようなものだった。
「それは……」
「……血だよなあ? 学校になんでそんなものって感じ……」
恐る恐る呟く解良に松井が頷く。触るのも怖いようで、静川は顔を青ざめている。
「血液じゃないよ」
凛とした声が鳴った。四人が視線をやると、解良に首根っこを掴まれたままの八重代がじっと赤黒い液体を見つめている。その瞳は、先程の"しとり"と別物かのようだ。
「……"やえか"?」
解良が手を離し問いかける。八重代は彼を見上げ、静川を指し示した。
「あれ、舐めてご覧よ」
「は?」
「大丈夫だよ。ばっちいけれどね」
「どっちなんだよ」
アホ面三人組は首を傾げる。いつもと様子の違うふたりを不思議そうに見つめている。
「八重代? 解良?」
福田が声を掛けると、八重代は彼に視線を向けた。ふむと一息つき、まじまじと三人を観察するように見つめて、彼女は口を開いた。
「蜂蜜、だよ。血糊として使われる事がある。今はどうかは知らないけれどね」
誰かが意図的に仕組んだもののようだ。
そう説明した八重代は、解良と視線を交わす。何かを呟いた彼女に、解良は頷いた。
「三人共、学校で血糊があった場所まで案内してくれませんか」
「ええ!?」
ぎょっと驚く三人を気にせず、解良と八重代はてきぱきと準備を進める。
「取り敢えず、行ってみよう。オレが解決してあげよう」
「……八重代氏? 解決?」
「嗚呼、解決だよ。"多重人格探偵"に任せ給え」
八重代やえかは澄んだ瞳で真っ直ぐ先を見つめ、学校へと向かう為に歩き始めた。
「所で、学校ってどっちからだっけ?」
「…………」
ーー
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