第8話 お買い物
待ち合わせたのは土曜日の昼前、莉乃の家の最寄り駅前。二度送ってもらったこの場所に見たことある車と男の人。髪を隠すように触りながら近づくと車に寄りかかっていた男は一瞬誰か見定めるように莉乃を見ていたがすぐに車から身体を離した。
莉乃ちゃん? 見知ったはずの男が確認するように呼ぶのは自分の髪型のせいだろう。触れていた手を離す。
背中側で結んでいた髪は結んでいたあたりでばっさりと切った。耳を隠し顎まで伸びた髪は長さはあまり変えず片方を耳にかけている。鏡で見たときには自分でも印象が違うと感じた。
「変、ですか?」
莉乃が声をかけてようやく呆けていた男、拓海は彼女へ笑いかけた。
「全然変じゃない。似合ってる、可愛い」
「う、ありがとうございます」
「自分でも対策してきたの。偉い偉い」
莉乃にとって聞き慣れない口調の拓海の手が頭に乗せられる。それはすぐに離れると車の助手席の扉を開いた。
「どうぞ、といってもそんなに遠くには行かないけど」
「今日もよろしくお願いします!」
「はいはい、閉めるよ」
閉まった扉の向こうで莉乃はせっせとシートベルトを探して締めている。コンビニ勤務から送った時に比べれば緊張は無いのだろう。良いことだと考え、拓海は首を傾げる。仲が良いとはいえ、男の車にこんな嬉しそうに容易く乗ってしまって大丈夫なのか。
見れば車の中で莉乃が同じように首を傾げていて笑ってしまう。今日は友達とのお出かけなのだから気にする必要も無い。
「今日はどこにお買い物なんですか?」
拓海が運転席に乗ると期待に輝く目を向けられる。
「ショッピングモールよ、たしか車で十分くらいのところにあったわよね」
「しばらく行ってない気がします」
「あたしも久しぶりに行くわ。お買い物も楽しみだけど、目的忘れないようにね」
今日の目的は買い物と莉乃の歩き方改善。分かってますよ。動き出した車の窓から外を眺める莉乃の拗ねたような返事。
本当にそれだけで客引きを退けられるかは分からない。けれど少しでも隣の女の子が怖い思いをする可能性が減るならばそれが良い。
「お買い物は屋内だけど晴れて良かったです」
怖い思いをしたことすら忘れていそうな彼女は往き過ぎる景色に笑いかける。
「莉乃ちゃん車には乗らないのね」
「免許を持ってるだけです!」
自信満々な答えに二人で笑う。
「便利とは思いますけどお仕事も電車で行けるので」
「機会が無いと中々ね。お友達と旅行とかでは乗せてもらうのかしら?」
「仕事し始めてから友達と連絡も取ってないので行かないですね」
「そう、それじゃあ今度は旅行に行ってみる?」
すぐに返事が来ず拓海は踏み込みすぎたかと一瞬視線を莉乃へ向けた。彼女は変わらず拓海と反対側の景色を見ている。
せめて聞こえていなければ良いけれど。
赤信号で止まると莉乃は正面を向く。
「旅行も楽しそうですね!」
思わぬ返事に青信号を見逃す。莉乃に言われて慌てて運転へ戻る。
隣の女の子はきっと自分を同姓の友達のように思っている。思ってくれている。
「せっかくなら車でしか行けないようなところに行きましょうね」
ようやく友達らしい返事をすると隣からは楽しみだと弾んだ言葉が聞こえてくる。
本当に大丈夫なのだろうか。誰にでも警戒心が薄すぎないか。拓海が一人悶々としていると目的地に着く。
大型ショッピングモール、休日の昼前ということもあり駐車場はほぼ満車。仕方なく出入り口から遠いところに留めると言っても莉乃はよほど買い物が楽しみなのか普段よりも大きな声で問題ないという。
「何買いたい?」
「えーっと。ピアス、ですかね」
ピアス? 見ればいつも髪に隠れた莉乃の耳には飾りこそ付いていないが飾りを通す穴がある。良いですか、と首を傾げられ彼は頷き笑い返す。
「じゃあそろそろ、背筋伸ばそっか」
言われて莉乃の背中が大袈裟なまでにまっすぐ伸びる。
大袈裟。拓海が小さく笑い莉乃は拗ねて少し早足に歩き始める。ショッピングモールの中に歩きだして少しすると彼女は明らかに歩みを遅くして振り返った。
「お店変わってました……」
思わず息が短く吹き出てしまう。
フロアマップと睨めっこしている莉乃と並ぶ。拓海が見る限り店の入れ替えは少ないように感じる。車で十分程度、バスも出ているここに来ることは難しく無いだろうけれど莉乃はフロアマップを指でなぞり知っている店を探す。
「ここのお店、ピアス多かったと思う」
莉乃の指が素通りした店を指すと莉乃はじゃあ行きましょう!と足早に指した店とは反対方向へ歩き出す。
「こーら、こっち。どこに行こうとしてるの」
離れる片手を取ると彼女は驚き振り返る。
失礼な客引きのことを思い出させてしまったか。慌てて手を離す。
莉乃は首を傾げフロアマップを見直す。
「わ、ほんとに逆ですね。ありがとうございます!」
そしてそのまま店に向かって歩き始めた。きっと誤魔化しが下手な莉乃は恐ろしさを感じればすぐ顔に出るだろう。
前を歩く背中から腕を回して抱きつきそうになり拓海は気を引き締め直す。ここは喫茶店ではなく外なのだから。自分だけならまだしも莉乃に迷惑をかけるわけにはいかない。
拓海が指した店は白を基調とした店で多くの商品がガラスウィンドウ内に収められているがガラスケースの上や別卓にセール中のアクセサリーや手の届きやすいアクセサリーが飾られている。
「私が探してる間拓海さん暇になりませんか?」
アクセサリーに釣られるように足を踏み出しかけた莉乃が足を止めて視線を上げる。
「自分の探せるし暇にはならないかな」
拓海の耳を見るとピアス穴が空いている。よくよく見れば、穴は一つではなさそうだ。莉乃の視線に気づいた拓海が片手で莉乃の見ている耳を隠す。
「若気の至りってやつ。流石に今通してるのは一つだけだよ」
「その、骨のとこのって痛くないんですか?」
「空けた当時は痛いけど今は全然。あー、莉乃ちゃん。良かったら僕のピアス探してくれる? 僕は莉乃ちゃんのピアス探すから」
呆けた声が莉乃から漏れる。
「その方が楽しそうだから。失くしたらまたお互い探しにくる口実にしたら良いでしょ」
ショーケースにある値段が高めなものは除外。お互い決まったら買って交換しよう。予算はお互い無理しない程度。
どう? と笑いかけられ莉乃は思わず頷く。
じゃあ探してくる、と離れていく拓海は莉乃にしてみれば随分スマートでこういうことにも慣れているように見える。自分は全然慣れていないのに。
男の人が好きそうな、似合うピアス。シンプルにかっこいいものが良いだろうか。けれど喫茶店での拓海は明らかに可愛いものが好きだった。じゃあ可愛いものをここで買ってしまって良いのか。普段使うことが出来なくならないか。
多くのピアスを前に首を傾げ悩む莉乃を他所に拓海は会計を済ませていた。
悩み続ける莉乃は隣に並んだ拓海に驚き申し訳無さげに小さく「まだ決まらなくて」と視線を下げた。こころなしか曲がる背中に手を添えると意図に気づいた彼女は背筋を伸ばす。
「そんなに悩まなくていいのに。そうだなあ、じゃあ」
莉乃の斜め背後から両方の肩に軽く手を乗せ、拓海は背を曲げて少しだけ屈む。
「莉乃ちゃんが『欲しい』と思うものを買ってくれるかしら?」
店員には聞こえない声量と僅かな息が耳にかかり彼女は勢いよく振り返る。先程まで共に買い物をしていた拓海というよりいつものウエイターさんに近い表情の人が柔和に笑い、煙草を吸ってくるからゆっくり選んで、と背を向ける。
自分が欲しい物。言われたまま再度商品に目を向けると不思議といくつかの候補が目に留まる。男の人には可愛らしい、けれどシンプルで自分なら仕事にも付けていける。揺れる飾りは無く、けれど小さな色石の乗ったリング状のピアス。
他のピアスを見ても今見ているピアスほどしっくりくるものがない。意を決して色石のついたリングのようなピアスをレジまで持っていく。
簡単に包装されたピアスをそっと鞄にしまう。
「買えた?」
店から出るとすぐに拓海が合流した。
「その、拓海さんが気に入るか分からないですけど」
「それは僕も一緒だよ。じゃあ適当にお店見ながら戻ろうか」
自然に差し出された片手を取り、甘いもの食べたいですね、と希望を口にする。今週は喫茶店行かない分甘いものを食べておかないとね。
手を取り合ったまま適当な喫茶店に入りお茶を楽しむ。少しだけ小さな声で「やっぱりいつもの喫茶店が一番ですね」と笑い合い、お茶とケーキを楽しんだ後にまた自然に手を取り合い拓海の車まで歩いた。
莉乃が乗る助手席の扉を開けようと彼女の手を放し、拓海はふと気づいた。
「手、繋いじゃってたね。ごめん」
開かれた助手席へ足を踏み入れかけた莉乃は首を傾げてから笑う。
「気にしてませんでした」
助手席の扉を閉めてから拓海はため息を吐いた。
運転席に乗ればシートベルトを締めた莉乃が満足気に今日は楽しかった、と車の外の風景に目を向ける。それは良かったと言葉を返しながら拓海は莉乃を見られないでいた。
ショッピングモールでの買い物は間違いなく楽しかった。喫茶店で会うよりもずっと。けれど自分の堪え性が無さすぎる。助手席で興奮冷め無い様子で外を眺めピアス選びに困っていたけれど楽しかったと話す彼女は本当に何も気にしていないのだろうけれど。
外でいい年の男女が手を繋いでいればそれは他人から見れば家族か恋人か、友達以外の関係に見られることが多い。彼女の知り合いに見られていれば彼女の迷惑になる。
彼女に恋人が居るのかどうかは知らないけれど。
「拓海さん? 拓海さんは楽しくなかったですか?」
行きに待ち合わせた場所に着くも隣では難しい顔をした拓海が居る。不安げに莉乃が問うと拓海は慌てて笑顔で手を振った。楽しかったに決まっている。
良かった。莉乃は車の扉に手を掛けると慌てて振り返り鞄から小さな袋を取り出す。店で買ったピアス渡すの忘れて帰っちゃうところでした。
莉乃からピアスを受け取り拓海も購入したピアスを渡す。
「来週、いつものとこで見せっこしましょ」
「はい! 今日はありがとうございました! また行きましょうね」
「ええ、また行きましょ」
車を降りた莉乃は手を振り、道を渡り道向こうで手を振り。
その姿を見送る拓海の口からはやはりため息が漏れた。
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