第4話 いつもとちがういつも

 

 金曜日の深夜。あと数十分で日付が変わる時間に莉乃は自宅の最寄駅からひとつ先の駅で降りた。仕事の疲労により終電で寝過ごし、この駅からは徒歩で歩いて帰る。幸いなのは駅間の距離が遠くないこと。ただ、帰宅したところで夕食はない。


 ため息を吐いて顔を上げると二十四時間営業のコンビニの明かりが目に入った。


 コンビニ弁当を常習化させるのは良くない。そう言われては居たが今日は仕方ない。自分に言い訳をしてコンビニへ足を踏み入れる。店員は店奥に居るのか歓迎の声も無い。適当な飲み物と、コンビニ弁当。甘いものに手が伸びそうになるが週末の楽しみを思い出し止めた。


 明日、土曜日はいつもの喫茶店に行く日だから。その時まだ甘いものが欲しかったらケーキを多めに頼めば良い。温かな場所を思い出しただけで頬が緩む。


 弁当と飲み物をレジに持っていくと店員が奥から出てきて手早く精算を済ませる。


「お弁当温めますか?」


 ぼーっとしていたところに店員の声が聞こえ慌てて視線を上げた。


「あたため――」


 温める必要はない。そう応えようとした声が詰まる。


 気怠そうにする店員は飲み物を袋に詰めたところで温めの返事がないことを疑問に思い顔を上げた。


「……あー。お弁当、温める?」


 改めて言い直す姿に勘違いではないと莉乃は確信する。


 目の前の「男の人」は週末に向かう喫茶店に居るウエイターだった。週末だけやっている喫茶店、その他の時間何をしているかはお互い知らなかったがここで働いているのだろう。


「その、こんな時間なんだけどもうすぐ勤務時間終わるからちょっとイートインスペースとかで待てる?」


「あ、じゃあ、ご飯食べてても良いですか?」


「もちろん。じゃあ温めとくね」


 莉乃の知るよりも男らしい姿と言葉。違和感を感じはするがいつも通り優しい。


 温められた弁当の入った袋を受け取る。


 外向きの大きな窓に向いたコンビニのイートインスペース。外は街頭と車の明かりばかりしか無く立ち並ぶ家にも明かりはない。皆寝ているのだろう。腕時計を見ると日付が変わっていた。


 いただきます。手を合わせてお弁当を開ける。慣れてしまった変わらない味ではあるがいつもと違う風景の中温かい物が食べられるだけで少し楽しい気分になる。


 弁当を七割ほど食べ終わると入店を知らせる音が鳴る。


 何とはなく目を向けると見慣れない見知った姿が迷いなく莉乃の隣に腰を下ろした。


「お疲れ様です?」


 そう声をかけて良いものか迷いながら声をかけるといつも見ていた姿より男の人らしいその人はありがとう、と笑った。


 ラフなTシャツにテーラードジャケットを着ている。


 思わず「かっこいいですね」と声を掛けるとその人は驚いたように一瞬動きを止めた後照れたように顔を伏せた。


「褒めてくれるならアッチの方が嬉しいかな」


「明日行きますよー」


「そう。それで今日は仕事帰り? 今までここで見かけたこと無かったけど」


「ええとですね、仕事が遅くなってしまって……その、終電で寝過ごすという……」


 怒られるだろうか、と、恐る恐る顔を伺うと意外にも男は呆れたように笑っていた。


「そんなことだと思った。食べ終わったら最寄りの駅まで送るよ」


 そんな迷惑はかけられない。慌てて割り箸を置いて反抗するように声を上げるが、男はだーめ、と言って外を指差す。このあたりで歩いたことがなければ分からないだろうがこのあたりは街灯も少なく女の子が一人で歩くにはあまりに危ない。不審者が出るという情報こそ無いが居たところでおかしくない。


 そんな中、見知っている女の子を一人歩かせられるわけがない。


「うう、分かりました。お世話になります」


「はいはい、外で煙草吸ってるから食べ終わったらおいで」


 ゆっくりね。軽く頭を叩かれる。


 変わらないウエイターさんではあるのに違和感が拭いきれない。外だから男の人らしくしているのか、今の姿が普段のウエイターさんなのか。食べ終えた弁当の空を捨てて外に出る。


 夜風が僅かな煙を運んでくる。待たせている男の元に駆け向かうと男はタバコの火を灰皿に押し付けて消した。


「お待たせしました!」


「待ってないよ、大丈夫。向かう駅ってどこ?」


 向かう駅の名前を伝えると男は一つ頷く。遠くないけれどやっぱり送る、と。


 男が手元で鍵を操作すると夜闇の中で車のランプが数度点灯した。


「え、えっと、じゃあよろしくお願いします」


「はい、どーぞ」


 助手席に乗り込むと車独特の匂いに包まれた。


「シートベルトしててね」


 シートベルトを締めると車は動き出す。


 先程の言葉はいつものウエイターと同じ。助手席から男の顔を見ていると「穴が空きそうだわ」と、いつもの口調が聞こえて莉乃は笑い返した。間違いなくウエイターだ。


「いつもと違う口調だったのでドキドキしました」


「流石にあの店の外だとねえ。こっちの口調でずっと居たいとは思うけど中々ね」


「でも今の方が安心します」


「ふふ、安心してないのに男の車なんて乗っちゃ駄目よ? 本当なら危ないんだから」


 はあい、と間の抜けた返事をするとウエイターは車の中にわずかに流れていた音楽を止めた。


「莉乃ちゃん、明日は昼に来る? 夕方に来る?」


「あ、考えてなかったです。えっと、夕方でも良いですか? お代払うので、あの、またご飯も」


「はいはい。マスターに伝えとくわ」


 嬉しそうに笑う莉乃を一瞬横目に見て、ウエイターはため息を飲み込んだ。


 あちらの喫茶店で知り合い夕方に招待するほど仲良くなった女の子に今の、喫茶店以外の姿を知られたくはなかった。隣の莉乃は全く気にしていないようだが、出来ることなら喫茶店の姿だけを知っていてほしかった。普段働く姿はあまりにも、自分の理想に程遠い。


 考え事をしているとすぐに目的地である駅の明かりが見えてくる。


 ありがとうございますという莉乃はすぐにでも車を出ようとしている。車の扉に手をかけ、あ、と声を上げると振り返り笑顔を見せる。


「私もウエイターさんの名前知りたいです!」


「え? あぁ、うーん。店の人達には内緒よ?」


 何度も笑顔で頷く莉乃。この子はきっと自分の姿がどうであれ気にしないだろう。


「あたしの名前は拓海(たくみ)よ」


「拓海さん! 今日はありがとうございました、また明日!」


 ぶんぶんと音が鳴りそうなほど片手を大きく振った莉乃が見えなくなるまで見送る。車を出て手を振り、道向こうで手を振り。きっとそのどちらも変わらない笑顔を浮かべていたのだろう。


 拓海は深くため息を吐いた。


 

 翌日。土曜日の夕方に莉乃は喫茶店の扉を開く。


 「いつもどおり」ウエイターが両手を広げて莉乃を迎え、莉乃はその腕の中に飛び込んだ。


「ウエイターさん今日も可愛いですね!」


「あら、ありがとう! 嬉しいわ!」


 再び抱きしめられるとマスターが呆れてお客様に抱きつかないように、と諌めてウエイターが間延びした返事を返す。


 いつもの喫茶店でいつもの景色といつもの人。


 莉乃はマスターから差し出された夕食を口に入れ幸せそうに笑った。

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