第12話 据え膳食わぬままだから童貞なのよ

「…………」

「…………」


 重い。沈黙が重い。

ベッドに腰掛けるメリーさんの隣に腰掛けたのはいいけれど、その後はどうすればいいんでしょうか? 

脳内で問いかけるが都合よく第2人格が現れるわけでもない。ひたすらに心臓の鼓動だけが脳へと贈られてくるばかりだ。


 つい数分前。俺がシャワーを浴びて部屋へと戻ると、就寝をしているだろうと思っていたメリーさんが起きていて、ベッドに腰掛けながら出迎えてくれたのだ。


 どうやら彼女曰く興奮して眠れない……らしいけど、女性とのお付き合いが未経験な俺からしてみれば、どのような返答が適切かなんて分からない。お生憎、童貞の辞書には記述がないのである。おかげで索引すら出来ずに、無言で彼女の隣に座るのが関の山。童貞が次にするべくアクションについて全く思い浮かばず今に至る。


 えっと……何か言わないと。

たしか人は緊張状態に入ると、まくし立てるように喋り始めるか、言葉が詰まり無言になるそうだが、自分はめっぽう後者らしい。


「(気まずい……)」


 それこそ別にメリーさんは眠れないだけであって、楽しいお喋りをしましょうなどと提案をしてきているわけじゃない。

沈黙を貫いても問題はないはずなのだけれど、やはりホテルというシチュは特殊すぎる。胸は痛いし、鼓動は忙しないわ、頬は熱いときているので欲情が無駄に高まっているのだ。


 結論を述べるなら童貞の我慢も限界に近い。

故に放置すれば大変な事態になりかねないので、打破する手段を考えなければ。


このまま沈黙を続けてたら、昭和ドラマの濡れ場直前なシーンよろしくムーディーな雰囲気に押しつぶされかねない。


「あ、そういえば」


 この空気を打開する案というほどでもないが、とある物をメリーさんの為に購入していたのを思い出す。


なるべく視界に彼女を入れないようにしつつ、俺はバッグから荷物を取り出す。それは片手で持てる程度の小さめな長方形の箱であった。

その箱のパッケージは、青色を背景にイルカのシルエットが描かれた海を彷彿とさせるデザインになっている。

中身については、本人に確認してもらった方がいいだろう。


 そうして俺は箱をメリーさんへと差し出した。

残念ながら気恥ずかしいので、目線は逸したままの状態だけど。


「これ、あげるよ」


 それこそ至極シンプルな、ぶっきらぼうと言えるくらいの言葉。まるで思春期の中学生男子が母へのプレゼントを渡す時みたいだ。


 だが、メリーさんはというと、かろうじて聞こえる程度の小さな笑い声を漏らしてみせた。


「飯伏さん、もしかして私へのプレゼントですか?」


「ああ、うん。そんな感じ」


「わぁ……ありがとうございます!!」


 すると手にした箱の感触が消え去る。どうやらメリーさんが箱を受け取ったみたいだ。

そして、メリーさんは箱を開けたらしく、化粧箱タイプ特有の空気が抜ける音が耳へと届く。


「……飯伏さん、これって?」


 そんな彼女の問いかける声は震えていて、喜びなのか、はたまたドン引きしているのか、俺は視線を逸しているので分からない。

それこそ、俺が贈ったプレゼントがメリーさんにとって喜ばしい物なのか不安になってくる。


 俺が彼女へと渡したプレゼント。それはネックレスであった。飾りにはシルバーのイルカが付けられている。


「いや、その……。メリーさん、イルカを観るの楽しみにしていたでしょ。だけど、人形探しで見逃してしまったから、その代わりというか」


 なんだか理由を言語化してたら恥ずかしくなってきた。そもそも冷静に考えてみれば、付き合ってもいないのに女子への贈り物としてネックレスを選んでるあたり相当キモいよな!?


しかも、水族館でトイレに行くと嘘をついて、こっそりと売店で購入している箇所が際立ってキモポイントが高めだよ。優勝しちゃう。何のコンテストかは不明だけど!!


「ごめんメリーさん、やっぱり……そのプレゼントはなしで」


「え、どうしてですか? 私、嬉しいですよ。というより、もう着けちゃいました」


「早いな!?」


 そんな、クリスマスプレゼントを貰ったお子様じゃないんだから。

などと脳内ツッコミを入れながらメリーさんの方へと向いてしまう。


 目と鼻の先。メリーさんが頬を桃色に染めながら微笑しているのが視界に入る。そして、綺麗な首筋には銀色のチェーンが通してあり、言葉通り、俺のあげたネックレスを装着していた。


「どう、ですか?」


「……っ」


 そんな質問に俺は再び目線を床へと落としてしまう。いつもと違う、それこそ可愛さに振り切っているメリーさんが妙に妖艶さを携えていたせいか、肌が震えるほど鼓動が早くなる。


 まずい……どうしよう。

 耐えられるのか、俺?


 まるで絶食時に目の前で肉を焼かれているみたいな。あと一歩で美味しくいただいてしまいそうな欲情具合だ。


なんとかしようと考えながら瞼を強くつむり、心音を落ち着かせようと試みるが、それをメリーさんは許さない。


 彼女は吐息混じりに聞いてくる。


「飯伏さん、手を握って大丈夫ですか?」


「ん……」


 メリーさんの問いかけに素っ気なく答えると、生暖かな感触が左手に覆いかぶさる。


「…………」

「…………」


 お互い沈黙を貫き、室内に響くのは空調の乱れたエアコンのスイング音のみ。

心臓が煩い。体が火照る。左手には柔らかな彼女の温もり。

気恥ずかしさと倒錯的な思考がシャトルランを繰り返し、隣に座るメリーさんの表情を伺えない。


 今、彼女の横顔を見てしまえば、それこそ抑止が効かなくなり、取り返しのつかない愚かな行為を実施してしまいそうだった。それくらい限界に近い状態なのである。


「飯伏さん……ごめんなさい」


 すると、俺の手を握りしめる彼女の手が少し強くなる。

はて……? 何故、メリーさんがこの状況で謝罪をするのだろうか。

それこそ、謝る要因ならくさるほど思いつくが、謝られる理由についてはからっきしである。


 俺は視線を木目調の床下から変えず、彼女に問いかけた。


「いきなりどうしたの? 俺は今日、とても充実していたから、どうしてメリーさんが謝るのか分からないよ」


「いいえ、違うんです。私もデートは凄く楽しかったです。ですから……いけないんです」


「……??」


 よく分からないぞ? 充実した一日を過ごすのが何故、いけないという発想に至るのだろうか。それこそ、誰かが不幸になったとかなら理解できるけど。


 思い返しても、女の子が人形を失くしてしまい、一時的にとはいえ気落ちする場面もあったが、最終的には人形が見つかったので悪い思い出と表現するには相応しくない。


 おかげで、答えが見つからずに脳内で疑問だけがグルグルと駆け巡ってしまう。そんな混乱する思考を更に乱す要素が加わる。俺の腕にもたれかかるようにメリーさんが身を寄せてきたのだ。


「あはは……私、変なんです。デートの始めは純粋にワクワクしていたのに、水族館で女の子……アカネちゃんがヤエちゃんを失くしてしまった時に、飯伏さんが”人形を探してあげていいかな?”って、私と同じ考えになった時……凄く胸のあたりが熱くなったんです。そこからずっとワクワクがドキドキに変わって忙しないんです」


「えっと……それって」


 喉元に出かかった単語を飲み込む。


 勘違いするな。あくまで気分が高揚していてメリーさんは錯覚しているだけかもしれないだろう。このホテルという環境がより一層、変な気持ちにさせているだけだ。


 そんなチキンな俺は覚悟が決まらず、メリーさんの温もりから離れて背中を向ける形で横になる。

すでに下半身は限界点を超えている。ここで彼女の表情を一度でも拝んでしまえば、本当に理性が効かなくなってしまうのは誰よりも俺自身が知っていたから。


「飯伏さん。ごめんなさい……でも、今はもう少しだけ、貴方を感じさせて下さい」


 すると、ベッドが軋む音が聞こえてくる。それと同時に俺の背後から優しい暖かさが伝わってきた。


 背中に感じる柔らかな質感。

 衣服越しから伝わってくる人肌の温もり。

 耳元へと聞こえてくる彼女の呼吸音。


 それらの全ての要素が俺を錯乱させるのには十分な要素として構築されていく。メリーさん、感じていたいだなんて言っているけど、それがどういう意味になるのか分かっているんだよね?


 それこそ、俺は我慢の境界を超えてしまうまで、あと一歩まで迫っている。

高鳴る鼓動と煩悩を必死に制しながら、俺の腹部へと回されたメリーさんの手にそっと触れる。

すると、靭やかな肌質が伝わるのと共に、彼女の手が震えているのが伝わってきた。


「メリーさん……」


 ポツリと彼女の名前を口にしながら手を重ねると、震えが徐々に収まっていく。


 危なかった。何を考えていたんだよ、俺。

メリーさんと出会ったときから今日まで、ずっと言葉に、感情に、行動で示してくれたじゃないか。


 寂しかった……って。


 それこそ、ホテルに来てから妙に積極的だったのも、俺に甘えたかったからに違いない。


 彼女の願いは恋ではなく、愛してほしいのだから。

自惚れかもしれないけど、俺は彼女にとって信頼できる存在になれたのだと思う。だからこそ、こうして甘えてくれているんだ。


 そうに違いない。もしかしてメリーさんは俺を異性として意識してくれているんじゃないか? なんて勘違いもいいところである。

年相応の煩悩に振り回されるのは心の中に留めておくので十分。おかげで彼女の無垢な心を守ることができたよ。


 そんな言い訳じみた内容で勝手に納得してみせて、俺は彼女に一言告げる。


「おやすみ、メリーさん」


 そう伝えるが、言葉は届かなかったらしい。既に背後からはメリーさんの小さな寝息が聞こえてくる。


 あはは……本当に、信頼してくれているんだな。


 それが少しだけ嬉しかったのか、体の熱はいつまでも引く気配が訪れない。

そんな多幸感に包まれながら、瞼は徐々に閉じていく。


「飯伏さん、好きです」


 夢へと誘われる直前。そんな言葉が最後に聞こえて、俺の意識は落ちていくのであった。


……


「ゲホッゲホッ、風邪引いたな、これ」


 そうして、翌朝。喉と痛みと体の気怠さを感じながら目を覚ます。

どうやら体の熱さはウイルスが体内に侵食したのが原因だったみたいだ。

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