第11話 もしもし、俺、主人公。今、ヒロインとラブホテルに居るの

「もしもし、俺、飯伏。今、メリーさんとラブホテルに居るの」


 OK。何を言っているのかサッパリ分からないだろう。実は俺もなんだ。脳の処理が追いついてなくて、とりあえず状況を口に出してみたんだが……うん、やっぱり理解が現実を置いてけぼりにしていく。混乱が音速のソニック状態に突入して脳内世界レコードを叩き出しちゃっているんだ。


 とあるホテルの一室。

硬すぎる質感のベッドに腰掛けながらパンツ一丁で呆けてみせる。備え付けのエアコンの効きが悪くて寒い。


「クシュン……風邪じゃないよな?」


 クシャミによって出かかった鼻水をすすりながら改めて状況を整理するのであった。



 ことの始まりは数分前。俺とメリーさんは水族館デートを終えて帰路につこうと駅まで向かおうとしていた。


”私は飯伏さんとまたデートに行きたいです”


 そんなメリーさんの約束と一緒に握りしめられた手は簡単には離れず、歩幅を合わせながら、ゆっくり、ゆっくりと帰り道を進んでいったんだ。お互いに口を開かずに。


「(体が……熱い)」


 もうね。中学生みたいに鼓動が跳ねてドキドキしてさ。体中の血液が駆け巡って、心臓が張り裂けそうでしたよ。


 あ〜、やばい。これって勘違いしていいよね? 

行くとこまで行くか?……だなんて邪な考えに支配されちゃったのよ。

まあ、簡単には問屋が卸さなかったけど。


「……ん? 雨?」


 頬に雨粒が落ちてきたと思ったら、その後、空気も読まずに雨が降り始めたわけでして。いわゆる夕時雨というやつだ。


傘も持っていなかったし、俺とメリーさんの繋いだ手は呆気なく離ればなれ。急いで屋根のある建物へと避難したわけだ。


 夕日の茜色から一転、瞬く間に空は灰色へと変貌して、冷たい風と雨を俺達へ進呈してくれる。


 たった数秒ほど雨ざらしにあっただけなのに体中はびしょ濡れ。軒下でメリーさんは分厚い雲を見上げながら呟いてみせた。


「雨、止みそうにないですね」


「そうだね。この様子だとしばらくは振り続けるかも」


 朝方の天気予報では晴れのち曇り、夜から雨という予報だったので、夕方までに帰宅すればいいだろうと考えていたが甘かったみたい。想定よりも早く雨雲が到来してきて、デートの余韻と手に残っていたはずの温もりは雨と共に洗い流されていってしまった。


「…………クチュン」


 すると左隣から聞き漏らしてしまいそうなほど小さなクシャミが雨音に混じる。

視線をメリーさんへと移すと、口元を抑えながら体を小刻みに振るえさせているのが瞳に入った。


 金色の髪は水分を含み色濃くなり、実り下がる稲穂のように垂れ下がる。その髪先から水分が重力に従い流れ落ち、衣服へと辿り着く。そして、付着した雨水は白いブラウスへと張り付いて薄っすらと彼女の肌色を浮かび上がらせていた。


 その姿を見て、思わず唾を飲み込んで見惚れてしまった。不謹慎ながら美しいと思ってしまったのだ。

だけど、そんな思考は刹那程度で消え失せて、体が冷えては大変だと、すぐさま俺の上着を彼女へとかけてあげた。


「……ありがとうございます。ですけど、飯伏さんは寒くないのですか?」


「平気だよ……って、強がってみせたいけど、ちょっとだけ寒いかな」


 生暖かな息を吐き出しながら引きつった笑みをメリーさんへと向ける。

ここで格好良く見栄を貼れたらよかったが、肉体は正直みたい。

衣服が濡れて体温が着実に下がっていくのを全身で感じているし、10月の秋風が肌を突き刺して痛みすら与えてくれる。変に強がってもバレるだろうし、正直に申告した。


しかし、素直に体の状態を伝えたのがまずかった。なにせ相手はメリーさんである。

この娘が優しくて……そして、変に積極的な性格なのをすっかりと忘れていた。


 彼女は躊躇なく俺へと近寄ると、腕を絡ますように自身の体を……主に上半身を当てる形で抱きしめてきたのだ。


 フニっと布越しから伝わる柔らかな感触。温もりが消えかかっていた肌へ瞬時に熱が灯る。


「メリーさん!?」


「このままだと飯伏さんが風邪を引いちゃいます。だから、少しでも肌を密着させて温めあいましょう」


「あ、いや……うん。それは、そうなんだけどね」


「では、こう言い換えちゃいます。私は雨に濡れて体が寒いです。飯伏さんの体温で温めてさせてください」


「ア、ハイ……」


 ぐう、参った。それを言われてしまうと下手に突っぱねられない。寧ろここでメリーさんを引き剥がそうものなら身も心も冷たい人の烙印を押されかねない。


 観念した俺は腕に伝わる倒錯的な柔らかさに意識が持ってかれるのを避ける為、目を閉じて極力情報を遮断するようにした。


 その……ね? ふんわりとした感触に加えて、メリーさんの衣が透けて下着も見えてしまってさ。ピンク色……そう、ピンクのアレよ。


 あ、やべぇ……体が熱くなってきた。血液が下半身に集約してきている、これはマズい。


 落ち着け〜、落ち着け〜。はい、深呼吸をし……


「飯伏さんの体、あったかいです」


 するとどうだろうか。メリーさんが俺の腕に顔を埋めてスリスリし始めたのだ。

 あ、うん。ムリムリ。もう我慢できんよ。愛おしすぎてやばい。


「(このままだと敵わん!!)」


 すかさず俺は空いている片手でスマートフォンを操作して地図を開く。近くに漫画喫茶とかあるだろうし、そこで暖を取ろう、そうしよう!!


 体に残る熱量(主に下半身)が蒸発ならぬ暴発せぬ前に早急に手を打たねば。


 すぐさま現在の位置情報から周辺施設を検索。地図にいくつかのピンマークが出現する。


 お? ちょうど隣のビルが宿泊施設じゃないか。一泊じゃなくて、休憩オプションも選択肢にあるし……。


「待てよ?」


 休憩という、ある意味馴染み深いワード。そこから連想される答え。俺は恐る恐る地図に記されてたビルへと首を傾けて確信に至る。


 これは……



「どう足掻いてもラブホテルじゃねぇか」


 脳内回想を終えて俺は顔を伏せる。

 なんで逃げた先が神がかったシチュに適した場所なんですかね?

 これなんてエロ漫画?


 弁明させてくれ。あのまま雨宿りを続けていたら二人とも風邪を引いて共倒れになってしまうからラブホテルへ避難したんだよ。仕方がなかった……なかったんだよ!?


「パンツ一丁で考えても言い訳にすらならないな」


 天井を見上げながら重たい息を吐き出してみるけれど、煩悩は腹の底を漂ったまま。

唯一ありがたい点といえば、エロ漫画やアニメで得た知識にあるラブホテルのイメージとかけ離れていたくらいだろうか。


 それこそピンク色の照明やド派手な色のベッド……などと如何にもなレイアウトを想像していたが、意外にも部屋は落ち着いた雰囲気のビジネスホテルに近い配色であった。


 そして現在、腰を降ろしているベッドは二人分ほどの大きさ。落ち着いたベージュ色のベッドに薄めの白いシーツ。

およそ質は良いとは言えず、少し体を傾けるだけでベッドが軋む音が響く。

壊れないよな、これ?

それにマットは中々の硬さでお尻が沈まないので睡眠には適していなさそうだ。


 まあ、寝具一つ程度がボロいのなら苦笑い程度で済んだだろう。この部屋、大丈夫だろうか? と不安にさせる要素はまだある。


 室内に備え付けのエアコン。空調の効きが非情に悪く、スイング部分からパーツが擦れる音が漏れ出て老朽化が顕著である。

さながら歴戦の古参兵というべきだろうか。見守ってきたのは男女の営みだろうけど。そう考えるとスケベ爺にしか思えなくなってきたな、この壊れかけのエアコン。


 そして、そのスケベエアコンが吐き出す生暖かな風の先には壁に掛けられた俺とメリーさんの私服。設備として洗濯機があるホテルだった為、雨ざらしにあった服を手早く一回洗いで洗浄して、現在はハンガーに掛けて乾かし中である。だから俺はパンツ一枚だけの状態なのよ。卑しい気持ち100%ではない。勃起してるけど。


「この状況下でシモの苛立ちを抑えられるかってんだ……」


 目を細めながら脱衣所を睨みつけると、扉越しからシャワーの音が漏れ聞こえてくる。もちろん居るのはメリーさんである。


数分前にチェックインを終えた瞬間に「先にシャワー浴びてて。服は洗濯するから」っと、即座に彼女を脱衣所に放り込んだのだ。


ふぅ、メリーさんが視界から消えたから一安心だぜ……などとはいかず、性欲が高まった俺はシャワーの音だけで中学生みたいな妄想を爆発させてしまう。


 脳内に悶々と広がる情景。シャワーヘッドから流れる水を頭からかぶり、冷え切った肌を温めるメリーさんの姿。その雫は靭やかな髪、淡雪のような肌、そして美しい体のラインを滴っていくのを想像せずにはいられない。

というより、既に色々と限界が来ていたのも事実。


 冷静に考えてみれば禁欲何日目だよ。メリーさんと同棲を始めてからというもの、俺のムスコは禄に発散が出来てない日々が続いている。


24時間狭い賃貸で美少女が居る生活は眼福ではあったけれど、裏を返せば一人きりになる時間の確保が難しい……というより不可なのだ。寧ろ今までよく修行僧みたいな節制の日々を過ごせたと思うよ。ヤリ○ンなら速攻ナニがとは言わないが決めているのではないだろうか。


 それこそ、メリーさんが未だに純粋無垢な笑顔を振る舞えているのは、俺が童貞でチキンで住み慣れた自宅ともあり理性がかろうじて保てていたから。……が、ここはラブホで、薄い扉の先ではメリーさんが裸でシャワーを浴びている状況。官能的な欲望に支配されない方がどうかしている。マジで発狂しそうなんですが。


「なにより、やたらとスキンシップが激しいのもな……」


 髪を掻きむしりながら苦言を漏らす。水族館を出てからというもの、メリーさんは手を繋いできたり、腕を絡めてきたり、そのまま顔を埋めてきたり、随分と積極的なのだ。勘違いしていいっすかね?


「クシュン……あ〜暖房の効きが悪いな畜生」


 もはや白物家電ではなくベージュと化した色物家電に悪態をつきながら、ベッド横のテーブルに設置されたティッシュで鼻をかむ。


 流石にそろそろ俺もシャワーを浴びたくなってきたな。


 すると、空気を読んだみたいなタイミングで、蛇口を捻る音が扉越しから耳へと入る。

どうやらメリーさんがシャワーを浴び終わったらしい。シャワールームの扉を空けて脱衣所へ移動する足音が聞こえてくる。


 この薄い扉の先に、裸のメリーさんが……。


 生唾を飲み込み、喉仏が一度だけ波打つ。


「いかん、いかん。あくまで雨が降っていたから仕方なく来たんだ。そういう目的で訪れたわけじゃあない。落ち着け、落ち着け」


 煩悩退散、性欲滅殺。

 もうボロボロになった理性をなんとか継ぎ接ぎみたいに繋ぎ合わせて、別の物へと意識を集中させようとする。

これ以上の妄想はイドが決壊してエゴがなだれ込みかねないぞ。


 何か……ないかな。意識を反らせそうなやつ。


「お? この箱はなんだろうか?」


 目線を動かすと、さっそく興味を惹かれる物を発見。

テッシュケースの隣。両手サイズほどの茶色い箱が置いてある。小さな取手も付いてあり、さながらミニチュアタンスといったところだろうか。

さてさて、何が入っているのかな?


 深く考えず取手に指をかけて引いてみる。

中には真空の袋詰された縦横3cmほどある正方形の袋が盛り沢山。連結お菓子の小分けパックみたいに収納されていた。

各袋表面には『薄皮0.01cm』という印字プリントがなされている。ああ、うん……あれだね、コから始まってムで終わる名前の避妊用具だね。


「ご丁寧にどうも!!」


 コンドームがビッシリつまった収納箱の取手を思いっきり押して視界から消去する。


 俺は何も見てない。見てない!!


「飯伏さん、どうされたのですか?」


「なんでもないです!! 大丈夫ですからぁ!!」


 いつの間にやら脱衣所から出てきたメリーさんが背後から心配そうに声をかけてきたので、テンション高めで応対する。


 コンドームがあったよメリーさん……などと、無邪気に答えたらドン引きであろう。これでキャッキャと喜ぶのはせいぜい中学生くらいまでだろうよ。


 ひとまず落ち着こう。俺は体を回転させると、視界に入ったのはバスローブ姿のメリーさんであった。

よくイメージ写真とかで見る白いモコモコな質感のタイプではなく、作務衣みたいな薄手のいかにも安価なバスローブである。


 しかし、何を着せても奇跡みたいな美貌でぶん殴ってカバーできるのがメリーさんの恐ろしさ。

風呂上がりも長い髪は水っけを含んでおり、頭の上から湯気が立ち上っている。

頬は風呂場から室内の温度変化が追いついていないのかピンク色に染められて非情に麗しい。

ややサイズが合っていないバスローブからは鎖骨が拝めて、息が思わず止まってしまう。


 もはや言葉は不要。美しい。


「あの……飯伏さん。顔が赤くなっていますが、風邪を引いたのですか?」


 俺の体温を測ろうとしてくれたのだろう。メリーさんは手を伸ばしてくるが、おっと危ない。

このままだと手を掴んで引き寄せて押し倒す。そんな展開へと導かれ、健全小説がR18な官能小説へと成り果ててしまうだろうよ。


「寒いのでシャワー浴びてきます!! メリーさんは先に休んでいてくださいな!!」


 何故か敬語で声を張り上げながら、俺は転がり込むように脱衣所へと逃亡を決行。ふう……間一髪だった。


「メリーさんが可愛すぎるのがいけないだからね」


 苛立ちを覚える下腹部に文句を言いながら、装着したパンツを降ろして、生まれたままの姿へとフォームチェンジする。


 まあ、言わずもがな。下の部分に装填されたマグナムは硬さを維持したままだ。


「冷水でも浴びれば少しは落ち着くだろう」


 肩をすくめてシャワー室へと足を踏み入れる。そして、早速蛇口をひねるとシャワーヘッドから水が流れ始め、火照る体を瞬く間に冷やしてくれた。


 めちゃくちゃ冷てぇ!!


しかし、煩悩を洗い流すには丁度いいくらいだ。


 どうやら体は正直なようで、頭の中を占領していた桃色の景色は冷水をぶっかけられて鎮火していく。お陰で下の部分も沈下した。


「よし。思考が落ち着いてきた」


 効果がてきめんなのを実感し、すぐさま給油温度のレバーを赤色へと傾ける。数秒ほどかけてぬるま湯へと変化させていく。

そして、適当に頭と体を洗い、冷え切った肉体の感覚を徐々に戻していった。


 今日一日、色々あって疲れた。流石にメリーさんも疲れて寝ているだろう。


 頃合いを見計らって、俺はシャワーを浴び終える。そのまま脱衣所を出て、タオルで体を拭き、掛けてあった男性用バスローブに袖を通す。

さあて、俺も寝るか。明日になればホテルを出られるので、もう少しの辛抱だ。


 そんな安堵感からなのか、疲労なのか。思わず出かかった欠伸を噛み殺しながら脱衣所のドアノブに手をかける。そして、扉を開くと、メリーさんがベッドで横になってスヤスヤと寝ていた……と、予想していたが、眼前に広がるのは別の光景。


メリーさんは起きていたのだ。どうやら俺がシャワーを浴び終えるのを待っていたらしく、ベッドに腰掛けながら上目遣いではにかんでみせた。


「あ、飯伏さん。えへへ……なんだか興奮しちゃって眠れなくて」


 うん、俺も興奮しているよ!! いや、違う!! 

 なんで寝てないのメリーさん!!


 ベッドで腰掛ける妖艶な雰囲気を携えた美少女。

 ラブホテルの一室。

 漫画の煽り文句なら「なにも起きないはずがなく」なんて一文加えられそうな一コマ。

 童貞の長い夜はまだまだ続くのであった。

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