第10話 金髪の美少女と水族館デート②

「うむ……そう簡単には見つからないか」


 俺は館内を歩き回りながら砂漠に落ちた指輪を見つけるような宝探しに目を細める。


 現在、俺とメリーさんは人形探しの真っ最中であった。

イルカショーの会場である出入り口近くで泣いていた女の子。俺とメリーさんは女の子と母親に事情を聞くと、予想通り女の子は人形を失くしてしまったらしい。


だとしたら答えは一択。「探すのを手伝います」と親子に伝えて館内へと引き返し、人形探しを行っている最中でなのであった。


しかし、当然といえば当然なのだが、水族館内はそこそこの広さを有している。探しものである女の子の人形は中々見つからない。栗毛色の髪とツインテール。巨大水槽前で女の子が人形を手に持っていたので特徴は把握していたが、安々と発見出来るほど甘くはなかった。


 現在時刻は15時50分。既にイルカショーは始まっており、来館者の殆どは会場でイルカの曲芸を前にして夢中になっているはずだろう。館内に残っているのは俺とメリーさんの二人だけでしか見当たらない。


「しかし……暗くてよく見えないな」


 眉間にシワを寄せながら苦言を漏らしてしまう。水族館の構造上、水槽以外は明るい照明の使用はされておらず全体的に薄暗い。つまりは落とし物を探すのに適していない。


 視線を人形を探すメリーさんに向けて、「見つかった?」と、声をかけてみたけれど、こちらを向くと瞼を閉じながら首を左右に振ってみせる。成果は語るまでもないようだ。


 親子には水族館の総合受付へと行ってもらい、人形の落とし物が届けられていないか確認をお願いしている。……が、返事が来ないあたり吉報は期待出来なさそうだ。


 これが脱出ゲームであるなら答えは用意されているだろうが、残念ながらヒントも答えも無い上、そもそも床には落ちていないかもしれない。


もしかしたら親切な誰かが拾っていて、後で落とし物コーナーに届けようとしている可能性も否定はできない。


 それでも懸命に、地道に、頭を下げて探し続けるしかない。女の子にとって初めて訪れた水族館の思い出が苦い記憶として残ってほしくないからだ。やらない偽善より、やる偽善だ。無視する無慈悲さを兼ね備えているなら都市伝説と同棲なんて今頃してねえよ。


「そうは言ったものの、現実は非情だな」


 スマートフォンを取り出して現在時刻を確認する。16時ちょうどか……。

イルカショーも終了する頃だし、いくらお客さんが少ないとはいえ、人が戻ってきたら人形探しの難易度は上がってしまうだろう。


「メリーさん。場所をそろそろ変えよう」


「そう……ですね」


 メリーさんは返事こそしてくれるが若干の諦めと焦りが混じっている。視線こそ床を見つめつつ探索をし続けているけど、心の何処かで最悪な結果を予見しているのかもしれない。


 無能な俺は只々、一緒に人形探しをするくらいしかできないのがもどかしかった。

しかし、消費されるのは苦労と時間のみ。しばらくして、女の子と母親が受付から戻ってきて俺達に声をかけてくれる。


「お二人とも、ありがとうございました……」


 床を見つめていた首の位置を正面へと戻すが、親子の声と表情から結果は聞かなくても察しがついた。


女の子の目は赤く腫れたまま。母親は娘に何もしてあげられていない申し訳なさがあるのか表情に影が落ちている。


 母親は深々とお辞儀をして「ここまでして頂いたのに申し訳ございません。これ以上は、もう……」っと、告げる。

既に館内には続々とお客さんも戻ってきており、加えて営業時間は17時まで。残り1時間で見つけるのは、流石に至難と言えるだろう。


 その場に居る誰もが「諦めよう」とは口にしない。だが、誰しもが感情を表情で語っていた。


 すると黙り込んでいた女の子が不穏な空気を読み取ったのだろう。乾ききっていた瞳に再び雫を溜め込んで大きな声を張り上げる。


「やだ……やだよぉ!! ヤエちゃん!!」


「アカネ、周りの人に迷惑でしょう……それに……」


 涙が雨の如く降り注ぐ娘に対して、母親は続きの単語を詰まらせてしまう。


 きっと見つかるから? また新しい人形を買ってあげるから?


 どれも気休めの言葉でしかないのが分かりきっているからこそ口を閉ざしてしまったのだろう。

そして、母の声から女の子は人形の探索が絶望的なのだと理解してしまい、頬を伝う雫は束になって重たさを増していく。


「やだぁ……ヤエちゃん、さびしいよ」


「……っ」


 寂しい。その単語が耳に入り、自然と唇を噛み締めていた。

 隣に居たメリーさんも同じ考えだったのだろう。


 人形に感情はない。それが常識だ。しかし、俺の隣に居るメリーさんは人形の寂しさが具現化した存在。世界でたった一人の女の子に愛されて、忘れ去られて……。寂しさという孤独を誰よりも知っている。


 諦めてしまえば、女の子は今日の出来事を苦い思い出として記憶に残し、そして成長して”ヤエ”という大切にしてきた人形の友達を忘れてしまうのだろう。それが大人になるということだ。


 だけど……それは、あまりにも、


「ヤエちゃんとアカネちゃんが寂しすぎます」


 メリーさんは聞こえないくらいに小さく漏らす。そして、俺自身も同じ気持ちだ。


 ”愛して欲しい”と願う彼女の想いは、逆に言えば寂しさの裏返し。

ここで無理だ、見つからないと探索を打ち切ってしまえば、それは彼女の願い満たすのを諦めてしまうのと同義だ。


 元人形として誰よりも孤独を知っているからこそ、ヤエという人形に同じ心を知ってほしくないのだろう。たとえ、人形に魂が宿っていないとしても。


「…………」


 俺は鼻から息を取り込んで酸素を体内に行き渡らせて、口から吐き出す。

考えろ。どうやったら、見つけられる。通常の方法では難しい。

だとしたら、視覚だけに頼る前提を考えなおさないと。


 ……前提?


『ヤエちゃんは貴方がつけてくれた名前を凄く気に入っているよ』


 ふと脳裏に浮かんだのは巨大水槽前でメリーさんが女の子に向けて告げた一言。

あの時は、てっきり「人形の声が聞こえている風の対応」だと思っていた。

だけど、あくまで俺の視点での”常識的”な見え方だ。


 あれがもし、メリーさん自身は本当に人形の声が聞こえていたとしたら?


 通常はありえない。だが、俺と過ごしているのは都市伝説そのもの。

常識なんてもんは既にぶっ壊れているのだ。それこそ前提が非常識から始まるくらいに。


 俺は仮説を確信へ変えるべく、隣で俯くメリーさんに確認をする。


「メリーさん、人形の言葉って分かるんだよね?」


「え? あ、はい。全てのお人形さんの声が聞こえるわけではないですけど」


「それってつまり、昔のメリーさんみたいに沢山の愛情を注いでもらった人形は感情を宿すはずから、そういった声は聞こえるって認識でいいんだよね?」


「そうですね。それこそ、アカネちゃんが持っていたヤエちゃんも……あっ!!」


 そこでメリーさんも俺の意図に気づいたのか沈んでいた声が一気に上ずった。


「飯伏さん、もしかして、私は目じゃなくて耳でヤエちゃんを探し当てられるかもしれません」


「その通り。おそらくだけど、人形は……ヤエは凄く泣いているんだと思う。誰にも聞こえないくらいに大きな声で。だから、人形の声が耳に届くメリーさんなら……」


「その声が響く方向を探せばヤエちゃんも居るはず。飯伏さん、さっそく行きましょう!!」


 まるで深海みたいに薄暗い瞳は再び透き通る海みたに輝きを取り戻すメリーさん。

さっそく、人形探しを再開するために走り出す。おかげで勢いに出遅れてしまった。どうやら声は現在地からは聞こえないらしい。


メリーさんの後を追わないと……その前に。

俺は体を屈めてアカネと視線を合わせると、そっと手を伸ばして頭を撫でてあげる。


「大丈夫、安心して。メリーさん……お姉ちゃんが君の友達を必ず見つけてくれるから」


「ほんとう?」


「お姉ちゃんが言っていたでしょ、元人形だって。だから、お人形さんの気持ちも手に取るように分かるのさ。だから、信じて待っていて。ヤエが戻ってきた時に、悲しい顔じゃなくて笑顔で出迎えてあげないと」


「うん……」


「よし、いい子だ」


 泣きわめていたアカネの雫がピタリと止まり、雨から曇り雲くらいに変わる。俺は彼女の頭を再度撫でて、メリーさんを追いかける。



「飯伏さん、こっちです」


 少し駆け足で進むと、メリーさんが背中を向けたまま声をかけてくれる。


「メリーさん、聞こえる?」


「はい。耳を澄ませばなんとか」


 俺には何も聞こえないが、彼女には人形の声が僅かに聞こえるのだろう。

彼女は人形の声を聞き分ける為に、進んでは立ち止まり、また足を動かしたかと思うと再び立ち止まるを繰り返していく。


その間隔は徐々に短くなっていく。おそらくメリーさんだけが聞こえる人形の声が近くなってきているのだろう。彼女が動くたびに髪がはためき照明に反射して、さながら暗い館内を泳ぐ美しい魚のように見えた。


 しばらくして、彼女が再び静止したかと思うと、艶やかな黄金の髪を翻しながら俺の方へと振り向いた。


「飯伏さん、ヤエちゃんを見つけました。泣き声はあそこからです」


 メリーさんは人差し指を真っ直ぐに伸ばし、俺は示された方角へと目線が誘導される。

場所はとある小さな水槽。軽く周囲を注視するけど水槽を泳ぐ魚くらいしか見当たらず、肝心の人形は瞳に映らない。


「えっと……?」


「飯伏さん。既にヤエちゃんは、あの人に拾われてますよ」


 困惑した俺の心を読んだようにメリーさんは補足をしてくれる。

人差し指に示されたのは展示物ではなく、青いツナギを着用した水族館の職員さんであった。ツナギと同じ青いキャップをかぶり顔こそよく見えないが、体格からして20代の女性職員さんだろう。営業終了時間も近いので箒と塵取りを持ちながら簡単な清掃作業を行っている最中であった。


「あの人が持っているの?」


「はい。ヤエちゃんの声は職員さんの……正確にはショルダーバッグからですね。さっそく聞いてみましょう」


 探しものは、ほぼ見つかった状態で安堵したのかメリーさんは軽やかな足取りで職員さんへと近づいて声をかける。


「あの、すみません。落とし物を拾っていませんか? 栗毛色の髪にツインテールを作っている人形なのですけど」


「はい、確かにお客様の探している特徴の人形は落とし物として回収させて頂いております。こちらの人形でお間違いないでしょうか?」


 すると、職員さんは驚きもせずにショルダーバッグから人形を取り出す。間違いない、女の子が持っていた人形だ。しかも、職員さんが何処に人形を入れていたのかも寸分違わず当てている。


 本当に……メリーさんは人形の声が聞こえるんだな。


 俺の驚きとは裏腹にメリーさんは普段と変わらない癒やされるような柔らかい笑みを浮かべ、職員さんから人形を受け取る。


「ありがとうございます」


「いえいえ。本日のご来館、ありがとうございます。最後までごゆるりと楽しんでくださいね」


 職員さんは慣れきったように笑みを返し、そのまま清掃の業務へと戻る。

そして、メリーさんも人形を抱えながら俺の元へと駆けよる……のではなく、横切って走りだした。


「飯伏さん、早くアカネちゃんの所へ戻ってヤエちゃんと会わせてあげましょう」


 まあ、そうだよね。ここで立ち止まって俺と話す時間があるなら、一分一秒でも早く人形を女の子へと引き合わせるのが一番だ。


 俺もメリーさんの進んだ道を辿っていく。なんだか、今日はメリーさんの背中ばかり追っている気がするな。先程との違いがあるとすれば、足取りが軽いという点。まるで水の中を泳ぐみたいに心地よい気分に包まれるのであった。



「ヤエちゃん!!」


 俺とメリーさんは親子の元へと戻ると、さっそく女の子に人形のヤエを手渡す。その瞬間、女の子は水槽の水が震えるほどの声をあげ、人形を綿が出てしまうくらいに強く強く抱きしめる。よかった。


「おねーちゃん、おにーちゃん。ヤエちゃんを見つけてくれて、ありがとうございます」


 そして、俺とメリーさんを真っ直ぐに見つめながらお礼を告げてくれる。つい数分ほど前に揺らいでいた瞳は輝きを取り戻し、仄暗い館内に一つの眩きをみせる。


「それとね、おにーちゃん」


「……俺?」


「ちゃんと言われた通りにしていたよ」


 そう告げて白い歯をみせながら笑ってみせる女の子。


『悲しい顔じゃなくて笑顔で出迎えてあげないと』


 ちゃんと約束は守ったね、偉い。俺は下手くそながらも同じように歯をむき出しにしながら笑顔を作る。

何故かメリーさんも釣られて似たような表情を作ってくれた。俺と違い愛嬌の塊である。


 おかげで、どんよりとしていた重たい空気が穏やかで柔らかな雰囲気へと変貌していく。


流石に女の子のお母さんは申し訳なさが上回っていたのか、「申し訳ございません。アカネがご迷惑をおかけして」っと、何度もお辞儀をして謝罪をしていたけれど。


 こうして、女の子の人形紛失事件は綺麗な形で幕を下ろす。

結局、営業終了時間の直前まで捜索をしていたので、そのまま水族館を親子と一緒に後にして、お別れを告げる。



 そして、水族館前には俺とメリーさんだけが残る。

既に陽は斜めに傾き、秋風の冷たい空気が肌と気持ちを突き刺していき、何処か寂しさを覚えてしまう。


センチメンタリズムに支配されていたのだろうか、それとも今日は役に立てないでいた申し訳なさからなのだろうか。気づけば自分でさえ意図が不明な独り言を漏らしてしまう。


「俺も鍛えれば人形の心とか読めるかな?」


「ふふ……なら、元人形である私の心を読む訓練から始めましょう。さっそく、今の私は何を考えているか当ててみてください」


「えっと……また、水族館に行きたいとか?」


 するとメリーさんは悪戯っぽく微笑み、人差し指をクロスさせてバッテンを作る。


「残念、ハズレです。正解は……」


 彼女はひと呼吸おいたかと思った瞬間、俺の左手に柔らかで暖かな感触が走り出す。

視線を左下へ落とすと俺の手にはメリーさんの傷一つない綺麗な手が握られていた。

メリーさんは俺の手を握りしめたまま告げてくれる。


「私は飯伏さんと……。私は飯伏さんとまたデートに行きたいです」


 傾いた夕日が彼女のミルク色の肌を赤く染めあげる。

それが、赤面からなのか太陽のせいで紅葉しているのか。答えは分からない。


 だけど、それでも……メリーさんの言葉が嘘偽りのないものだと信じたいと思ってしまう。

それくらい自惚れに溺れてしまいそうになるくらい、彼女の笑顔は眩しかった。


「また、来ようメリーさん」


 俺が左手を握りしめながら答えると、彼女は何も言わずに手を強く握り返してくれるのであった。


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