第9話 金髪の美少女と水族館デート①

「イルカショーは15時半からですよ、飯伏さん!!」


 メリーさんは水族館パンフレットを片手に持ち、興奮気味に情報を伝えてくれた。荒くなった鼻息が聞こえるくらいなので随分と興奮しているみたい。


 つい数分前までは、からかい過ぎて声をかけても無視をしていたのにね。水族館に到着し、チケット購入口の横にあったパンフレットの中身を確認するやいなやテンションが元通り。不機嫌モードの終わりが早すぎる。口に出したら、また怒りそうなので黙っておくけど。


 ワクワクするメリーさんをよそに、二人分のチケットの購入を手短に済ませ、入場口へと向かう。隣を歩くメリーさんは鼻歌まじりの上機嫌。このぶんだと入った後は落ち着いて話せなさそうだし、今のうちに聞いておくか。


「そういえばメリーさんって水族館が好きなの?」


 今回のデート。数日前、行き先をメリーさんと相談した際に、「水族館に行きたいです」っと提案してきたのだ。


 その時は彼女の提案よりも、人生で初めて異性とお出かけするシチュに脳の処理が追いついておらず、深く気にせず了承してしまった。


いざ考えてみると、遠慮ばかりしてくるメリーさんが躊躇なく行きたい場所を指定してきたのが気になったのだ。


すると、俺の問いかけにメリーさんは表情を崩さずに返答をしてくれる。


「別に特別な理由じゃないです。昔、水族館ごっこをしたのがありまして」


「水族館……ごっこ?」


「はい。人形時代、女の子の家に水槽があったんです。淡水魚を飼っていたんでしょうね。女の子と一緒に水槽で泳ぐ魚をずっと眺めていました。そして、魚の説明を描いたお手製の紙パネルを水槽の前に立て掛けて……私がお客さんで、女の子が飼育員さん。女の子が『エサやりショーの時間です』って言いながら、水槽の上から餌をパラパラと撒いて、お魚さんがパクパクと食べていくのを眺めていました」


「なるほど。確かに水族館ごっこだ」


「ふふ……手のひらサイズであった人形の私にとっては、その小さな水槽は水族館にある大きな水槽と変わりませんでした」


「その思い出があるから水族館に行きたいって思ったのか」


「はい。とくに女の子はイルカが好きみたいでして。動物図鑑を一緒に眺めながら『いつか ほんものを見にいこうね』って約束をしました。その夢は叶いませんでしたけど……まさか機会が訪れるなんて夢みたいです」


 そんな、感涙交じりの溜息をメリーさんは漏らしてみせる。

なんだか見ているこちらまで嬉しくなってしまう。幸せにしてあげたいなぁ……。


 いずれ消えてしまうはずの彼女。知れば知るほど、知ってもらえば知ってもらうほど。メリーさんの心は満たされていき、消失の条件が整っていくのだろう。


それこそ、怪異として寂しさを埋める為に再び彷徨うくらいなら、沢山愛されて成仏して欲しいと願ってしまう。きっと、それが一番だから。


「今日は目一杯楽しもうか」


「はい!!」


 俺の決意なんて微塵も知らず、メリーさんは無邪気な子どもみたいに笑みを浮かべる。

これは失われる物語。終着点は幸福に満ちたものにしてあげたい。


 こうして、俺とメリーさんの初めてのデートが始まるのであった。

彼女を想うほど俺の中で『寂しさ』が積もっていく現実に目を背けながら。



「凄い!!」

「すごい!!」


 巨大水槽の前で二つの声が見事にシンクロする。


 水族館に入り、いくつかの小展示コーナーを観て周り辿り着いたのは、展示物の目玉である巨大水槽。

その水槽の大きさに感動する声の主はメリーさんと……4歳くらいの幼女であった。


 二人とも食い入るように水槽内で泳ぐ魚に目を輝かせている。

それくらい水槽内を気ままに遊泳する魚達は魅力的たった。


大きな平たい体を優雅にはためかせ、まるで飛ぶように泳ぐエイ。

岩場からのんびりと体を出し入れするアナゴ。

銀色の鱗を煌めかせるタイ。

小さな体躯が集合させて強大なカーテンを作り上げるイワシの群れ。


「凄いな……」


 水槽から少し離れた位置で鑑賞していた俺も思わず溜息と素直な感想を漏らしてしまう。


小学生の時、初めて遠足で訪れた水族館での思い出が鮮明に蘇る。あの頃の感動はもっと凄かったはず。

そう考えたら、人生で初めて水族館に訪れたメリーさんの感動は計り知れないな。


 邪魔しては悪いだろうと彼女の様子を観察していたが、予想は当たっていたらしく「はぁ〜」とか「うわ〜」など、感情だけを表に出して言葉を失っていた。それこそ俺の存在を忘れるくらいに。デート相手を取られて巨大水槽に嫉妬しちゃうぜ。


 そして、メリーさんの横で同じく「すごい」と感想を吐き出していた女の子も同じく言葉を断ったままである。おそらく、この娘も水族館は初めてなのだろう。魚の動きに合わせて体が左右に揺れ動き、栗毛色のツインテールも重力にしたがい右から左へ、左から右へと交互に傾いている。見ていて微笑ましい。


 しばらく様子を伺っていると、女の子のほうが「あっ」っと何かを思い出したように背負っていたリュックから人形を取り出した。人形は小さな少女の両手に収まるくらいの大きさで、彼女と同じ栗毛色の髪に、これまた同じくツインテールが作られている。

そして、女の子は水槽を人形にも見せてあげるように前へ掲げた。


「ヤエちゃん、これが前に ずかん で見た すいぞくかんの すいそう だよ」


 もちろん、ヤエと呼ばれる人形は返事をしない。それでも女の子は人形に向けて「あのお魚さんキレイだね」、「あ、カラフルなお魚さんが出てきたよ!!」っと、懸命に話しかけている。


 メリーさんも昔はああだったのかな?

彼女の人形時代を想像しながら、瞳に映る女の子と人形のやり取りを見守る。


すると、そのやり取りにメリーさんも気づいたのか少しだけ寂しげに女の子を一瞥し、柔らかな笑みを作りながら腰をかがめて話しかける。


「その娘、ヤエって言うの? とても綺麗な娘だね」


「うん、そうだよ!! ほら、ヤエちゃん、ごあいさつ」


 女の子は手にした人形……もといヤエちゃんを傾けて「こんにちは」とメリーさんに挨拶をする。

するとメリーさんも「こんにちは」と、しっかりと人形に向けて目を合わせながらお辞儀を返した。


 それが女の子にとって好印象だったのだろう。周りの大人と違い、自分の大切な友達を玩具として扱わないメリーさんの態度に瞳が大きく開く。


子どもは僅かな声、表情、息遣いから感情を読み取るのに長けているからこそ、メリーさんの挨拶は人形ではなく”ヤエ”という娘に向けられているのだと感じ取れたのだろう。


女の子は頬をピンク色にみるみると染め上げて、鼻息を荒くしながらメリーさんへ話しかける。


「あ、あのね、ヤエちゃんは たんじょーび にお家に来てくれたお友達なの!! アタシが名前をつけてね。そしたら、おとーさんが『しぶい名前をつけるね』って言ってくれたの。しぶい?……ってよく分からないけど褒められているのかな?」


「う〜ん、どうだろう。でも、ヤエちゃんは貴方がつけてくれた名前を凄く気に入っているよ」


「ほんとに!? おねーちゃん、ヤエちゃんの言葉が分かるの?」


「うん、わかるよ〜。だって、お姉ちゃんも元人形だから」


「わぁ〜。すごい、すごい!! おねーちゃん、お目々も海みたいにキレイだし、カミもサラサラしていて可愛いもんね。お人形さんみたいだなって思たけど、ほんとーにお人形さんなんだ〜」


 女の子の興奮は最高潮に達したのか、ぴょんぴょんと小さく跳躍しながら感情を体で表現する。うむ、実に良い……癒やされる光景だ。


 そこから女の子の興味は巨大水槽からメリーさんへとシフトしていく。

濁流のような質問攻めや“ヤエ”という友達の紹介を次々に浴びせてくる。


 メリーさんは人形なのにどうやって大きくなったの?

 ヤエちゃんも大きくなったら、おねーちゃんみたいにしゃべれる?


 そんな大きな目をパチクリと何度も開いて閉じてを繰り返しながら質問をメリーさんへと投げていく。


子どもらしい夢のような問いかけに対してメリーさんも「気づいたら大きくなってたんだ」、「沢山愛してあげればきっと心が通じ会えるよ」など真剣に答えを返していく。


傍から見れば混じりけのない質問をする子どもに大人らしい返答をするお姉さんの図。


だけど、そのお姉さん、マジで元人形なんですよ。


だからこそ女の子への返事も嘘っけがないし、夢中になってしまうのだろう。

数分と経たぬうちに、女の子とメリーさんはすっかりと仲良くなっていた。


 しかし、どうやら楽しい時間は終わりらしく……。


「アカネちゃん〜」


「あ、おかーさん!!」


 水槽から少し離れた位置で二人の様子を見守っていた20代くらいの女性が”アカネ”と呼びかけると、女の子が勢いよく視線を移動させた。


 どうやらアカネと呼ばれる女の子のお母さんも俺と同じく遠くから二人のやりとりを観察していたらしい。


女の子はスキップみたいに小さな足をピョンピョンと跳躍させながら母親元へ駆け寄っていき、勢いよく抱きついてみせる。


「あのね、おかーさん。あの おねーちゃん、人形なんだって!!」


「ふふ、聞いていたよ。すごいね〜」


「むぅ……おかーさん、信じてないでしょー」


 頬を膨らませる娘に対して、母親は「はい、はい、そうだね〜」子ども扱い。

女の子は先程まで真剣に耳を傾けてくれたメリーさんと会話していたせいもあるのだろう。母親の大人な対応に不服そう。


だが、母親からしてみれば慣れているのだろう。女の子の相手を適当に済ませて、メリーさんに向けて軽く会釈をしてくれる。


「アカネの相手をして頂き、ありがとうございます」

「おねーちゃん、またね〜」


 そうして、親子は手を繋ぎながら背を向けて歩き出し、後ろ姿は水族館の薄暗い照明の闇へと消えていった。


 ポツンと残るのは一人きりのメリーさん。

水槽から放たれる水色のライトに照らされた目立つ金色の髪は不思議と馴染んでいて、まるで水底に佇んでいるかのように錯覚してしまう。おかげで、美しくも寂しさを携えており、切なさを助長していた。


 俺は言葉にできない不安を覚え、彼女へと近づいて問いかける。


「メリーさん、楽しんでいる?」


「はい、とっても」


 水中を泳ぐ魚みたいに落ち着いた笑顔を返すメリーさん。とてもシンプルな答えだけど、彼女の声色から嬉しさが感じ取れる。杞憂だったなと安心し、俺も笑みを返すのであった。



「クラゲに夢中になりすぎました!!」


 まるで諸葛孔明の策略にはまった司馬仲達みたいに冷や汗をかくメリーさん。

俺の数歩前を足早に歩きながら「飯伏さん、急ぎましょう」と、時折声をかけてくる。


 現在時刻は15時20分。イルカショーが始まる10分前に迫っている状況だ。


 巨大水槽前で幼女との戯れを終えた後、ペンギンやカメやらの残り展示を観て回っていた。……なのだが、クラゲの展示コーナーでメリーさんは心を奪われたのか随分と時間を要してしまったのだ。


なまじ期間限定の文言もいけなかったのかもしれない。「限定ですよ!! 限定!!」などと両手で拳をつくりながらブンブンと上下に振っていたものだから、気分の高揚具合は詳細に語るまでもないだろう。


 おかげで夢中になりすぎた。故にイルカショーが始まる時間ギリギリになってしまったわけである。


なにより平日ともあり公演回数も少ないので、15時半の回が本日最後のイルカショー。焦るのも無理はない。


「メリーさん、急がなくても間に合うよ。それに今日は平日だし、席も空いているはずだから」


「それでも……です!! 一分一秒でさえ見逃してしまうと気分が落ち込んじゃいますから。飯伏さんだってリアタイで観ているアニメの冒頭を見逃してしまったら、”最初の1分ってどんな内容だったのかな”って、ちょっとだけ気になって集中できないでしょう?」


「ぐうの音もでねぇ……」


 困った、共感しかできない。というより、アニメリアタイを見逃してしまった時の感情を把握されているし。国語のテストで「作者の気持ちを答えよ」だったら100点満点な回答だ。


 おかげで焦る気持ちに共鳴してしまう。俺も脚に力を入れてメリーさんには歩行ペースを合わせて隣に立つ。


元々平日なのもあり、館内は閑散としている。人気はまばらなおかげでイルカショーの会場まで快適に泳ぐ魚の如く進んでいく。


「これなら間に合いそうだ」


 視界に会場の出入り口が見え、安堵の一息を漏らす。……だが、その息はまたたく間に吹き飛んでしまった。


「ヤエちゃん、どこぉ〜〜!!」


 耳に届くのは女の子の涙と焦りが合わさった叫び声。


 出入り口のすぐ近く。大きな目を濡らしていたのは巨大水槽前でメリーさんと会話をしていた女の子だった。

そして、彼女の手から”ヤエちゃん”と呼ばれていた人形は見当たらない。


母親が体をかがめ、微笑みながらも眉を下げた困惑した顔つきで「アカネちゃん、何処で落としたか覚えていない?」っと確認を行うが、女の子は混乱と悲しさが勝っているのか鳴き声だけを響かせる。


状況から判断するに女の子が人形を何処かに落としてしまったのだろう。


「……」


 俺とメリーさんは立ち止まってしまう。周囲には親子以外誰も居ない。

そして、次の瞬間には二つの声が重なった。


「メリーさん、人形を探してあげていいかな?」

「飯伏さん、ヤエちゃんを探してあげましょう!!」


 お互いに顔を見合わせながら同じ提案をしていた。

それが何故か嬉しくて、言葉に出来ないくらい胸が熱くなって。自然と頬が緩み、クスクスと二人して笑い合う。


「飯伏さん。また水族館に来ましょうね」


 メリーさんは一言告げて、女の子の元へ軽い足取りで近づくのであった。

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