第82話 主従4


「ヴォイド、やはりオレも同席したほうがよいのではないか?」

ご令嬢が父親と対面している応接室にほど近い部屋で、椅子から殿下が立ちあがる。先ほどから一体何度目か。

「落ち着いて、おかけになってください」

「これが落ち着いていられるか。王家の瑕疵や婚約破棄を押し付けた父親とローリが二人きりで話しているというのに」


「二人きりではございません。室内には幾人も近衛の連中がおりますから安全ですよ」

「そうではない、ローリに口添えしてやれる者がおらぬということだ」

「とにかく、まずは椅子にお戻りください」

私は殿下の両肩をそっと押した。いくら心を分け合った仲でも、知られたくないことの一つや二つは誰にでもあるだろう。ご令嬢にとって、家族との冷たい関係を事実として殿下に知られていても、その場面を実際に見られることは辛いはずだ。私もまたそうであるように。


「そもそもなぜ今更ローリと父親を会わせねばならんのだ。結婚の挨拶という名目で経路の確認や兵を実際に動かしてみることができた。補給路や移動時の要所も確認できた。オレはローリと旅を楽しむことができた。この地を我が国の領土となす目途もついた。もう、それでいいではないか」

「殿下、逆になぜそんなにもご令嬢が父親と会うことが嫌なのですか?」


問いながら、私は手早くお茶の準備をする。温かいものを飲めば、少しは落ち着いてくださるだろう。

「ローリは生家や生国であまり良い扱いをされていなかったのだ。また気分の悪くなるようなことをいわれるやもしれぬ。ローリがこれ以上傷つくようなことは、オレは何一つしたくない」


拙くも、彼女を守ろうとする殿下がとても微笑ましく。心情がつい顔に出てしまった私に、殿下が怪訝そうに眉根を寄せた。

「ご心配には及びませんよ。ご令嬢は優しい方ですが、決して弱い方ではありません」

「それはそうだが」

「父親というのも、辺境とはいえ長く続く公爵家の当主です。己の立場をわきまえて、滅多なことはいいますまい」

私は殿下にお茶をさしだした。


「そんなことがなぜわかる? どうにもならぬ下種かもしれぬ」

「幾度か書簡を交わしております」

殿下が少し呆れた顔をした。

「ヴォイド、商人というのは普通、客の家には玄関から入り品物を売り買いするものだ」

「左様でございますね、一般的には。ですが、こと情報を商う者には、それぞれいろいろな仕入れ方法があります。時には寝室に忍んで手紙を置いてきたり、資料を拝借してきたりすることもありましょう」

「そのようなことを“商人”にやられたら、城の間諜はそのうち失業してしまうのではいか?」

「“商人”は契約と報酬で仕事をしているのです。皇帝陛下への忠誠や信義に命をかける者たちとは全く異なる人種ですから。適材適所というものでしょう」

「全く。側近の耳目が広く行き届いて、心強いことだ」

「恐縮です」

私は貴族らしいすまし顔で答えた。


「殿下。ご令嬢と父親の対面の場を設けましたのは、一度は対等な立場で直視する必要があると思ったからです。異国では“幽霊の正体は枯れた草木だった”という言葉がございます」

頷いた殿下がお茶を口にする。


「闇夜に恐れていたものを昼日中に冷静に見てみれば、実体はただの枯れた草木の影でしかなかった。むやみやたらと恐れず、冷静にその本質を確認することが大切という話です」

「それがなんだ」

「今のご令嬢には帝国での新しい暮らしがあり、殿下という伴侶を得ました。皇妃となる覚悟も持った。暗がりを抜け、明るい光の下で目も慣れ、視野も広がったところ。先入観や怯えなく過去の亡霊を見定めてみれば、案外こんなものだったかと見切りも早くなるというもの」


「そうかもしれぬが、わざわざ向き合わずとも、幸せに暮らしているならば、おもしろくない過去などそのうち忘れてしまうであろうに」

「血のつながりというのは良く作用すれば強い信頼関係を築いてくれますが、こじれると厄介な枷となりますから。断ち切れる時に断ち切っておいたほうがよいのです」

「まあ、其方がローリのためになるというのなら」

仕方ない、という言葉は発さずに、殿下はまたお茶を口にした。私は胸に手を当てて恭順を示す。


時期を逃し、未だ断ち切れぬ私がいうのだから間違いない。未だに時折母の住む屋敷に顔を出し、母の望む『立派な貴族』の姿を見せて喜ばせてしまう自分。貴族への道を強制した母へのわだかまりが消えてなくなったわけじゃない。ただ、自身の成長や成功とは反するように老いていく母の姿が、怒りや不満の行き場所を失くしてしまうのだ。


健康で幸せであればこそ、人は病人や老人にいわれのない後ろめたさを感じてしまうものだ。それが血を分けた親であれば尚のこと。子供の頃は理不尽に己の前に立ちふさがる巨人のようであったのに、こちらがようやく反撃の狼煙をあげようという頃には、敵はか弱き老人になってしまう。こうなってからでは、いくら子供時代のあれこれを持ち出しても、老人相手にそんな昔のことをいつまでもなぜ許してやれないのか、とこちらが加害者扱いされる。なんという理不尽。


だから、ご令嬢には父親がかくしゃくとして、憎み恨んだところでびくともしないであろううちに思いの丈を吐き出す機会を持たせたかった。そして、これまでは実体よりも大きな影を見て過剰に恐れていたのだと、父親の正体を確かめさせてやりたかった。もちろん今後の帝国や殿下のためでもあるけれど。彼女は影に囚われずに、ただ光の中を前に進んで欲しいと。


「また、柄にもないことをしてしまいました」

ふと零した私を、殿下がみやった。

「今度はどんな悪だくみをしているのだ?」

「たいしたことではございません。時に、こちらの庭園の花が見頃を迎えているそうですよ。後程ご令嬢と散歩をなさってきてはいかがですか?」

「それは名案だ。こちらの貴族にもローリを見せびらかしてくるとしよう」

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