第81話 対峙


「久しいな」

「お元気そうで何よりです」

「お前も」

労うような声音を、意外に感じた心情が父に伝わってしまったようだ。


「貴族令嬢が夜更けに一人で家を出たのだ。正直、諦めていた。大事ないようでよかった」

「探してくださったのですか?」

「当り前だ。私だって父親だ。心配もする」

迎賓館の応接室に向かい合い、気まずい沈黙に包まれる。


王城に到着して、翌々日。父と対面の予定が組まれていた。もう、父を怖いとは思わないけれど。会いたいとか、近況を知りたいとも思わなかったから。これは公務の一つなのだと割り切った。ノルド様の近衛が四隅に配された部屋で、守られている安心感はあるけれど、冷たい家族関係を知られたくないという見栄も少しある。でも、元から仲が良いとはいえない関係だったから、どう振舞えば見栄を張れるのか正直よくわからなかった。


「お前とはあまり話したこともなかったな」

「お父様はお忙しい方ですから」

「お前はいつも“承知しました”しかいわぬから、不満も望みもないのだろうと思っていた。話す必要を感じていなかった」

「私は……」

本当はいいたいことがたくさんあった。嫌われたくなくて、いえなかっただけだ。


「お前は幼い頃から生真面目に過ぎて。何事も正面から受け止めていなすことをしない。人に利用されるばかりで、人を使う立場である高位貴族には向かぬ性分だった。だが公爵令嬢と生まれたからには、その責を果たさねばならぬ。だから王太子の婚約者としたが。家の役目を終えたあとには下位貴族に嫁にやろうと思っていた。権力争いとは縁のないこじんまりとした貴族家がお前の性分にはふさわしいと思っていた」

まさか王妃を飛び越えて皇妃とは、化けたものだなあ、と父が愉快そうに笑った。


「私は何も変わっていません」

私は父を正面から見据える。そう、公爵令嬢でも、屋台の売り子でも、皇太子妃でも。私は何も変わらない。

「私がこの国で王妃の器に足らない至らぬ娘であったのは、皆さんがそう扱ったからではないですか? 私は、ずっと私でした」

不快感を隠さぬままにいった私に、そうか、と父はなぜか少し嬉しそう見えた。

「私も、王家も、全く見る目のないことだ」

そういわれてしまうと、私には返す言葉がなかった。もっと、責められるとか、咎められるとか、そう考えていたのに。


「皇太子殿下はいろいろご不興であるようだが、私は謝罪はしない。これまで自分がしてきたことが間違いだったとは思わない。公爵家当主として、爵位を、土地を、領民や財産、そして名誉を守り次代に受け渡す。私の父も祖父もそうしてきた。私もそうする。お前の兄もそうするだろう。それは消して楽な道ではない。そのために必要と思うことをやってきた。お前の婚約も、婚約破棄も、その一つに過ぎない。お前の望みや考えと合わないことはあっただろう。だが、前にも話したように、お前の血肉は公爵家の糧から賄われたものだ。その対価を支払う義務がある。高位貴族としての贅沢な生活だけを享受することはできない」


「承知しております。私は。私は、5年の間、レオニス様の婚約者として瑕疵なく務めたことでその責を果たしたと考えています。お父様はあの時、私の王妃の器ではなく、婚約者のいる身で己を律することのできなかったレオニス様の王の器をこそ問うべきでした。放置した王家の怠慢を追求するべきでした」


父の口もとが弧を描いた。

「私は模範的な家臣になりたかったのではないからな。我が家の娘を嫁がせて次代の王の外戚となる。そこまでは上手くいった。その上に思いがけないレオニス様の不貞は、渡りに船だった。その弱みに付け込み、上手いこと我が家の傀儡にしてやろうと目論んでいたのだがな」

そこで言葉を切って、父は背もたれに体を預けた。


「王家に嫁ぎながらディケンズ公爵家の利のために動くことがフロレンツィアにはできる。だから私は婚約者を差し替えた。妃教育を愚直に実行しようとしていたお前では王家に取り込まれてしまう。私欲を捨てて王に寄り添い、その血統を守る“正しい王妃”になろうとしていたからだ。人を使うことや、城内の政治バランスをとるようなことは難しくとも、血統を守り王を支えるという正しい王妃の器でいえば、誰よりお前こそが相応しかった。だから王はお前を王太子の婚約者に選んだ。王家の一員となり、恋情などなくともレオニス様を支え裏切らないだろうお前を」

「陛下が、私を選んだ……?」


「そうだ。お前では要領が悪すぎるといって王妃殿下は反対したがな。王者には王者にしかわからぬ孤独がある。王なりに、息子の治世の一番の支えとなるものを与えたかったのだろう。だからこそ、今回、お前が皇太子殿下に見初められたことを、私は、そしておそらく王も不思議には思わない。あれ程の大国、身中の虫を何よりも厭うだろう。皇太子殿下からみれば我が家は田舎貴族だが、お前は家のために何か利権を引っ張ってやろうなどとは考えもしないだろう。ただ皇太子殿下を支えて尽くそうとする、私欲とは縁のないそういうところが、おそらくお気に召したのだろう」

「陛下も、お父様も、次代の王の伴侶として本当は私を認めてくださっていた……?」

「ああ、ただそれぞれの思惑とはそぐわなかった」

胸にこみ上げるものがあって、それを堪えるために私は目を伏せた。父に、家族に、王家に。ずっと認められたいと思っていた。でも、その瞬間はあまりにもあっけなく……。胸やけのように渦巻くこれは喜びなのか、憤りなのか、呆れなのか、諦めなのか。わかったのは、ただ“終わった”と感じたこと。王国での私の全ては、過去になった。それは父にも伝わったようだ。また、少しの沈黙が落ちる。消化できないものを言葉にすることもできず、私はふつふつと沸き立つ衝動を鎮めようとしていた。そんな私を見ていた父のほうが、沈黙を破った。


「帝国からみればここは僻地。公爵令嬢と名乗っても、田舎貴族風情とあしらわれることも多いだろう」

少し優しい声音で、父がそういう。

「覚悟の上です」

「そうか。忍耐強い性質とは思っていたが、存外に勝気でもあったようだ。私は本当に見る目がない。だがこれならば、心配することもないな」

また、意外そうな顔をする私に、父が苦笑した。


「これからしばらくイルメリアは揺れる。だが、領地、領民、爵位を守りお前の兄に受け継ごう。それが、ディクソン公爵としての私の責務だ。帝国から見ればただでさえ辺境貴族なのに、その上没落などしてお前に帝国で肩身の狭い思いをさせるわけにはいかぬからな」

「お父様……」

「だが、帝国に対しては余計な野心は持たぬと、あの側近殿に伝えてくれ。流行り病や馬車の事故にあうのはまっぴらだとな。レオニス殿下だから付け込もうと思ったのだ。勝ち目のない相手に先祖伝来の領地領民を賭けることはできぬ。私は己の分は弁えている」


私を見る、悪びれないまなざし。私は今まで、どうして父はわかってくれないのかとばかり思っていた。違う、私がわかっていなかった。父は、骨の髄まで高位貴族なのだ。価値観や行動だけじゃない。家族の在り方も、本人の存在意義さえも。公爵としての義務、公爵としての権利、公爵としての価値。それから生活も、人との距離や関係も。領地、領民、爵位を持ち、守り、継いでいく者として相応しいかどうか、きっと祖父や曽祖父がそうであったように。これから、兄もそういう生き方をしていくのだろう。いや、ディケンズ公爵と名乗るには、そういう生き方をするように尺度をつけられていくのだろう、はみ出さないように。あの家で、この国の貴族の世界で優秀といわれるのは、きっとそういうことなのだ。


「……わかりました」

それだけ絞り出した私を気にする風もなく、父がいった。

「持参金はお前が持ち出したものと相殺とする。支度が足りなければいいなさい」


え? バレていた? 驚愕を映した私の顔に、父が唇を吊り上げた。

「どのような手法を用いたのかは知らぬが、未知のものを殊更に恐れる者はどこにでもいる。使いどころをよく考えるように。それから、武器だけは武器庫に戻しておけ。帝国で我が家の紋の入った武器などが見つかれば、お前の足元をすくわれる」

私は頷くことも、返事をすることもできずに、ただ父を見ていた。父は目を閉じると。

「私は本当に、お前のことを何も知らなかったな」

「お父様……」

つぶやいたその顔は、うっすらを微笑んでいるように見えた。一つ、小さく息をついて、感情を伺わせない貴族の顔に戻った。父が椅子から立ち上がる。


「この部屋を出て、次に顔を合わせる時は私は帝国の陪臣となっているだろう。帝国の宮城で未来の皇妃に膝をつき、礼を取り、恭順を示す。きちんと貴族の責務を果たす。お前も次期皇妃として我らにその威を示せ。忠誠を受けるにふさわしい姿を見せつけよ」

私を見下ろす父を、しっかりと見返した。

「努めます」


父は一つ頷いて。

「息災で」

それだけ言い残して部屋を出ていく父の背中が、とても小さく見えた。


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