第80話 新たな主君

後ろで扉が閉まる音がして、貴族の礼を示すも。直る許可も、椅子に座る指示もでないまま、時間が過ぎていく。これでは名乗ることもできないではないか。大体、王冠というのは貴金属や宝飾品で重たい。被っている時に人に頭を下げることなど、考慮された作りではないのだ。王冠なのだから。面目にかけて落とすわけにはいかぬ、だがいつまでこの姿勢を保たなければならぬのか。皇太子は、私になど興味がないように何の反応も示さない。


「まず、この結婚を祝して道を作る。人も金も我らが負担するゆえ、其方らは何もせずともよい」

「……恐縮です」

入室して最初に発する言葉が、これとは。一国の王として、いろいろ考えた口上すら述べる隙を与える気もないか。そうか、これは挨拶の時間ではない、ただの上意下達だ。形式的にすら友好を示すこともなく、どちらが上位者かを突き付けられる。私はただ首を垂れてありがたく指示をうけるのみ、譲歩など迫る余地はなかった。


「国境には我らの兵の訓練所を作ろう。ローリの生国であるからな、他国の侵略などがないように守ってやらねばならぬだろう。王都にはいつでも其方らの要望を帝都に伝えられるようにオレの代理人を置く」

「ありがたき幸せ」

私は恭しく礼を述べる。この国の王は私だというのに。生まれてこの方、人に頭を下げることなく生きてきたこの私が、今更こうして他者に首を垂れ、恭順を示すことになろうとは。


国を守るだと? 馬鹿馬鹿しい。今のこの大陸で、帝国以外に他国を飲みこもうとするものなどもういないというのに。帝国の常道、支配すると決めた場所に向けて石畳を敷く。馬車がすれ違うことのできるほどの広い街道だ。兵士と物資を大量に迅速に移動できる手段を確保して、橋頭保を作り、一気呵成に攻め込んでくるという。それからは占領地に駐屯地を作り、兵が常駐し、監督官と商人が送り込まれる。政治的にも経済的にも締めあげられ、帝国の色に染め変えられる。受け入れられぬと兵を挙げれば蹂躙され、支配者層が一掃される。わかっているのだ。こうなれば、あとは甘受するしかないと。


「国境から王城までを見てきたが、農地や街並み、町人、農民の様子は悪くない。さすがローリの生国であると思った。だが、オレは其方らの見識にいささか不安があるのだ」

「何か御不興なことがございましたでしょうか?」

「ローリのことだ。国元におるときは、随分と粗雑なあしらいであったようではないか」

「申し訳ございません、他意があったわけでは……」

やはり、知っているのか。婚約破棄のことを。


「12歳の頃から登城するようになり、5年であったか。確かにローリは成人前ではあるが、いかなひな鳥とはいえ、一国の主やその重臣達が白鳥とあひるの区別もつかぬ愚鈍さでは、わが帝国の貴族としては心もとない」

なあ、ヴォイドと皇太子がいった。

「しかしながら、そのお陰で殿下は良き伴侶を手にされました」

「そういう意味では主孝行といえるな」

「御意」

側近と思われる男は、殊更に恭しく同意した。

「我が国に降れ」

皇太子は大して興味もなさそうに、素っ気なく言い放った。


散々主ヅラしてようやくか。そして、やはり、そうきたか。我らは寝た子を起こしてしまった。いずれはと覚悟はしていたが。国境を接していないこと、大森林があることでまだまだ猶予があると思っていた。レオニスに玉座を渡してやりたかったが、無念だ。私は立礼から静かに膝をつく。頭上から王冠を外して横に置いた。胸に手をあて、改めて恭順を示す。


「驚かぬのだな」

「いずれは貴国がこの大陸を統一すると覚悟しておりました。私どもは大森林など地理的条件がございますので、あと20~30年の猶予を見積もっておりましたが」

「よい線だ。ここは飛び地であるからな、管理に手間がかかる。ローリの件がなければ今しばらく歯牙にもかけぬ」

ニヤリと笑う皇太子。恐ろしい。村や街が小競り合いの末にまとまって国となった我らとは違う。数百年をかけて近隣の国をことごとく飲み込みつくした覇者。


「抗わぬか」

少し、笑みを含んだ静かな声。血に塗れた支配者の末裔。見せつけるように国境にあれほどの兵を置きながら、なお甚振ろうというのか。

「国力の桁が違いますれば。穏便に御旗に参じまして土地と民の生活を守ることが肝要かと」

皇太子がふっと息を漏らした。

「物分かりが良くて助かる。ローリは情の厚いところがあるからな。遺恨のある其方らであろうとも、民を巻き込んで蹂躙などしてしまえば心を痛めるであろう。オレはローリには優しい男であると思われていたいのだ」


残念ですね、と。ヴォイドと呼ばれた側近がいった

「併合という形であれば、ある程度の審査は設けますが、現在の王国貴族は帝国の陪臣となるのが慣例。歯向かってくれれば止むを得ず制圧し、わが帝国民に恩賞として土地や爵位を授けられましたものを」


ああ、ローザリンデよ。なぜ帝国へなど、このような恐ろしい男の元へ逃げたのか。いや、レオニスが男爵令嬢にうつつをぬかさなければ済んだことだ。そしてそれを若気の至り、男の甲斐性などといって私が見逃していなければ。このように大きな対価を支払わされるとは思ってもみなかった。


「併合までには期限を設ける。我が皇妃の生家が“帝国の辺境の陪臣の貴族家”ではいささかローリの肩身がせまくなろう。成婚か子を生すまでは“隣国の公爵家”であるほうが、我が国の貴族どもには聞こえがよさそうだ」

「御意。皇太子殿下の慶事に合わせての伴侶の生国の併合であれば、王国貴族が帝国の陪臣となることもお振舞の一つとして帝国民が受け入れやすくなりましょう」


ローリが結婚、または世継ぎを生むまでは独立を認め、その後は戦乱なく帝国に組み込まれるということか。帝都は遠い。いずれ諸侯になり監督官という監視者がついても、この地域の支配者の椅子は確保できそうで内心安堵した。


「ご恩情賜ります」

「道理のわかる家臣が増えることは喜ばしい。まずは“生国”としてローリによく尽くせ。その間は悪いようにはせぬ」

裏切れば。声にされぬ言外の圧に身がすくむ思いだが、声を絞り出す。

「ありがたき幸せ」

「よく励め」


私は三度、恭順を示した。

「恐れながら、明日、歓迎と結婚祝賀の典を整えました。ご列席をお願い申し上げます」

「それはできません」

側近が答えた。

「ディケンズ公爵令嬢の体調が整わないということであれば、日延べいたします」


「そうではありません。本国でもまだ正式な婚約の儀を行っていませんので。宮城の公式行事を差し置いて、辺境が先に祝典の席を設けることは許されません」

なるほど、一理ある。

「では、内々に王家とディクソン公爵家の食事会として、その場に家人として非公式にご列席いただく形ではいかがでしょうか?」

「家人か、おもしろい」

皇太子が唇の端を吊り上げた。

「明日、ローリと父親との対面については席を設ける。だが、其方らがローリと目通りすることは許さぬ」

「しかし、結婚の挨拶ということであれば……」

食事会などが一般的な形式だというのに、どうしたいというのか。


「ディクソン公爵令嬢は争いを好まない。家族の食事会という形であれば、元婚約者や、自分の後釜の妹君とも穏やかに会話をされるでしょうし、過去のいろいろなことについて謝罪をされれば内心はどうあれ許すという言葉を与えるでしょう。そういう、“許すしかない席”を設けることは金輪際ないことを理解して欲しいのです」

不機嫌そうな皇太子に代わり、側近がいった。


「結婚祝いをしたければ、他の貴族家同様、宮城に登城の申請をし、謁見の許可を取ってください。“家人”“生家”“生国”という言葉に実態がないことを自覚してもらう、それが今回の結婚の挨拶ですよ」


今後のため、形式上だけでもローザリンデの許しの言葉を引き出そう目論んでいたことは確かだ。祝いの席であれば断れないだろうと。さすが帝国、隙がない。

“皇妃の実家”や“生国”として優遇する気はない、一家臣として弁えた行動をせよということか。


「それでは私どもの家臣たちが不審に思いましょう」

「それはこちらが配慮することではありません。イルメリア王家が将来的にこの地の諸侯となるつもりがあれば、家臣をまとめ上げる手腕を殿下にお見せす

ることも必要ではないですか?」

すました笑顔の側近に、取り付く島もない。


わざわざやってきて、目通りも叶わぬとは。王都では沿道の民に笑顔で手を振ってきたと聞いていたのに。ローザリンデの妹がレオニスの婚約者であることで、先々の安泰や利権を期待している貴族たちに何と説明したものか。頭が痛い。だが、痛みを感じられるのは首と胴体が繋がっている間だけだ。

「承知いたしました」

私は不満を飲みこんだ。他者に降るということに、レオニスともども慣れて行かねばならない。それが、我が王家の支払う代償なのだろう。


まだ秘された主君との初めての謁見は、こうして終わった。


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