第66話 魔法使い


「嬢ちゃんの様子はどうじゃ?」

ローザリンデの部屋を出ると、廊下の少し離れた場所に老マクラウドがそわそわとした様子で立っていた。ヴォイドが玄関へと促すしぐさを見せて、二人は並んで歩き出す。老マクラウドの足取りが思ったよりも遅く、ヴォイドは老に気づかれぬように合わせることに腐心する。

――自分が大きくなったせいもあるだろうが、年を取ったんだ


そんな実感を、貴族の顔に隠した。

「ええ、随分としっかりした顔つきになってくれたように思います」

「そうか。坊主と互いに好いているのであれば、上手くいって欲しい。だが坊主は立場が立場じゃからのう。嬢ちゃんがしり込みする気持ちもわかるんじゃ」

「その気になったら今度の舞踏会に来てくださいと、招待状を渡してきました。その時は、彼女の支度をお願いできますか?」

「もちろんじゃ! わしは天下のマクラウド会頭だ。爵位はないが、金はある。ドレスも宝石も馬車だって。嬢ちゃんに、どんな貴族でも羨むような、坊主の嫁に相応しい支度を整えてやろうぞ」

こりゃ忙しくなるわ、と老マクラウドが気勢をあげた。


「まだ返事も聞かないうちから、気が早くないですか?」

「誰にも負けぬ支度を整えるんじゃ、今すぐ始めたって時間が足りないくらいだわい。それに、行くに決まっておるじゃろ。あの嬢ちゃん、逃げ出すようなタマではないわ」

「確かに」

ふっと、ヴォイドは笑いをこぼした。玄関ホールで足を止め、老に向き直る。


「会頭、今日は突然すみませんでした」

「いつでもかまわんよ。ここだってお前の家なんじゃから。元気そうでよかった」

「会頭も。最近はあまり帝都の店にも顔をだしていないと聞いていましたから」

「嬢ちゃんがきてくれたからな。この隠居屋が賑やかになって、つい腰が重くなっておった」

それから、老は玄関ホールに飾ってある亡き妻の肖像画を見上げた。


「ナタリーが伯爵の家に入りたいと言い出した頃、わしは自分を天下のマクラウド会頭だと、本気でそう思っていた。爵位はどうにもならんが、金の力でどうにでもなる、苦労はさせないと。ナタリーは衣装も教養も、そこらの下級貴族など目じゃないから貴族の正妻になれなくとも、わしの力でそれに劣らぬ暮らしをさせてやれると驕っておった。教会には認められない関係だが、それでもナタリーは自分の望み通りの結婚をした。本人が望むのだからそれでいいと思っていた。お前が生まれ、いずれマクラウド家の一人として店を持たせてやるつもりだった。だがお前は伯爵家の養子となり、貴族の世界で生きることを余儀なくされた。金しかない商人、爵位のないわしは貴族の決定に異を唱えることもできず、指をくわえてみているしかなかった。ナタリーのしたことの、わしが許してしまったことの業を、幼いお前一人に背負わせてしまった」

すまなかった、と老がいった。ヴォイドも同じように、亡き祖母の肖像画を見上げる。遠い遠い記憶の中の、柔らかく温かい手の感触。貴族になり、皇太子の側近として城勤めをする多忙な生活の中で、祖母の死に目に会えなかったことを今でも悔やんでいる。祖父も、自分も。どれだけ年齢を重ねても、どれだけ地位を得ても。後悔や罪悪感を持たずに生きられる人間などいないのかもしれない。


「会頭、もういいんです。私も30歳を超えました。親に押し付けられた不幸を嘆いてばかりいられません。もう伯爵邸から出られない小さな子供ではない。一人で馬にも乗れる。逃げることも、戦うことも、こうして会頭の家に来ることも自由なんです。確かに、貴族になりたかったわけじゃないけど。始まりはともかく。私は、今の私を気に入っています。私の努力の結果ですから」


老に視線を移して。幼い頃いつも見上げていた深緑の瞳を、見下ろした。この色に生まれたかったと思っていた幼い自分を思い出す。

「そうか。お前も大人になったんだのう。当り前じゃが。どうしても、商人になりたいと、国の端っこまでみんなで仕入れに行こうといっていた幼いお前から、わしだけが上書きできないままじゃったか」

「しばらくご無沙汰してましたから。不義理ですみません」


老は小さく首を振った。それから口元をほころばす。

「もう10年以上昔になるか。この街でお忍びをしたいから、お前の主や同僚の世話をしてくれと手紙をもらった時は驚いたのう。いずれ同行してくるかと思っていたが、お前だけはさっぱりと顔を見せてくれなんだ」

「すみません、城に残ってアリバイを作る者が必要だったのです。近衛の連中はどうにも嘘をつくのがへたくそでして」

「だが気の良い奴らじゃ。お前が城でどんな暮らしをしているか、どんな手柄を立てたかといつも話して聞かせてくれた」

ばあさんは楽しみにしておったよ、と老がまた肖像画を見た。

「そうですか」

追いかけるように、ヴォイドもまた肖像画に視線をやる。


「もう“じいさま”とは呼んでくれんのか」

老がぼつりといった。ヴォイドが老へと視線を戻す。

「いやだな、会頭がいったんですよ。従弟たちとみんなで、帝都の店で丁稚見習いをしていた時です。マクラウド商会で働くのなら、家族も何も関係ない。わしのことは会頭と呼べ、それがけじめだって。叔父さんだってそう呼んでるって会頭がいったんじゃないですか」

「そうじゃったか」

「そうですよ。私は貴族になりましたけど、マクラウド商会を辞めたつもりはないんですから」

「そうか、ハリー。そういってくれるか」

「私のほうこそ、会頭にお礼をいわねばなりません」

「なんじゃ、あらたまって」

「私がヴォイドの本邸にいって、会頭や従弟たちとも会えなくなって。でも、御用聞きとしてフレッドさんを寄こしてくれたでしょう? 毎月、新製品だとか試作品だとかいって、僕の好物やら最新の本やらを届けてくれた。三男なんてどこの家も大した予算がつきませんから、衣装や文房具の補充も助かりました。ご機嫌伺いだといっては、行ってみたい街や見たことのない景色なんかも随分と話してくれて、従弟たちとこっそり手紙のやりとりをしたり。母さんから離されて、慣れない貴族の暮らしの中で随分と慰められました。伯爵夫人や異母兄たちにもいろいろ届けてくれたから、味方にしたほうがいいと思ってもらえたのか、そこいらの貴族家の三男よりは余程心穏やかに暮らすことができました。本当にありがとうございます」

ずっとお礼をいいたかったんです、とヴォイドがいった。


「爵位がないから、貴族家には商人としてしか出入りできんから。それくらいしかしてやれんかった」

「それに。私が伯爵家に入ったあと、会頭が人が変わったようにいくつもの貴族家を手中に収めたとフレッドさんが教えてくれました」

「いつか、お前を自由にしてやりたかった。伯爵家からさらに別の家に養子に出られればと思っていたんじゃ」

杞憂じゃったな、と老が力なく笑った。


「お前は実力で皇太子の守役となり、伯爵よりも大きな発言権を手に入れた。わしは間に合わなんだ」

「伯爵家での暮らしの中で、フレッドさんが会頭の活躍ぶりを教えてくれるのを心待ちにしていました。男爵家から始まって、どんどんと上の爵位の家を攻略していく話はとてもおもしろかった。曰く、優秀な商人はどこにだって出入りして、素晴らしい商品や話術で楽しませたり、そそのかしたり、時には救ったり。人の気持ちも環境も、驚くほどに容易く変えてしまう。物だけでなく、情報も商って客の望みを叶えてくれる。その手練手管はまるで物語にでてくる魔法使いみたいだって。私もそうありたいとずっと思っていました。本来分不相応の守役を、なんとか務められたのは会頭のおかげです」

「ハリー……」

「商人の視点や考え方、名誉よりも効率や結果に重点を置き、他人の成果を取り上げたりせずに、十二分な対価を支払って満足させる。日頃は腰を低く、人当たりよくふるまい、敵を作らず。平民や使用人といった貴族が家具扱いする人たちから、さりげなくその家の秘密や弱みを探り出す方法。どれもこれも、生粋の貴族が持たない価値観、私の“半分”。会頭の孫たる私の武器です」

ありがとうございます、といったヴォイドの笑顔は幼い時分に見慣れたもので。老はようやく、身分に隔てられて随分と疎遠になってしまっていた孫と再会を果たせた気がした。


それを孫に告げると、フレッドからいつも近況を聞いていたから、自分はそれで満足してしまっていたと重ねて謝られた。

「そういえば、フレッドさんとは大人になってからのほうがたくさんお会いしていますよ。会頭とはまた違った魔法を私にたくさん見せてくれます」

「あやつめ、わしのところに居つかないと思ったら。お前となんぞ悪だくみをしておったのか」

「おかげさまで、宮城でも情報通として大きな顔をしていられます」

「そうか、ハリーの役に立っているなら、それでええ」

「はい、会頭。それで提案なんですけど。イルメリアにはマクラウド系の商人が出入りはしているけれど、屋号のついた店舗はまだないでしょう? そろそろ王都に店を出す準備をしませんか?」

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