第64話 似たもの同士
その日はお店がお休みで、私は誰に会う気にもならず部屋でぼんやりとすごしていた。あの遠乗りの日から。“ノルド様は好きだけど、皇妃は無理”問題が私の心を占めていた。今は私の気持ちがわかっただけでいいとノルド様はいってくれたけれど。いずれははっきりさせなければいけない。ノルド様に地位を捨てさせるなんてできない。なら、私は?
好きな人に、好きだといってもらえた。前世まで含めても初めての、私にとってはまさに奇跡。なのに、皇妃になることが怖いからと、ノルド様の優しい手を離すの? 私がいいと初めていってくれた人。青紫の瞳の私の王子様。そしてこの帝国にとっても、大切な世継ぎの王子様……。
「エミリー様ってやっぱりすごい」
私はエミリー様の何十倍の勉強や訓練を課されてきたけれど、自分に自信なんてちっとも持てなかった。ただ好きという気持ちだけで、将来一国を背負う立場の人と生涯を誓える強さが私にも欲しい。
寝台に寝転がり、天井を眺めてグルグル取り留めなく考え、ため息をついているとドアがノックされた。メリンダさんか、おじいさまか、トム君か。私の部屋のドアを叩く人は大体その三人しかいないから。
「どうぞ」
寝台から立ち上がり、さっと髪をなでつけながら私はドアに返事をした。そして開いたドアの向こうには。
「ご令嬢の部屋に突然失礼いたします」
静かな灰色の瞳をしたノルド様の側近。ヴォイドさんがなぜか立っていた。
「驚かせてすみません。失礼しても?」
私は強張る顔になんとか笑顔を浮かべて長椅子をすすめた。
「あの、私、お茶をいれてきます」
部屋を出ようとすると、ヴォイドさんに止められる。
「お茶はこちらに」
ヴォイドさんがドア横からワゴンを引き入れた。もう逃げる口実が見つからなかった。観念して、私はソファに腰を下ろした。
「主は侍女が執務室に入るのを煩わしいといって、いつも私がご用意しているのです。私は側近ではありますが、お茶についてはなかなかの腕前と自負しています」
ヴォイドさんはいうだけあって、手際よく準備して、テーブルには良い香りを漂わせるお茶が現れた。
「どうぞ」
「いただきます」
この家にきてからは、いつもおじいさまにお茶をいれてあげる立場だったので。久しぶりに誰かにいれてもらうお茶はとてもおいしかった。そう告げると、ヴォイドさんはふと口もとをゆるめた。ノルド様の周囲は、シュヴァルツさんといい、ヴォイドさんといい、あまり表情の変わらない人ばかりだと改めて思う。
「なぜ私がここにいるのか、不思議に思われているでしょう?」
私の向いに腰を下ろすと、静かにヴォイドさんがいった。
「ノルド様に頼まれて、ですか?」
「いいえ。ここは私の祖父の家だからです」
その言葉を理解するのに、何秒かかかってしまった。
「私の母は、マクラウド家の娘なのです」
「えーと、ではエディさんとは」
「従弟です。似ていないでしょう? 私は髪も瞳も父方に似たようで」
マクラウドの男は大体深緑なのですけどね、と少し寂しそうにいった。
「お母さまが、おじいさまの……」
「そうです。そして私が孫です。ヴォイドというのは父方の家名で」
「なるほど」
気まずい。会話が続かずに、私はまたお茶を飲んだ。なんで私は私室でヴォイドさんと向き合っているのか。居心地が悪い沈黙を破ったのは、意外にもヴォイドさんだった。
「今日は主には内緒で来たんです。ご令嬢と話してみたくて」
「私と、ですか?」
ヴォイドさんからは好かれていない気がしていたので、とても不思議だった。
「ディケンズ公爵令嬢」
私は、心臓がぎゅっと苦しくなった。
「どうして……」
「私は殿下の側近ですから。すみません、ご令嬢の素性を調べたのは私です」
「そうですか」
隠していてすみません、と私は謝罪した。
「いいえ、そこはお互い様ですから」
こともなげに、ヴォイドさんが唇だけ微笑んだ。あまり瞬きをしない、静かな灰色の瞳。優し気な声音と裏腹に、感情を移さないその目が私を観察しているように思えてどうにも気持ちが落ち着かない。
「他国とはいえ生まれながらの高位貴族であるあなたに、こんなことをいうのは失礼かと思うのですが。私とあなたは似たもの同士なのではないかと思っていまして。私は勝手に親近感を持っているのです」
「親近感、ですか?」
ヴォイドさんがこれまでにないほどにニッコリと笑った。
「同族嫌悪、かもしれません」
私は何か答えなければと口を開きかけたものの、何もいえなかった。やっぱり、嫌われてない? 戸惑う私を尻目に、ヴォイドさんは自分もお茶を飲んだ。
「ご令嬢と初めて湖でお会いした日に、私はあなたを殿下から遠ざけようと決めました。殿下にとって危険であると思ったのです」
「私、ノルド様に危険なことなどなにもしていません」
人聞きの悪い! と思った内心が顔に出てしまったのだろうか。ヴォイドさんの唇が弧を描いた。
「殿下があなたに恋をしてしまったことに気が付いたから、側近として皇帝陛下になる方にふさわしい女性ではないと判断したのです。その時は」
「おっしゃる通りです。私は皇帝陛下になるお方にはふさわしくありません」
「今はそこがあなたの問題点になっているのでしょう? 湖畔で馬と暮らす、高位貴族であろう素性のわからぬ女性。怪しさ満点でした」
ヴォイドさんがおかしそうにいった。
「私も、怪しさでいったらなかなかのものなんです」
それから、ヴォイドさんがこれまでの人生を話してくれた。マクラウド老の娘さんが望まれて伯爵家に入り、庶子として生まれたこと。幼くして、三男として伯爵令息になったこと。貴族社会では“半分”と謗りを受けたこと。公爵子息の側仕えから、ノルド様の守役に抜擢されたこと。
「私は貴族になりたくなかった。父母にもそういったのですが、子供の戯言と相手にされませんでしてね。でも殿下の守役になってからは、そうもいっていられなくなりましたよ。元宰相や元騎士団長といってお歴々を飛び越えて、こんな若造が重大なお役目についたわけですから。しかも生粋の貴族でもない。商家あがりの“半分”だ。そりゃあ皆さん怒りますよね、」
辛い内容だろうに、ヴォイドさんはとても愉快そうに話をしている。なぜこんな話をされるのか、わからないまま、私は聞いていた。
「主は見た目こそ不愛想ですが優しい方です。でも宮城はいろいろな立場の人がいて、思惑が絡み合っている。私が至らぬことで、実家や生家にお咎めがあってはいけないと、それはもう必死でした」
今ではすっかりと図太くなりましたけど、と。まるで他人事のようにいう。帝国で指折りのマクラウド商会の孫ともなれば、貴族社会でも成り上がる優秀さがあっても不思議ではない。ノルド様が好きだといいながら、未来の皇妃という立場に怖気づいている私とは全然違う。思わず、ため息がこぼれてしまった。その隙をつくように。
「ディケンズ公爵家の庭師たちが、あなたをとても心配していました」
「え?」
あまりに唐突にいわれて、私は理解ができなかった。
「あなたの素性を追って、イルメリアの婚約解消の話を辿っていた頃です。マクラウド系の商人が、ディケンズ公爵家の下働き達といろいろ話をしたようで。あなたは小さい頃から人一倍の努力をしていたと。教師から後継ぎの兄のようになれと叱咤され、何度尻もちをついても、何度馬から落ちても。女の身であなたは毎日剣と馬の稽古を続けていたのに、妹さんは花壇や温室が気に入らないと文句ばかりいっていたそうですね」
私は驚愕に目を見開いた。誰にも知られないと思っていたことが、生家を遠く離れたこの帝国で知られてしまうなんて。
「驚きましたか? 高位の貴族家というのは不思議なもので、従者や侍女と呼ばれる下級貴族の使用人には家内について強くかん口令を敷くくせに、下男や下女と呼ばれる平民の使用人は放置しているのです。屋敷内に入れないこともあるのでしょうが、彼らを仕事をこなす道具としかみていないのでしょう。それぞれに生活があり、気持ちがあることを理解できないから、他所の貴族に情報が漏れる口になるとは思いもしない。基本的には平民は平民同士の付き合いになりますから、間違いではないのですけどね」
マクラウド系の商人は、城付の間諜には得られない情報を調べるのが上手いんです、とこともなげにいう。
いつもノルド様やシュヴァルツさんといるところばかりを見かけるからかもしれないけれど、ヴォイドさんは中肉中背。肩につくほどの砂色の髪を後ろでゆるく一つに縛り、顔立ちは整っているけれど、不思議と人目を惹く雰囲気はない。どうみても威圧感のあるタイプではないのだけれど。やっぱり、皇帝の側近になるような人は恐ろしいと思ってしまった。
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