第62話 告白2
「お前を騙すとか、隠していたとか、そういうことではないのだ。ただ、いう機会がなかったというか……」
「そうですね、わかります。そんな、人に話して歩くことじゃないです」
しばらく見つめあってしまったあと、ノルド様が遠い街に目線を移して。私も正面に向き直った。何と返事をすればいいのかわからない。騙されたなんて思ったりはしないけど、どうして今更になってこんなことを言い出すのか不安になる。別に、私が知らなくてもいいことじゃないかと思ってしまう。
「あの、ノルド様は騎士様もたくさんつれているし、きっと高位貴族なんだろうとは思っていました」
「そうか」
ノルド様が次に何を言い出すのか怖くて、先に口を開いてしまった。
「実家で大陸諸国のお国柄の勉強をしているときに、皇家には“インペリアルブルー”と呼ばれる瞳の持ち主がいると習ったのです。ノルド様は青紫だから……」
皇族だとは思わなかった、と言外に告げた。
「紫がかった特別な青、といったところか」
この色にならぬ者もおるのだがな、と。なぜか少し自嘲するように、ノルド様がいったので。
「とても、綺麗です。私などはありふれた色ですから」
私はついとりなすようにいってしまう。
「オレはお前の瞳の色は好きだ。なにやら温かみがある」
焦げ茶ってあったかい? 暖色系ではあるけど。
「ありがとうございます」
そこから、お互い沈黙してしまった。二人とも、正面を見て顔を見ないように。なんだか噛み合わない会話をしていると我ながら思う。でも、ノルド様から“次の言葉”を聞きたくないから、このままでいい。わざわざ自分の身分を私に明かすなんて。きっと。“もう会えない”という最後通牒の準備なのだろうと心の片隅で覚悟をしていた。黙って音信不通になっても誰も責めないだろうに。私があてもなくノルド様を待ったり探したりしなくてもいいように、リスクを冒しても誠意を示してくれているのだろう。
大陸の覇者たる大帝国のお世継ぎの君。酸っぱいどころか、雲の上、神様の庭に生っている黄金の葡萄のよう。手が届かないと悔しい思いをして眺めることもかなわない。全然、届かない。だけど。だから。私も誠意を見せなくちゃ。笑え。最後に見せるのは、ノルド様の記憶に残るのは笑顔の私でありたい。
「あの、私、ノルド様にお渡ししたいものがあるのです」
「オレにか?」
私は腰に付けた小物入れを開けて、小さな包みを差し出した。
「お店の売り上げが伸びて、ノルド様にもお礼ができたらと思って。あと、もうすぐお誕生日だって串焼き屋さんのおかみさんが教えてくれて……」
今日渡さなければ、きっともう渡せないから。
「開けてもよいか?」
頷いてみせると、ノルド様は丁寧に包みを解いた。
「これは……」
「ポケットチーフなんです。前にノルド様にいただいたリボンと同じものを縁に縫い付けて、同じ色の糸で指輪の紋章を刺繍しました」
アイテムボックスには金貨も物資もたくさん入っているけど。私はお店の売り上げからしかプレゼントを買いたくなかったから。値の張るものは買えないし、街で売っているものでノルド様が欲しがるようなものが思いつかなくて。でも刺繍は前にプレゼントしてしまったから、今度は刺繍にリボンで縁をつけたのだ。飾り折りをして、ポケットから見せたらオシャレかなって。リボンをお揃いにしたささやかな乙女心は許してほしい。ノルド様の瞳の色にしなかった謙虚さをこそ、褒めてほしいのだ。
ノルド様は一度ぎゅっと胸に押し当てると、丁寧に包み直して腰につけた小物入れにしまった。気に入ってくれたようだ。良かった。
「大切にしよう」
そういって微笑んでくれた。これで思い残すことはない。無事にやり切ったと、私はほっとした。
「ローリ、オレはこういうことははっきりとしたほうがいいと思った」
ノルド様がひどく真面目な表情で、まっすぐに見据えてきた。私は目線で小さく頷いた。とうとう、この時がきた。細くゆっくりと息を吸い込んで、別れを告げられる準備をする。皇太子殿下であれば、きっと帝都での公務や視察などでお見掛けすることもできるだろう。そんな風に自分の気持ちを落ち着ける。
「ヴォイドなどはごちゃごちゃというのであるがな、オレはそういうのはあまり好かんのだ」
ふと口もとが緩んでしまう。ノルド様らしいと思った。
「ローリ、以前に渡した指輪を持っているか?」
「はい、ここに」
私は首から下げた革紐をそっと外した。先端に、ノルド様からいただいたシグネットリングが下がっている。いざというときは身分の証になるといってくれた。タビーと二人きりの異国でそれはとても心強くて、今じゃすっかりお守りのように思っていたけれど。そうか、これもお返ししなければ。皇太子殿下の紋章のはいったものを、縁もゆかりもないものが持っているわけにはいかない。両の掌にのせて、そっと差し出す。と、ノルド様がそれを手に取った。また会えるといった、あの日の約束が失われる。胸が痛むけれど、顔に出してはいけない。
「これは、オレが生まれた時に作られたそうだ。子供の頃は指に合わず、オレも皮ひもに通して首にかけていた」
ノルド様が柔らかな表情でいう。そんな大切なものを、一時でも私に預けてくれたのだ。嬉しいと思ってしまった。
「オレはお前にとって面倒な立場の男だ。お前の望む平穏な暮らしを与えてやることはできないかもしれぬ」
「いいえ、もう十分に良くしていただきました」
「そういってくれるか。やはりお前は情が深いな。優しいから、オレは狡い男になってしまうかもしれぬ」
「狡いことなどございません。ノルド様のお立場であれば詮無い事でございます」
ノルド様がじっと私を見て、それからニヤリと笑った。
「お前、勘違いをしておるな」
隣に座っていたノルド様が、いつの間にか正面に跪いていた。私の左手を取り、薬指にシグネットリングを嵌めるのを、私は息をするのも忘れて眺めていた。ノルド様はその手を引き寄せて、先ほど嵌めた指輪のあたりにそっと口づけると、そのまま上目遣いに私を見つめた。
「オレの伴侶として、生涯を共に生きて欲しい」
唇の動く感触と、言葉と共に漏れる息がとても熱くて。射貫くように覗きこんでくる青紫の瞳がとても美しくて。今日のための覚悟とか、不安とか、寂しさとか。それから嬉しさと驚きも。私は空いているほうの手で口元を抑えた。子供のように泣きわめいてしまいそうだから。抑えた分、瞳から涙が溢れてくる。
「お前が好きだ。ずっとそばにいて欲しい」
私はもう何も考えられなかった。
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