第61話 告白
「嬢ちゃん、明日坊主が顔を出すそうだ」
夕食の席で、おじい様にそういわれた。
「何か近くに御用があるのでしょうか?」
「遠乗りに行く約束をしとったんじゃろ。タビーもこれ以上待たされたら首が長くなりすぎて絡まってしまうかもしれんよ」
食卓に笑い声が響く。私もみんなと一緒に笑った。
「ノルド様、3か月ぶり、かなあ」
夕食後、自室で私は寝台に寝転んだ。串焼き屋のおかみさんショックから早10日。タビーにべそべそと泣きついて。“ノルド様は酸っぱい葡萄”と私に優しい結論を出してから、それなりに生活を送っている。三通目の手紙は書いていないし、ノルド様積み立てはちゃんと続けている。お誕生日が近いとおかみさんに教えてもらって、このお金で何かプレゼントを買おうと決めた。高位貴族に些少な現金を渡すと失礼にあたるかもしれないし。お誕生日プレゼントのほうが受け取ってもらいやすそうだ。そういえば、具体的な日にちはきいていなかった。今度おかみさんに確認してみよう。
ノルド様曰く、“恩人”の私。マクラウド家に住まわせてもらって、時々お話したりできる。嫌われてもいないし、相手にされているし、結構好意的だと思う。何かあったら頼れといってくれたし。さよならしてきた生国の人達とは比べ物にならない友好的な関係だ。平民の身で高位貴族とこれだけ付き合いがあるとは特異なことで、これ以上は贅沢というものだ。いずれ、会えなくなる日はくるだろうけど。マクラウド家やお店を大事にして、ここで静かに暮らしていけばいい。お店は順調だし、なんなら来年あたりは人を雇って店舗を持ってみてもいいかもしれない。
前世アラサー社会人の記憶があってよかった。少し冷めた第三者的感覚がなかったら、泥沼になってしまったかもしれない。ここにはゲームはないけど、仕事を頑張って気を紛らわせていけばいい。前世で何かの本に、人間の恋の期限は三年と書いてあった。そう遠くないいつか、この気持ちが眠りについてしまうまで、息をひそめてやり過ごせばいい。そんな風に初めての恋心に折り合いをつけた。
今思うと、エミリー様は偉大だ。殿下とのなれそめは知らないけれど、身分がものをいう貴族社会で、男爵令嬢がよくあちらこちらで王太子にくっついて歩けたなと思う。公爵令嬢であっても、周囲の目や評価は私には圧力だった。それとも、釣り合いのなさも気にならないのが“真実の愛”だったのかなあ。私は二人を見かけると、愛想笑いで挨拶をして逃げてしまう弱腰ぶりだったけど。まあ、今はフロレンツィアに蹴散らされてるんだろうから、少しいい気味だ。なんて、今は男爵令嬢ですらない私にはいわれたくないか。
ノルド様に会いたいけど、怖い。でも、私は行くのだ! タビーを街の外で思い切り走らせてあげられる貴重な機会を逃すわけにはいかない。気まずいなどといっていられない。お話しできる貴重な機会でもある。お店が順調なことを伝えて、きちんと御礼をしなくては! 大丈夫、ノルド様に私の気持ちを知られなければ、それはなかったことと同じなんだ。感情を悟らせない表情づくりを練習させられた王妃教育、今こそ役に立つ時だ!
ちょっとおかしなテンションのまま、私は翌日を迎えた。乗馬服に着替えて、タビーの準備をする。落ち着かなくて、手綱を引いて周囲をぶらぶらを歩いていた時、いつもノルド様についてくる騎士様の一人がやってきた。
「ご令嬢、主は街の外でお待ちです。そこまでご案内いたします」
なるほど、騎馬の集団が街中をぞろぞろ移動するのはあまりよろしくないね。私は承諾して、タビーに乗ると騎士様のあとをついていった。
街路を人の歩み程の速度でぽっくりぽっくりと進み、街門を抜ける。少し進んだ街道に、ノルド様ともう一人の騎士様がいた。
「ローリ! 息災であったか」
ノルド様がゆっくりと黒馬を寄せてくる。私は王妃教育で培った微笑を浮かべようとして、失敗していた。緩みそうになる顔と、引締めようとする意志がぶつかって、変に引きつっている気がする。
「おかげさまで。ノルド様もお元気そうです」
サボりと間違われないようにか、今日は三人とも巡回騎士の制服はきていなかった。
「この街道沿いに進むと見晴らしのよい丘陵がある。今日はそこに行こうと思う」
「ありがとうございます。タビーもとっても楽しみにしていたんです」
「そうか。ブチ馬には褒美をとらせねばならぬからな。今日のところは先付としよう」
なんだろう? りんごか角砂糖でもくれるのかな? タビーの好物はいくらあってもいいね。
それから、騎士様の一人が先頭に、もう一人が後方について縦列で走り出した。鞍をつけ人を乗せていて自由ではないけれど、タビーもやっぱり囲いのない場所、足元が整備された街道を走るのは楽しそう。そのまま30分程駆けて、目的地についた。
「綺麗なところですね」
街道を外れて丘陵地に入っていく。
「あの少し小高いあたりが見晴らしがいい」
先頭の騎士様は慣れた風に進んでいく。ノルド様達には馴染みの場所のようだ。一番高いところについて。。
「あれが、今でてきた街だ」
ノルド様が指をさす先には。草地や田畑の向こうに石壁に囲まれた街が見えた。貴族は寄り付かない商人の宿場町だというけれど、とても大きいと思う。あの中に、マクラウド家も私のお店も、おかみさんのお店もあるんだなあ。
「ご令嬢、馬に水を飲ませて参りましょう」
騎士様の一人が手綱を引いてよってきた。
「少し下ったところに湧き水があるんですよ」
「私もいきます」
タビーから降りる。
「いいえ、女性には少し足場が悪いので。お任せください」
そういって、タビーも連れて行ってしまった。ノルド様の黒馬も、もう一人の騎士様が連れている。
「ローリ、こちらで座るとよい」
丘の上の木立の下に、敷物がしかれ、クッションが置いてあった。いつのまに。ありがたく座らせてもらう。クッション、当たり前のように使わせてもらっているけれど。ノルド様に譲っても、絶対に使わないのがもうわかっているので、私はきくのをやめていた。
お水を飲み終わったのだろう。鞍はつけたままだけど、タビーとナハトがぶらぶらお散歩を始めた。騎士様たちの馬はお仕事モードのまま。それぞれの主のそばで草を食んだりしている。水の匂いはしないけれど、静かで、時々そよ風が吹いている。湖で過ごしていた時に戻ったような感覚になる。
「ローリ、手紙と菓子は無事に受け取った。礼を言う」
隣に座っているノルド様は、正面を向いたまま“遅くなってすまない”といった。
「いえ、無事にお手元に届いてよかったです」
「ああ、ブルーベリーのクレープはとても旨かった」
私も正面を見たまま、お互いに目を見ずに会話が進んでいく。
「店も順調のようだな」
「はい、ありがとうございます。ノルド様にはいろいろご心配いただいてすみませんでした。お手紙では週に二日と書いたんですけど、今は四日ほど店を開いて、時間も少し長くなりました」
なかなかの人気店になってお菓子が売り切れたら店じまいしてしまうとか、行商人がたくさん買い取ってくれるようになったとか。帳簿がつけられるようになったこと。おじいさまに少しずつ資本金を返していること。私はずっと伝えたかったことをようやく言えた。ノルド様は静かに聞いてくれていた。
自分の気持ちや、少しの気まずさを隠したいこともあって、少し早口になってしまったかもしれない。
「そうか、繁盛しているようで何よりだ。菓子だけでなく料理も上手いのだから、その気になれば店舗も持てるのではないか?」
ノルド様が私に顔を向けてくれて。目の端に映るのは、最後に会った日の、お店の話に難色をしめした表情ではなく。行軍中などに見せてくれた優しそうな顔だった。私はホッとして、瞳が滲みそうになるけれど、そこはぐっと堪えて笑顔を浮かべた。すると、今度はなぜかノルド様の表情にわずかに陰がさした。
「ローリ、すまなかった」
「なにがでしょう?」
ノルド様がじっとこちらを見ているので、私は少し顔を俯けた。
「お前が屋台をやりたいといったとき、賛成してやらなかったことをずっと悔やんでいた」
驚いて、私はノルド様の顔を見返してしまった。
「それは心配してくださったからでしょう? ノルド様には、私が家を出てきた話もしていましたから」
「それもある。だが……」
今度はノルド様のほうが少し目線を下げてしまった。
「オレはローリにいわなければいけないことがある」
ノルド様の真剣な表情に、私のほうが緊張してしまいそうだ。ついと、胸元に下げたリングを服の上から抑えた。ノルド様からいただいた、身元保証の証。人に見せることはないけれど触れると安心できて、すっかりお守りのような役割も果たしてくれている。
それから、意を決したようにノルド様が私を見た。まっすぐに差し込む、きれいな青紫の瞳。
「ローリ、オレはこの国の皇太子だ」
それだけを告げて、ノルド様が私を見つめている。私は何も言葉にできなくて。ただ頭の片隅で、随分昔に王妃教育で習ったことを考えていた。
『帝国の皇族には時折、“インペリアルブルー”と呼ばれる瞳の持ち主が現れる。現在の皇太子がまさしく該当する』、と。
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