第48話 散策
「それはまたあとでいただくとしよう」
ノルド様が小さく手をあげて、私に手のひらを見せた。それからくるりと手を返して、椅子をすすめてくれる。私はもう一度、椅子に座り直した。
「ローリ、ここにきてからまだ一度も屋敷を出ていないときいている」
少し気遣わしげに、ノルド様がいった。
「確かに……」
私は頬に指先を添えて考える。いわれてみれば、こちらにきて以来外出していなかった。家出してくるまでも、時々王宮や他家のお茶会に行くくらいで。外出をしないことが当り前の生活だったので、今まで特に違和感を持たなかった。
「今日は騎士も二人いる。ローリも言葉遣いが大分こなれてきているようだ。そろそろ少し街を散策してみてもよかろう」
「とても楽しそうです」
「ああ、この街にはなかなか旨い店が多いぞ」
「ノルド様もこちらで食事をされることがあるのですか?」
「ああ、子供の時分から馴染みの街だ。気に入りの店に案内してやろう」
ノルド様が顔をほころばせた。
それから一度、私は自室に下がって簡単に身なりを整え、外出用の靴に履き替えた。玄関ホールにむかうと、ソファに座っていたノルド様が立ち上がる。いつの間にか、ノルド様も上着を着替えていた。
「あの制服のままでは、巡回警備の騎士が職務怠慢だと勘違いされてしまっては申し訳ないからな」
そういって、ニヤリ笑った。
玄関扉をくぐると、いつの間にか馬車が準備されていた。ノルド様の手をかりて、乗り込む。老がきちんとしたお出かけなどに使う大きな箱馬車ではなくて、小さな荷馬車だ。
「じいさまの家はこの街でも少し奥まったところにある。街門に近い下町には少し距離があるからな」
ノルド様が私の隣に腰を下ろすと、馬車がゆっくりと動き始めた。御者の隣に一人、荷台に一人、騎士様が乗っている。街中なこともあり、人が歩くよりは早いくらいのスピードでゴトゴトと移動していく。
この街にきた時は馬に乗っていたし、気持ちも高ぶっていたので、ゆっくりと街中を見られるのはこれが初めてだった。貴族街とは違う、間口の狭い建物が並ぶ通り。道行く人は旅人か、商人か。荷物を背負った人が多い。
「昼食はまだであろう? オレの気に入りの串焼き屋があるのだ」
ノルド様も楽しそうだった。
ノルド様の手を借りて馬車を降りる。手を取られたまま進んでいくと、ずらりと屋台の並んだ一角にでた。
「さあ、この店だ。よい匂いであろう」
ノルド様が立ち止まったのは、確かに串焼き肉のお店だった。唐揚げほどの大きさのお肉が4~5個程木串に刺さって、ジュージューと音を立てている。
「串焼き肉の店はたくさんあるが、どんな秘訣があるのかここが一番柔らかいのだ」
2本もらおう、と店のおかみさんに声をかけた。
「おや、ぼっちゃん。久しぶりだねえ」
「前回きたのは、半年前くらいか? 何度も言うが、“ぼっちゃん”
はやめて欲しい」
「小さい頃からきてるからねえ。ぼっちゃんはぼっちゃんだよう。あの、大きな熊みたいな護衛の人は今日はきていないのかい?」
「今日は別行動だ」
「珍しいねえ。おや、かわいいお嬢さんをお連れじゃないか」
手拭いを頭に巻いて、恰幅のいい女性が私を見た。
「ぼっちゃん! なんだい、“いい人”かい?」
「そうだ、さすがによくわかっているな。彼女はローリという」
「そうかい、ローリさんかい。きれいな人だねえ」
やるじゃないか、とおかみさんが何度もうなずいた。
「彼女はしばらくこの街で暮らす。下町にきたときは気にかけてやってほしい」
「まかせておきな! こんな可愛らしいんじゃあ心配だからね」
おかみさんが私にニコニコと笑いかけてきた。
「違う、違うんです。そういうのじゃなくて」
「いいんだよ、まあ、そういうところも可愛らしいねえ」
さあ、焼けたよといって、ノルド様に串を一本差し出した。
「頼んだのは2本だが」
「こんなお嬢さんに串ごと渡せるかね。今、切ってあげるから待っておいで」
おかみさんが、肉をナイフで削るようにして串から外し、木皿に盛ってくれた。
「さあ、熱いから気をつけな」
フォークを乗せて、皿を差し出してくれる。
「ありがとうございます」
誤解を解くこともできないまま、私は皿を受け取ってしまった。皿の下には絞ったふきんもついている。気が利くおかみさんだ。
「さあ、ぼっちゃん。あそこの木の陰にうちらの休憩用の椅子が置いてあるから使うといいよ」
「使わせてもらおう」
「ごゆっくり!」
木陰のベンチに座ると、私は思わずふうっと息をついてしまった。
「すまぬ、あのおかみはいつもあんな風なのだ。疲れさせたか?」
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで」
「そうか。では冷めぬうちにいただこう」
ノルド様がバクッと串焼きを頬張った。私もフォークに刺して口に運ぶ。
「おいしいです!」
「そうであろう。いろいろ試したが、この街ではあの店が一番だ」
ノルド様が満足げにうなずいた。
「しかしあの店主、なかなか見る目があるな
「見る目、ですか?」
「ああ、ローリが善人であると一目で見抜いていたであろう。やはりこういう商売をしている者は目聡いのであろうな」
何と返答してよいやら思いつかず、私は口をつぐんだ。微笑みを浮かべたまま、次のお肉を口にする。
ノルド様は高位貴族。庶民とは根本的に語彙が違う。“いい人”とは、文字通り“善人”という意味でしかなかったのだ。ホッとしたような、がっかりしたような。時々、ニコニコとこちらを確認するおかみさんの視線を感じながら、私はお肉をたいらげた。
「このまま、ここで待つとよい」
ノルド様は私のお皿を手に、串焼き屋さんへと戻っていった。おかみさんとまた、二言三言会話をしている。新たな誤解が生じていなければいいのだけれど。ノルド様は串焼き屋さんの二件先の店でフルーツジュースを買って、木陰に戻ってきた。
「串焼き肉は上手いが、食べた後はやはり少し喉が渇くな」
「ありがとうございます」
差し出された木のコップを受け取る。口に含むと、甘酸っぱい柑橘の風味が鼻に抜けていく。個々には聞き取れない見知らぬ人達のざわめきは、森を渡る風が枝葉を鳴らす音にも似ている。大勢の人がいるのに、不思議とリラックスできた。
「ここは良い街ですね」
屋台で働く人、街路を行きかう人を眺めていたら、ふと口をついた。
そんな私を見て破顔したノルド様は、そうか、といってまたジュースを飲んだ。
「近く、街の整備が見直される予定になっている。さらに住みよい街になろう」
「串焼き屋さんたちも喜びますね」
「そうだな。じいさんも…、お前もずっとここに住んだらいい」
「そうできたら嬉しいです。私、おじいさま達に本当によくしていただいて。ノルド様には本当に感謝しているのです」
ありがとうございます。隣にいるノルド様を見ることができないまま、私は改めて御礼をいった。
「お前が穏やかに暮らせているのならば、よい」
表情は伺えないけれど、包み込むような優しい声だった。
「夜はきちんと眠れているか?」
「はい、いつもゆっくり休ませていただいております」
「そうか」
そうか、と噛みしめるようにもう一度、ノルド様が繰り返した。それからまた、二人で街の営みを眺めた。午後のやわらかな日差しの中、忙しなくも楽し気な人々。遠く、低く響く街のざわめき。ここには湖を渡る涼しい風も、静けさもない。けれど、湖畔のお昼時。並んでお鍋を眺めていた静かな時を思い出した。
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