第45話 主従2
「いってしまいましたね」
シュヴァルツ隊の一人がぽつんといった。祖父の家へ令嬢を送る別動隊が、木々の間に見え隠れしている間。そして何も見えなくなっても、殿下はそこに立っていた。柔らかな微笑はいつしか、心情を伺わせない無機質な表情に変わっていた。
「恋というのは、楽しいものだと聞いていたのだが」
胸元を抑えていた手を見下ろして、殿下はそういった。私は何もいえなかった。シュヴァルツ隊の奴らの非難がましい目線が私に集まってくる。
「自分たちも出発しましょう」
シュヴァルツがいうと、殿下は何事もなかったかのようにナハトにまたがった。
先導役に続いて、隊列が走りだす。令嬢がいなくなったお陰で速度が大分あがっていた。
湖を出発してからというもの、どうにも居心地が悪い。シュヴァルツ隊の奴らに目の敵にされているからだ。私が殿下からあの令嬢を遠ざけようとしているのが気に入らないのだろう。私だってお小さい頃からお仕えしてきた守役だ。殿下がお好きな女性と添い遂げられたら一番いいと思っている。でも、それは叶えられない。殿下は皇帝になるお方。惚れた腫れたで妃を選べる立場ではない。仕方ないことだ。それを脳筋どもは。恐れ多くも次期皇帝と、自分たちの結婚観を同列に考えている節がある。
殿下は非常に優秀な方だ。だが、それ故に側近に恵まれない一面があった。通常はお小さい頃に年齢の近い高位貴族の子息からご学友を作り、勉学や剣を共に学びながら信頼関係を育て、いずれは彼らが皇帝の治世を支える側近となる。それが当時の殿下は年齢の近いものはどうにも嚙み合わず、結局は10歳、15歳も年上のシュヴァルツ隊や私しか身の回りにおかなかった。
シュヴァルツ隊は気のいい奴らだ。殿下が陛下になろうとも、決して裏切ることなく命を懸けて守るだろう。だが、政治の役には立たない。皇帝として政を行っていくには、どうしたって高位貴族の当主やその後継ぎの支持を得なければ上手く回らない。その足場となるはずの“ご学友”がいない殿下には、婚家という後ろ盾が必要だ。娘や姉妹を媒介に、孫や甥を手形にした裏切らない有力な貴族家。いくら優秀でも、皇帝一人で政治はできないことがシュヴァルツ隊にはわかっていない。だから私が悪役をやらないといけないんだ。それが私の、殿下への御恩返しでもある。
私は元々伯爵家の庶子だった。母と王都の外れの家でのんびりと暮らし、いずれは母の実家の商家に養子に入るはずだった。それがなぜか伯爵夫人の養子となり、伯爵令息になってしまった。夫人には長男次男がいて、爵位継承には問題がない。それなのに、どこの家でも持て余す三男をわざわざ作るなんて、マクラウド家の財力をあてにしたものか。伯爵が母を妾にしたことへの意趣返しだったのかもしれない。
貴族になんてなりたくなかった。伯父や従弟たちと祖父の店で一緒に働きたかったのに。両親は伯爵令息になれたと大喜びして、夫人に感謝しろという。確かに貴族になることは難しい。でも、それを望んだことなどなかった。自分たちと同じように、私も喜んでいると信じて疑わない両親には、理解してもらえなった。
何にせよ、伯爵令息になってしまったからにはそれ相応に生きていくしかない。貴族としての教育が始まり、“爵位に関わりのない三男”としてはなんとかかんとか及第点を得ることができた。
18歳になる頃には、早々とさる公爵家の嫡男に仕えることになった。伯爵家の三男といっても、元は“半分”。『貴族は親の片方でしかない』と揶揄される庶子であるのは社交界には知れ渡っていたから、文官であれ武官であれ、城に士官をするのは難しかった。
両親はまた大喜びした。公爵家の後継ぎにお仕えするなんて、私の実力が認められた、と。そんなはずはない。大方、マクラウド家との繋がりを求めてのことだろうと思う。
私の最初の主、若様は幼いながらに“次期公爵になる自分”にたいそう誇りを持っていた。だから、“半分”である私を下に見ているところがあった。それでもかまわなかった。相手はまだ子供だし、これからの付き合いで上手くやっていければいいと思っていた。だが、そうはならなかった。後継教育が始まってみると、ご本人の予想よりも難易度が高かったようだ。
私は若様より8歳も上で、一通りそれなりの教育を終えているのだから子供向けの初歩の初歩では教師的な役割になる。自分がするりと理解できないことを、“半分”ごときがあれやこれやと諭してくる。それがどうにも気に入らないと
随分と当たられたものだ。日に日に当たりが強くなっていき、子供の癇癪などかわいいものだといってもいられないようになってきた。
その頃、ちょうど殿下のお披露目があった。それから年の近い高位貴族の子供たちが城に招かれて、園遊会が何度か催された。常ならば、二度三度行ううちに、自然と皇子と仲良くなる子供があらわれるものだが、殿下の場合はそうはならなかった。親たちは、なんとかして殿下とお近づきになるようにと我が子とその側仕えに発破をかけた。若様と私もそうだった。
私がお仕えしていた家は、いくつかある公爵家の中では格下だったから。若様が殿下と年周りが近いことを好機と捉え、なんとか勢威を取り戻そうと必死だった。たったの10歳で、そんな重たい任務を与えられてしまった若様は気の毒だった。2歳下の殿下に取り付く島も見つけられず、家に帰れば公爵閣下に叱責を受ける。そんなことを繰り返していくうちに、私と若様の関係にも暗雲が立ち込めてきた。
何度目かの園遊会で、やっぱり殿下に袖にされた若様が、私にひどく当たったことがあった。帰りの馬車へと向かう回廊の片隅で。
「所詮、“半分”のお前では宮城や貴族の常識に疎く、それが自分の足を引っ張っている。お前がいなければ、自分はもっと上手くやれる」。そんな風に吐き捨てた。若様の前に跪き、申し訳ありませんと謝罪をするも、小さな足が私の肩を蹴った。若様が転ばなくてよかった、と思った私の背中に、さらに幼い声が重なった。
「では、それはオレが貰い受けよう」
振り向くと、シュヴァルツを連れた殿下が立っていた。
「皇太子殿下?!」
若様も、私の横に跪いた。
「これは違うのです。ただ……」
「それがいなければ、其方はもっと上手くやれるのだろう? だからオレがそれをひきうけてやろう」
言い淀む若様を、殿下が遮る
「ですが、その……」
「そこの、名はなんという」
特に怒っている風でもなく、むしろ興味なさげな感情の見えない表情で。殿下の、皇族特有の青紫の瞳が私を見ていた。
「ヴォイドでございます」
胸に手を当て、改めて恭順を示した。
「今日よりオレの守役を命ずる」
「ありがたき幸せ」
次期皇帝の言葉に逆らえる者などそこにはおらず。呆然としている若様を置いて、私は踵を返した殿下のあとを追った。
あの日から10年以上経った。最初は公爵家の使用人として殿下のお傍に侍っていたが、程なく宮城の所属に切り替わった。
本来であれば元宰相や元騎士団長といったような、年かさで経験豊富な地位あるものが占めるべき位置だ。殿下のどんな気まぐれか。城に仕官の経験もない若造が本来座る椅子ではない。
『マクラウド家は娘を伯爵家に潜り込ませただけでは飽き足らず、孫は皇太子殿下に差し出した。全く、商家風情が上手くやったものだ』
そんな口さがない貴族たちを黙らせるために、私は必死になった。次期皇帝直々のご指名だ。こちらから断れるはずもなく、能力不足で解任となれば、実家にどんな謗りをうけるかわからない。貴族になりたくなかったなんて、いっている暇はなくなった。
いつだったか。殿下にきいてみたことがある。なぜあの時、自分と若様の間に割って入ったのか、と。
殿下はちらりと私をみて、しかし閉ざした口を開こうとはしなかった。だから、私はもう一度きいてみた。
「なぜ、私を召し上げてくださったのですか?」
殿下は手元の書類から目を上げることなく、次のページをめくった。それでも黙って待っていると、パサリと書類を机に置いた。
「ちょっと興が乗っただけだ」
ぎいっと音を立てて背もたれに体を預け、殿下が見据えた。
「オレはああいうのは好かぬ。それだけだ」
「さよう、ですか」
「ああ。少し休む。茶を持て」
「御意」
私は一礼をして、お茶の準備を始めた。
8歳の子供に助けられて早12年。今では、私のことを“半分”などと呼ぶものはいない。表面上は。殿下は相変わらず感情を読み取らせない表情で、たいそう仕事の早い皇太子となった。これといった理想やこだわりもなく、淡々と国のために執務をこなしている。
大勢の人間にはわからなくても、殿下はとても優しい方だ。姿かたちは似ても似つかなくとも、その心根はシュヴァルツによく似ている。目の前に理不尽があれば、ひょいと手を差し出してしまう。
あの令嬢のことを、殿下はしきりに『恩人』と呼んでいた。だから恩を返さねばならぬ、と。私にとっての恩人は殿下だ。10歳の若様から8歳の殿下に仕える相手が変わったとて、所詮は子供相手と人はいうかもしれない。しかし、殿下は私を決して“半分”とは呼ばなかったし、いら立っても手を上げようとはなさらない。貴族の血が半分しか流れていない私でも、敬意をもって遇してくれる。徳の高い、皇帝に相応しい方だ。
彼女、悪い娘ではないのだろう。だが、殿下には釣り合わない。殿下に何も利をもたらさない。これは動かしようのない事実だ。私も、殿下に恩を返さねばならない。それがたとえ、当の殿下にはありがたくないことであっても。不興を買うことになったとしても。次期皇帝への道を、しっかりと整えるものが必要だ。私はその露払いとして、恩を返していくつもりだ。
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