第44話 カスタード
「ローリさま、できあがりましたか?」
「もうすぐです。ちょっと量が多かったかもしれません」
「多い分には喜びますよ、特に騎士様なんていつもお腹を空かせているんだから」
メリンダさんが笑った。貴族家にお仕えしているであろう立派な騎士様を、まるで子ども扱いだ。
「このカスタードクレープ、とてもおいしいですからね。甘くてコクがあって滑らかで。間違いなく騎士様たちで取り合いになるでしょうねえ」
私は野営の時、焚火を囲んでの夕飯を思い出した。ノルド様の作ったスープをみんなおいしそうに食べていた。このお菓子も、そんな風に食べてもらえるだろうか。
あれから、さらにひと月が過ぎた。私はすっかり商家の孫娘が板についてきたように思う。近い年頃の人が周囲にいないので、所作などを比べることはできないけれど。言葉遣いや衣類などは、メリンダさん基準で“大店の孫娘”にふさわしくなってきているといわれる。
湖でのように、ここの暮らしはとても気が楽だった。前世まで含めても、これほど緊張しない暮らしは初めてかもしれない。自分以外の人がいなかった湖と違って、ここには何人もの『他人』がいるのに、とても不思議だ。あれができなければ嫌われてしまうかも、とか。これをやらなければ機嫌を損ねてしまう、とか。そんな心配がここにはないからかもしれない。私の、“家族”との暮らしって一体なんだったのかと今更ながら疑問に思わないでもない。
メリンダさんには言葉遣いだけでなく、こちらの世界の一般的な暮らしも教わっている。これまで、料理なんかはこちらの材料と道具を、あちらの知識と火魔法の力技でそれらしく調理してきた。それでも十分においしく食べられたので問題はなかった。でも、市井で“暮らす”となれば話は別だ。一般的な道具とその使い方、調理法や定番料理を身に着けておくに越したことはない。
そんな、帝国の市井での定番家庭料理のほかに、掃除や洗濯の方法なども教わった。下働きがいるのだから必要ないといわれたけれど、社会勉強の一つとしてお願いして教えてもらった。この家でずっと暮らせたらいいと思う。ノルド様もおじいさまも、ずっといていいと言ってくれたけれど。それでも、習える機会になんでも習っておこうという気持ちが強かったし、次にこんな好機が訪れるとも思えなかった。
公爵家から逃げてきたままの私は、他者からもそのまま『訳アリ令嬢』にしか見えなかったようだけれど。もし、ここを出ていく時がきたら、『商家の娘』、『商家の使用人』として振舞えるようになっていたい。ノルド様が与えてくれたチャンスを無駄にしないように。
あれから、ノルド様と会うことはなかった。当り前か。だけど、今日はこの家に送ってくれた二人の騎士が立ち寄るという。なので、私は朝からはりきって厨房に立っていた。ちょっとしたお菓子を作ることにしたのだ。
お菓子といっても大層なものではない。カスタードクリームとプリンだ。“私”は実家にお金をいれたり、奨学金を返済したりの節約生活を送っていたので、いわゆるスイーツにあまりお金をかけることができなかった。職場のお昼だって自炊弁当なのに、一つで500円近くするようなケーキや流行りのスイーツはなかなか手が出なかった。でも甘いものは嫌いではない。いや、むしろ大好きで。そんな時にネットのお料理動画で見かけたのが、レンジで作る簡単カスタードとプリンだった。
材料を計ってオーブンは何度で、とかいうのは無理。10個入りの卵を1パック買ってくれば、あとは家にある牛乳と小麦粉、砂糖、バニラエッセンスを混ぜてレンジでチンすれば大量のカスタードクリームとプリンが簡単にできあがった。ちょっと固かったり、すがたっていたり。売り物に比べれば味は落ちるけれど、甘いものをたくさん食べたという満足感を得るには十分だった。
湖で暮らし始めた頃、どうにも食べたくなってしまって。この世界にはレンジはないけれど、動画では湯煎でも大丈夫といっていたのでやってみたところ、問題なくできた。ノルド様も喜んで食べていた。
前世ではホットケーキにつけて食べたりもしたけど、こちらには『ホットケーキミックス』がない……。苦肉の策として、小麦粉と卵、バターと牛乳を混ぜて薄い皮を小さく丸く焼いた。その上にカスタードを薄くのせてクルクル巻くと、葉巻大の一口クレープのようなお菓子っぽくなったのだ! 皮を作るときはさっくり混ぜるのがコツだよ。練ってしまうと固くなっておいしくない。
『小麦粉を練るとグルテンができて固くなる』。水でよく練った小麦粉を、さらに水で洗い流すと最後にネバっとした塊“グルテン”が残る。実験をしてくれた先生、ありがとう。お陰で私は教えを忘れることなく、異世界でもさっくり混ぜてグルテンを作らないようにしています。
本当は生クリームも食べたいのだけれど、電動ミキサーがないのであきらめている。牛乳をペットボトルにいれて15分振り、冷蔵庫で1日冷やすと生クリームが分離するという実験もやった。ここには密閉できて軽いペットボトルはないけれど、いつか、ガラス瓶でチャレンジしてしまうかもしれない。
とりあえずはイチゴやバナナのような果物がみつかれば、カスタードに混ぜてバリエーションが増えるだろう。
こちらの家でも何度かふるまって大人気だった。今日は騎士様たちが持って帰れるようにと朝からたくさん作っているのだ。今の自分がノルド様や騎士様たちにできるお礼なんて、それくらいしか思いつかなかった。
あの日、林の外れでノルド様に見送られたとき。私はとても弱気で、とても心細くて。帝国の大貴族様に向かって“また会えますか?”なんていってしまって。今思うと布団にもぐって転げまわりたいほどに恥ずかしい。
公爵家を出て、タビーと二人で逃げていたときは頑張れていたのに。親切にされて、心配しているなんて声をかけてもらった途端に頼ろうとしてしまった。いや、結局ここの家に置いてもらっているから、頼ってしまったのだけど。
騎士様たちが“これからも様子を見に来る”といってくれて、あの時は本当に嬉しかった。でも、これ以上迷惑はかけられない。マクラウド家の居候のために、ノルド様や騎士様を煩わせないようにしっかりしなくては。これまでしてもらっただけでも、あり得ないほどの幸運なのだ。
平民と貴族の間に、普通、付き合いなどありえない。公爵令嬢だった自分が一番よくわかっている。道行く馬車の窓や馬上で見かけることくらいはあるかもしれない。でも、それだけ。私たちの暮らしはもう交わらない。
紹介してもらったこの家で、皆さんに良くしてもらっていること。おかげさまで元気にやっていること。市井らしい振る舞いや暮らしを身に着けることができていること。とてもとても感謝していること。そして、もう大丈夫なこと。
今日、御礼を渡してしっかり伝えなければ。
ノルド様のシグネットリングの印章を刺繍したハンカチも準備した。預かるよ、と前回騎士様に言われたけれど。手紙は書かなかった。
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